第六話 吸血鬼の戦い方
▽第六話 吸血鬼の戦い方
鏡夜の身体が嘘みたいに吹き飛ぶ。
首から上が千切れ飛んだ。壁に叩き付けられた衝撃で全身の骨が粉砕する。身体から溢れた血液たちが水たまりとなる。激痛に次ぐ激痛。
再生には一秒もかからない。
だが、再生するよりも先に、鏡夜が理解したのは格の違いだった。
あの狼はあまりにも――強すぎる。
だとしても、戦わなければ勝利はない。
勝ちたい、という気持ちはあまりない。
それでも、思い出すのは、石動に裏切られ、足から徐々にハイゾンビに喰らわれていった、あの時のことだ。
死ぬのは怖い。
だから、先に……殺すしかない。
「サモン・ヴァンパイアバット、サモン・イビルバット、サモンレッサーイビルバット!」
夥しい数の蝙蝠を顕現させる。
黒い暴風のような眷属たちを背後に従え、吸血鬼は静かに瞳を閉じた。
狼が吠え、地面を蹴った音が聞こえた。
鏡夜は目をカッと見開き、腕を前方に突き出した。
『ライトニング・ピアス』
マシンガンでの掃射の如く、雷魔法が大連射されていく。
人間であれば二秒と持たず魔力が枯渇するであろう、人外の暴虐。
はたして、雷の閃光軍は狼に――通じることがなかった。雷光はそのどれもが狼の毛皮を貫通することなく、煤けさせることが精々だった。
狼が目の前に居た。
見上げる大きさの巨体。その腕が振り下ろされていたことに気づいたのは、全身がぺしゃんこに押し潰され、自身が血を周囲に弾けさせた後だった。
……さすがに死ぬ!
再生が間に合う、間に合わないの問題ではない。
かろうじて破壊されなかった足から、その他のすべてを再生させていく。仮に、今の一撃で全身を破壊されていたら、再生することはできたのだろうか。
殺しきられたかもしれない。
這いつくばるように地面を進みながら、鏡夜は待機させていた蝙蝠たちを一斉に嗾ける。
狼は面倒そうに腕を一振りした。それだけで黒い大群は七割方を殲滅されてしまう。
想定内。
蝙蝠たちは囮だ。そして、鏡夜の奇襲を隠す、目眩ましだった。
『伸爪』
鏡夜は瞬時に爪を二本伸ばし、狼の瞼を切り裂いた。
「があああああああああああ!」
狼の悲鳴。暴れているのが見える。
鏡夜は新たにレッサーイビルバットを出現させ、その大群の中に身を潜めた。『隠密』を発動させてから『闇に潜む者』を併用起動させる。
スキル『闇に潜む者』は、敵を視認している状態で、敵から姿を認識されていないならば、その時間分に応じた攻撃力を上昇させる盗賊スキルだ。
狼が頭を何度も振る。
血はすでに止まっているらしい。狼は肉体の構造上、どうしても瞼付近の血を拭うことができない。が、頭を振ることによって血を飛ばしたらしい。
狼はしばらく、鏡夜を探すように周囲を見渡した。
が、それを妨害するようにヴァンパイアバットが出撃する。狼の爪が轟音とともに振るわれた瞬間、ヴァンパイアバットは高く宙に上り、その一撃を回避した。
弾丸のような速度での体当たり。
ヴァンパイアバットが狼に噛み付く。
狼は暴れるようにして、ヴァンパイアバットを振り払おうとしたが、それは敵わない。
ヴァンパイアバットはヴァンパイアというだけあり、敵の血液を吸収してしまう。徐々に、徐々に、……体力を奪っていく。
狼は諦めたように、鏡夜探索を続行した。
(大したダメージじゃないってことかな。まあないよりは良いさ)
今の攻防は十秒ほど。
せめて攻撃力は二倍ていどにはしたい。
「甘いよ」
ヴィクティムの悪戯げな声が聞こえた時。
すでに鏡夜は狼に噛み付かれていた。牙が腹を貫通して、内臓を押し潰す。
「がっ、ば、ばれて」
「そりゃあそうさ。ボクの狼くんは強い。キミの『隠密』ていどであれば、いくらでも察知することが可能なのさ。……ちょっと見つけるの、遅かったけどね。あの状況で隠れるまで持って行ったのは、キミの素晴らしさかな」
見つかってしまえば『闇に潜む者』は無意味だ。
鏡夜は噛み砕かれる。
傷を広げるべく首を左右に暴れさせる狼に対し、『鋭爪』を発動させた。
スキルレベルをいくつも上昇させ、今の『鋭爪』はかなりの切れ味を誇っている。
そう、『鋭爪』は敵を斬撃できる。であれば、
「スキル発動――『混乱の一撃』!」
狼の肉を薄く、鏡夜の『鋭爪』が切り裂く。
同時、盗賊スキルが発動したことにより、狼の動きが一瞬だけ、停止した。
『霧化』そして『霧歩き』を使用して牙から脱出、鏡夜は『無双の怪力』や無数のパッシブによって強化された剛力により、狼を全力で殴りつけた。
強い手応え。
「その通り」
と、遠くで優雅に観戦していたヴィクティムが歯を見せた。
「吸血鬼はそうやって戦うのだよ……なんせボクたちは鬼なのだから」
狼の巨体が嘘のように吹き飛んだ。
一瞬、鏡夜は自分でも何が起きたのかを理解できなかった。まさか、あの大きな狼を殴り飛ばせるとは思わなかったのだ。
唖然、と己が拳を見やろうとして、止めた。
(追撃が先だ)
地面を蹴り付ける。加速。加速。……接近!
――足に力を込める。
倒れ伏した狼に向け、飛び掛かるような踵落としを見舞う。肉を潰す感触。
爆撃したような爆音が響く。
遠くに居たヴィクティムの銀髪が風に煽られ、揺れた。
(止まったら殺される! 止まらない!)
牙を剥き出しにして、鏡夜は膨大な数の連撃を繰り出す。
あまりの速さ、威力によって、一撃ごとに全身の骨が折れていく。神経が千切れる。血が噴き出していく。
無視する。
どうせ再生するのだから。
狼は一切動けない。
鏡夜が猛打に織り交ぜ、『混乱の一撃』で動きを止めているからだ。
一応、アクティブスキルにはクールタイム(同じ技を出す場合、少しだけ感覚が空いてしまう)がある。
のだが、鏡夜はそのクールタイムの時間を我武者羅な打撃で造りだした。
狼が一瞬、その意識を飛ばしたのが――理解できた。
盗賊相手には致命的な……隙だ!
鏡夜は獰猛に牙を晒し、己が爪に『暗殺術』と『首落とし』を乗せた一撃を繰り出した。強引に一撃死させることを目的とした、渾身。
その一撃は、見事、狼の首を切り落とす。
――ことはなかった。
「うん、合格だ。まさか勝てるとまでは思わなかったけれどもね」
「……ヴィクティム」
「そうさ、キミのご主人様、ヴィクティム・シファーだよ」
無数の攻撃スキルを乗せた、全力中の全力の一撃だった。
だが、ヴィクティムは涼しい顔をして、その一撃を片手で掴みあげていた。
まるで物わかりの悪い子どもから玩具を取り上げるような気軽さだった。
狼も大概の化け物だった。
だが、その化け物よりも更に強力な化け物が、少女の姿をして隣に立っている。
腕を離させようと力む。
ヴィクティムの膂力は底が見えない。ビクともしない。一ミリも動かない。
涼しい顔をしたヴィクティムが言う。
「よくやったね、眷属くん。素敵だったよ」
「…………はい?」
「ん? どうしたんだい?」
困惑したようにヴィクティムが首を傾げた。銀髪が垂れる。
狼が消失する。どうやらスキルを使って狼を消したらしい。戦闘なんて最初っからなかったかの如く、鏡夜の敵は跡形もなく消えてしまった。
「偉い偉い」
ヴィクティムは嬉しそうにつま先立ちになり――つまり背伸びをして――鏡夜の黒髪を優しく撫でてきた。
……赤面させられてしまう。気恥ずかしい。
なんだかドッと疲れが出てきて、鏡夜はその場に座り込んだ。
「急に何、ヴィクティム」
「頑張った子にはご褒美をあげなくてはならないだろう? しかしながら、ボクは世俗には疎い吸血鬼である……お金は持っていない。だから、頭を撫でてあげたのさ」
不服かい? とヴィクティムは意地悪に笑った。
それとも、不意に吸血鬼は唇前に人差し指をあてがい、小悪魔じみて提案してきた。
「キスでもするかい?」
「……っ要らない」
「おいおい、さすがにえっちはできないぜ。そこまでボクは軽い女ではないのさ」
「聞いていない」
「まあ、おっぱいくらいであれば吸わせてあげるのに吝かでないとも。もちろん直でね。白い肌、桃色の――んふふ、ボクからしたらキミなんて赤ん坊みたいなモノだからね」
つい、鏡夜はヴィクティムの胸を見てしまう。
コルセットのようなロングスカートに深紅のブラウスを合わせることにより、胸部が強調されて見える。布越しでもその柔らかさは、撫でるまでもなく明らかだ。
ごくり、と鏡夜は喉を鳴らした。
ヴィクティムが一歩、距離を詰めてきた。人外の美少女の魅力に当てられる。
と、不意打ち気味に、額に強烈な衝撃が走った。額をデコピンされたのだ、と気がついた時には、鏡夜は地面に尻餅を着いていた。
「えっちだなぁ、キミは。まったく、良くないよ?」
「……キミが言ってきたんだよ」
「ふふ、いやあ、童貞くんをからかうのは楽しいなぁ」
「ど、どう、ぼくがどうて……それって証拠はないじゃないか」
鏡夜はオドオドしながらも抗議をしてみた。あまり甘く見られては困るのだ。
おや、とヴィクティムはニンマリと微笑んだ。
「知らないのかい? 吸血鬼が自分の眷属にできるのは、未経験の子だけなんだよ」
証拠、めっちゃありました。
敵わない、と鏡夜は大きく肩を落とした。ヴィクティムが愉快そうにくつくつ肩を揺らしていた。