第5話 慣れない戦い
『助けて? お腹空いた?』
腹の底に響くような生理的嫌悪感を伴った声が、外地で油断し切っていた少年少女の鼓膜を打った。
瞬時に全員が意識を切り替えたのは、見習いとはいえさすが特派員と言ったところか。
優は臨戦態勢を整え、集中状態に。
シアも西方も、すぐさま異変を察知して中腰になり、果歩を後ろにかばう。
優たちがいる通路には背の低い壁があるため、階下の状況が見えない。
果歩を含めた4人はひとまず、会館の入り口が見える階段の上まで中腰のまま移動した。
優が先行して、手すりの壁から頭を出して様子を伺う。
そうして、声がした会館の入り口を見下ろせば、2mはあろうかという卵の様なシルエットが見えた。
青紫色の表皮。無数にある垂れ下がった肉は触手のようで、それぞれが意思をもって蠢いている。
細長い尻尾がある方を後ろだとするなら、ソレは今、優たちの方を向いているということになるのだろう。
お腹にあたる部分には横一文字の筋が入っており、その縁には鋭い齧歯が並んでいた。
「魔獣……、ですか?」
「いえ、特徴的には天たちが逃がした魔人じゃないかと」
続いてソレの姿を確認し、声を潜めて尋ねるシアに優が答える。
彼の言う通り、数刻前、天たちが戦った魔人がそこにいた。
かつてはかろうじて人間味を残していたソレも、もはや人と呼べるパーツは存在していない。
シアが魔獣と勘違いしても、不思議では無かった。
『ご飯? 飯どこ?』
どうやって声を出しているのかは不明。
下階のエントランスホールをヨタヨタと歩きながら触手をうねらせる魔人。
(まだ見つかってないのか?)
“目”にあたる器官が見当たらないため、魔人の魔法的感覚――魔法で言うところの〈感知〉――の外であれば、まだ気づかれていない可能性もある。
『どこ? ……どこぉ!』
実際、魔人は入り口付近をさまよっているだけ。
果歩を含め全員が息を潜めてこの場をやり過ごす。
やがて、魔人は重そうな体をゆすりながら、玄関を出て行く。
「あっ」
その直前。
果歩が小さく悲鳴を漏らし、転倒した。
ドンッと、軽く尻もちをつく音。そして、ガラガラと、バックパックの中で収集物たちが鳴った。
魔人に集中するあまり、足元に置いてあったそれらにつまずいて転んでしまったのだ。
「果歩ちゃん?! 大丈夫ですか?!」
「やばいっ!」
『――見ぃつけた!』
魔人が言ったと同時に、表皮にあった触手の1つが勢い良く階段の上――倒れた果歩を支えようとしていたシアへと伸びてくる。
驚きつつも、その攻撃を見切っていたシア。
避け――ようとして、背後に果歩がいることを思い出す。
そのため、咄嗟に〈創造〉した小さな四角い盾を使って、いなすことに。
白い盾に直進を逸らされた触手が背後の壁にぶつかり、破片を散らす。
「きゃぁ!」
「――?! 〈創造〉!」
頭を抱えて悲鳴を上げた果歩を破片から守るために、彼女を包み込める大きさの半球状の盾を〈創造〉。
どうにか守り切る。
他方、伸びきり、隙だらけの太い触手を透明なナイフで切り裂いたのは優。
切り落とされた触手はその先端から、黒い砂になって消えて行く。
広い森で行なわれた演習とは違い、狭い室内で人を守りながら戦うという慣れない戦闘で、余分にマナを使う結果となった。
「ああやって身体を伸び縮みさせる魔人もいるんですね……」
「恐らくカエルの舌の様に、筋肉の収縮を利用しているんだと思います。それにしても、伸びすぎな気がしますけど」
屋内とは言え、それなりに広い中央会館。高低差も考えると、魔獣との距離は10m以上はある。
その距離を伸縮する筋肉など、普通では考えられない。
たとえ元人間であっても、やはり生物として異常なのだと、優は突きつけられたような気分だった。
見つかった以上、戦闘は不可避。
魔人を討伐するか、優たちが敗北して食されるか。2つに1つだ。
「ひとまず僕が――〈探査〉!」
魔法を使ったのは西方。
ミントグリーンのマナが薄く館内を駆け巡る。
「……魔力は正規の特派員、それこそ学校の先生たちぐらい。周囲に他の魔獣は無し」
魔人の魔力が一般人の倍ほどあると告げた。
優はシアの足元で怯える果歩を見やる。
誰も死なないためには、全員が生きて帰るにはどうすればいいのか。
シアの権能。西方のケガ。建物の構造。屋内で戦うメリット、デメリット。
努めて冷静に、思考を巡らせる。
(ここは攻勢に出る。あとはどうやって戦場を外に移すか……)
出遅れた以上、いくつかはリスクを負わなければならない。
そして、それをくぐり抜けられる可能性があるとすれば――。
「ケガをしている西方は、果歩ちゃんを頼む。俺とシアさんで、あの魔人を倒す」
万全な状態の優自身とシアが魔人と対峙するべきだろうという判断。
とはいえ、誘導に失敗した時も考えると、果歩を1人にするわけにもいかない。
幸いにも、天たちと交戦した際に消耗したらしく、魔人の魔力はそれほど高くなかった。
「了解です!」
「……うん、わかった。果歩ちゃんは任せて!」
力強く頷いたシアに続いて、自身の腕を確認した西方も、少し迷いを見せたが納得する。
「ここだと果歩ちゃんを巻き込む。シアさん、ひとまず1階に」
「はい!」
「西方も自分の判断で、必要そうなら後ろの大ホールに遺品と果歩ちゃんを避難させてくれ」
『助けて、食べさせてぇ!』
伸びてきた触手を優が手にしたナイフで迎え撃ち、シアが白い銃と〈魔弾〉で砕きながら、2人は階段を駆け下りた。




