一杯目 金木犀
はじめましての方も、そうでない方も、読んで下さりありがとうございます!
新連載を始めてしまいました…!
こちらのお話はゆっくり進めていく予定です。
思い出したときにでも読んで下さると嬉しいです。
薔薇が咲き誇り、ほんのりと華やかな香りが鼻を擽る。
さわさわとそよ風が木々を揺らし、木漏れ日が踊る庭園の端。
純白の四阿でお茶を楽しむ男女がふたり。
「エリク様、聞いてます?」
鈴を転がすような軽やかな声と、
「……………あぁ、聞いている。」
対象的な低く、重い声。
「それでね?コリンナ様ったら、いざ、その方の目の前に行ったら顔を真っ赤になさって!もう、恋する乙女っていう感じでとても可愛らしかったですわ!」
「……………………………」
光が差し込み、少女の金糸のような髪が透けてキラキラと輝く。
紫の瞳に白い肌が、美しさと可愛らしさを絶妙なバランスで併せ持つ整った顔を引き立てている。
そこに浮かぶ表情はお日様のように明るく、興奮しているのか頬はほんのりと上気している。
話に夢中な少女をただ静かに見つめる青年は、打って変わって夜を思わせるような真っ黒な髪に真っ黒な瞳。
眉ひとつ動かさない表情に温かみは全くなく、むしろ怒ってでもいるかのような、不機嫌でもあるかのような冷たさを感じさせる。
しかし……。
(くそっ、今日も我が婚約者殿は世界一…いや、宇宙一可愛いな。くるくる変わる表情がなんとも愛らしい!あの瞳も宝石のようで……いや、あんなに美しい宝石は見たことが無い。彼女の瞳はこの世の宝石も石ころにしてしまう程の美しさ!なんたる罪深い輝き…!そして肌もすべすべで…あぁっ!柔らかそうだ!あの頬を少しだけ…少しだけでいいから触りたい!!)
………その胸中は大変騒々しかった。甘々だった。
と、言っても…彼の心の内を知る者は誰もいなかった。
青年はロドゲンド公爵家の長子、エリク・ロドゲンド。
眉目秀麗、頭脳明晰。スラッとしているが剣で鍛えられた筋肉が男らしさを醸し出す、完璧な男。
彼を知る者は皆、彼を褒め称える。褒め称えずにはいられないほどの魅力が彼にはあるのだ。
だが同時に、皆が皆口を揃えて付け加える。
彼には心がない、と。
彼は表情を変えない。
嬉しいときも、悲しいときも、驚いたときですらも表情は固く、微動だにしない。
『完璧で魅力的ではあるが近寄り難い男』
それがエリク・ロドゲンドという男だ。
なぜ彼の表情が無くなってしまったのか?
なぜ思っていることを表現出来なくなってしまったのか?
そこには深く、悲しい過去が…………………ありはしなかった。
エリクが幼き頃。
『エリク。公爵っていうのは常に感情を表に出しちゃ駄目なんだ。貴族っていうのはみんな足を引っ張ろうとする者たちばかりだからね!そんなやつらに足元を掬われちゃいけないよ?』
『はい、父上。』
公爵家当主。
それは毅然とした態度で他の者をいなし、皆を従える高貴な存在。
『感情を外に出すなかれ』
それは王族の次に権力を持つ、ロドゲンド公爵家ならではの教えであろう。
だがしかし。この場にいる者……公爵夫人やエリクの弟、執事や侍女すら思った。
『どの口がそれを言うんだ?』と。
公爵家の教えを説く現当主の顔はパンパンに腫れていた。
頬も瞼も赤黒く、パンパンなのだ。
確かにパンパンで感情は読めない。読めない…が。元の甘く整った顔も思い出せないほどのパンパン具合だ。
なぜそうなってしまったのか?
それは公爵が浮気をし、公爵夫人にボコボコにされたからである。
しょうもない理由である。
だがエリクは素直な人間だった。
父の言うことに少しも疑問を抱かなかった。
例えその父の顔がパンパンでも。
その隣で母が般若のごとき顔をしていても。
そんな訳で彼は自分の感情を出さなくなった。
真面目で極端な性格だったため、それはもう、徹底的に。
『そこまでとは言ってないよ!?』と後に公爵がフォローするも、加減を知らないエリクである。
その時にはもう、表情筋はガチガチに固くなってしまっていた。
その結果がこの…完璧過ぎる鉄面皮である。
「とても面白いお話でしょう?」
「………そうだな」
残念ながら全く面白くなさそうである。
緊張すると全く喋れなくなってしまう性格も相まって、傍から見れば不機嫌マックス。
泣く子も黙る…いや、泣く子はもっと泣く…いや、むしろ失神するレベルの不機嫌な無表情である。
(イザベラ嬢は俺を怖がらないな…そんなところがまた愛おしい!好きだ!大好きだ!)
しかし見た目とは裏腹に、彼の心には愛の嵐が吹き荒れていた。
愛の熱帯低気圧はぐんぐん発達し、ハリケーンへと進化を遂げていた。
もはや災害クラス。誰にも止められないレベル。
だがしかし。
(今日も不機嫌マックスね…。ま、私はこのまま結婚できればそれでいいけれど)
その情熱は少女には全く伝わっていなかった。
リリアジス伯爵家長女、イザベラ・リリアジス。
金の髪と紫の瞳のとても美しいと評判の少女だ。
エリクと婚約したのはついこの間。
この美しさだ。エリクと婚約する前は数多の男性から婚約の申し出が絶えなかった…ということは全く無かった。
なぜならば。リリアジス伯爵家は伯爵家にも関わらず、とてもとても貧乏だったからだ。
リリアジス伯爵はとても人が良く…いや、良すぎた。
頼まれればノーとは言えず、よく人にお金を貸したり保証人になったりして借金を増やしていた。
伯爵は借金塗れではあったが領民も大切にする良い領主であったため、爵位は取り上げられなかった。
だが苦労したのは家族だ。
借金塗れの伯爵家から嫁にもらいたいという殊勝な人間はそうそうおらず、来る縁談は年老いたヨボヨボの老人や爵位目当ての商人の息子だけだった。
貴族が貴族以外と婚姻を結ぶことは国王の許可さえ下りれば可能だが、基本的には禁じられており、リリアジス伯爵は根は真面目な人間だったのでそれらの申し出に頷くことは無かった。
そして老人からの縁談もまた、例えその家に有り余る財力があったとしても、娘を愛している伯爵は決して良しとはしなかった。
そんな訳で、イザベラは結婚を諦めていた。
伯爵家を継ぐ弟はしっかりしているし、姉に優しかった。
家にずっといていいと言ってはくれたが、そうも行かない。
将来の義妹に肩身の狭い思いをさせないよう、いつかは修道院へ行こうと密かに心に決めていたのだ。
が、しかし。
ある日突然来た縁談。
それがこのエリク・ロドゲンドからの縁談だった。
公爵家。優秀。しかも若くてイケメン。
誰に申し込んでも断られるわけがない、最優良物件からワケアリ物件への婚約の申し込み。
裏にはどんな陰謀が……………?
リリアジス伯爵家の皆が皆、恐れおののいた。
確かにイザベラは美しいが、家は傾きに傾いている。
ただの傾きではない。急勾配だ。断崖絶壁だ。
そんなリリアジス伯爵家への縁談だ。きな臭いことこの上ない。
裏を勘繰りに勘繰ったが…もとより公爵家からの縁談。
断崖絶壁の伯爵家が断れる訳もなく…あれよあれよと婚約の話は進み、今に至るのである。
(でもこれで伯爵家も助かるし、お飾りの妻でも公爵家なら贅沢もできるだろうし…万々歳なのではないかしら)
イザベラはそんなことを考えながら優雅にコクリとお茶を飲んだ。
そう。彼女はこの結婚を形だけのものと思い込んでいたのだ。
しかし実際は陰謀や裏などは微塵もなく、ただただエリクの一目惚れなのだった。
(あのパーティーでひと目見てから俺はイザベラ嬢に首ったけだ。父上にすぐに婚約を認めてもらえて本当に良かった。あのままズルズルと父上に交渉していては他の男に取られかねなかったからな…。本当に運がいい!)
エリクはイザベラに一目惚れし、その日中にロドゲンド公爵と公爵夫人に頼み込んだのだ。土下座をして。
堅物の土下座。
その衝撃的な行動に公爵は爆笑し、夫人は目が飛び出るんじゃないかというほど目を見開いて…我に返り、腹を抱えて笑う公爵の鳩尾を殴った。グーで。
『息子の本気を笑うんじゃない』と静かに怒る夫人はいつも以上に恐ろしかったという。
そんな苦労の末の婚約なのだが、それをエリクがイザベラに伝えられる訳もなく、イザベラは貴族同士のパワーバランスを鑑みたりなんかして自分が選ばれたのだろう、と思い込んでいるのだった。
(分かっている…分かってはいるのだ。俺の気持ちが全く伝わっていないことは!しかし、どう伝えればいいのか…緊張して話もままならないというのに………!)
憐れ、ロドゲンド公爵家次期公爵は重度のコミュ症と恋の病を患っていた。先は長そうだ。
「エリク様のお持ち下さったお茶はいつもとても美味しいですわ」
「………そうか」
そんなエリクの心の葛藤など露知らず、イザベラは今日もマイペースだ。
エリクはいつもお茶の好きなイザベラに何かしらのお茶をプレゼントしている。
今日のお茶は金木犀の花びらが入った華やかな香りのお茶だ。
香りを鼻から肺いっぱいに吸い込み、ほぅっと溜め息のように息を吐き出しながら微笑むイザベラ。
そんな彼女を見たエリクは…
(か―わ―いーいぃぃいいぃいぃ―――――――――――!!!!)
大変気持ちが悪かった。
しかし表情は変わらない。
だから気持ち悪さも好きな気持ちも何ひとつ伝わらないのだった。
伝わった方がいいのか、伝わらない方がいいのか………。
小一時間でエリクが退席するのはいつものこと。
エリク的にはもっとずっと一緒にいたいのだが、いかんせんコミュ症と恋の病で間が持たないのだ。
残念である。
「………また来週来る」
(はぁ……また一週間イザベラに会えないのか………)
「はい、お待ちしておりますわ」
(どうせ喋らないんだから無理して来なくていいのに……)
そんなお互いの心はすれ違ったまま、今日もお茶会は終了する。
しかし今日はいつもと少し違った。
エリクが無表情のまま笑顔のイザベラをじっと見つめ…頬をそっと撫でたのだ。
「「!?」」
イザベラは目を見開き固まった。
なぜならそこには…いつも無表情なエリクが、赤くなった顔の口元を掌で隠し、“思わずやってしまった”と雄弁に語る驚きの表情をしていたからだ。
そしてその表情はイザベラをキュンとさせるには十分な破壊力だった。
「………っ、失礼する」
くるりと回れ右し、去っていくエリクを真っ赤な顔で固まったまま見送るイザベラ。
(な、な、な、、、何なのよぉ―――――!!?あれじゃ、あれじゃまるで………)
「私のことが、好きみたいじゃない………!」
一人ごちて悶えるイザベラ。
初々しいふたりの心の内をクスクスと笑うように、風が優しく通り過ぎる。
高い空の下。純白の東屋で行われるお茶会は、来週も行われることだろう。
金木犀の花言葉 初恋