第一話 裏切りの迷宮と吸血鬼
思い出すかい、と白銀の少女は静かに微笑んだ。
「べつに」
黒髪の少年はつまらなげに言い、紅い液体の注がれたワイングラスに口を付ける。一口、液体を口に含み、彼は不味そうに口端を歪めた。
白銀の少女が美味そうに紅を飲み干し、唇を服で拭った。
彼女のゴシックロリータを思わせる夜色の衣服は、あっという間に――血に染まった。
吸血鬼の王――ヴィクティム・シファー。
曰く、最強の吸血鬼。
曰く、世界の破壊者。
曰く、裏切りの――少女。
とにかく物騒な二つ名しか持たぬ怪異の王は、緩やかな動作で立ち上がり、少年の背後に回り込んだ。椅子に深く腰掛けた少年は、観念したように瞳を閉じる。
牙が首の皮を破り、血が飲み込まれていく。
「思い出すね、クラウス」
「忘れたいけどね、ぼくは」
「そう言わないでおくれよ、ボクたちの初めてじゃないか」
「無理矢理だったけどね」
無理矢理だともさ、と白銀の少女は嬉しそうに呟いた。
「今でも瞼を閉じる度に思い出せる。キミが仲間に見捨てられ、我が迷宮の奥底に捨てられていた時のことをね」
「懐かしい、っていうほど昔のことでもないんじゃない?」
「たしかに。ついさっきのことだ」
「それは言い過ぎだ。二ヶ月前のことさ」
黒髪の少年――クラウスは部屋の隅を見やった。そこには全身を鎖によって雁字搦めにされた……
▽一章 暗闇と痛み、血の匂い
▽第一話 裏切りの迷宮と……
移木鏡夜は電車通学だった。
毎朝、うんざりするような人混みに紛れて高校へ向かう。その際、その絶望とも言える混雑を耐え凌ぐのに用いていたのが、とあるネット小説サイトだった。
今にして思えば、逃避だったのかもしれない。
そのサイトには夥しい量の物語が溢れ、中でも「なんの変哲もない少年が突如として異世界に送られ、そこで英雄として君臨する」というお話しが多くあった。
鏡夜が憧れたのは、異世界の英雄だった。
自分でももしかしたら、転生や転移をすれば、凄まじいチートを与えられ、英雄として気楽に……そして幸せに過ごすことができるのではないか。
年頃の少年にとって、夢物語は、憧れの物語でもあった。
でも、それは遠い昔の記憶だ。
今の鏡夜といえば、
「う、うわあああああ!」
絶叫。
少年は全力疾走で以て狭い迷宮内を駆け回っていた。
追撃してくるのは、数メートルはあるであろう大剣を携えた、二体の白骨だった。
――リビングデッド・スケルトン。
大きく、けれども大ざっぱな一太刀が、鏡夜めがけて振り下ろされた。風圧だけでも死んでしまいそうな一撃に対し、彼は目を閉じ、全力で横に跳ねた。
直後。
自身が一刹那前に居た場所が、大剣によって粉砕されていた。
「スキル発動――盗賊の初手!」
鏡夜は大剣のスケルトンに向かい、手の平を向けて咆吼した。
スキルが発動する。スケルトンの手の中から大剣が消え失せ、代わりに鏡夜の手の中に巨大な剣が握り締められていた。
スケルトンに殺意の視線を向ける。剣を振る。
「し、しねえええ!」
重い剣。
ましてや『盗賊』などに扱えるわけがなかった。
鏡夜の大剣による攻撃は無様に宙を斬った。その一撃は彼にとっては必殺の意味を持っていた。
だが、外れてしまった今、その大技は大きな隙でしかない。
鏡夜の眼前に、もう一体のスケルトンによる斬撃が迫っていた。咄嗟に大剣によって一撃を凌ぐ。大剣が破砕、銀色の破片がキラキラと舞う。
防御には成功した。しかし、次はないだろう。
息が詰まった、その直後。
ちっ!
露骨に不快そうな舌打ちの後、二体のスケルトンの身体が火炎で吹き飛んだ。
鏡夜は表情を明るくして、火炎の担い手に向けて頭を下げた。
「ありがとう、石動くん!」
「クソ雑魚すぎんだよ、てめえ。ガチでキモいんだよ!」
暴言とともに、石動が地面を蹴った。手にした聖剣は豆腐でも両断するかの如く、あっさりとスケルトンの骨をバラバラに砕いてしまった。
戦闘が終了した。
ピコン、という電子音が脳内で響き渡り、鏡夜のレベルアップを知らせてくれる。この戦闘によって彼のレベルは二十に至った。
「スキルを確認しろ」
と。このパーティーのリーダーたる石動が冷たい声音で命令を下してきた。当然、彼の配下であるところの鏡夜は、異論を唱えることもなく、指示に従った。
ステータスパネル、そしてスキルツリーを出現させる。
人間スキル。
『道具使用・中』『物理耐性・低』『体力上昇・中』『叡智・低』『環境耐性・低』『魔力適正・低』『剣術・低』『投擲・低』
盗賊スキル。
『盗賊術・中』『脱兎』『盗賊の初手』『状態付与・中』『隠密』『軽装適正・低』『短剣術・低』『交差の刹那』『首落とし』『暗殺術』『闇に潜む者』『毒付与・低』
無数のスキルツリーが出現する。
その中でも、鏡夜が入手を指示されている盗賊スキルは、戦闘向きのモノばかりだ。本来、盗賊は戦闘の補佐を担当するジョブである。
罠の看破、宝物の解錠。索敵。
これが主な仕事なのだが、石動率いる二年三組の勇者パーティーには、王国より『罠解析のオーブ』『宝物解錠のオーブ』がたくさん授けられているため、盗賊の仕事はない。
であれば、その乏しい戦闘能力を少しでも上昇させるのは、間違った判断ではなかった。
戦闘向けの盗賊スキルを物色する。その途中、鏡夜はふと声を上げた。
「あ。これ……強いかも」
レベルの上昇によって入手したスキルポイントは5。
スキルツリーには、暗殺術から派生した『混乱の一撃』というアクティブスキル(要するに攻撃技のことだ)が記載されていた。
説明文を読む。
そこには「斬撃した相手の動きを一瞬だけ停止させる」と書いてある。
中々に強力な技のような気がした。つまり、このスキルは「隙をつくる」スキルなのだ。
戦闘に於ける「一瞬の隙」とは、「致命的な死因」に他ならない。それを技ひとつで生み出せるのは、もはやチートの領域に踏み込んでいるのではないだろうか。
と。
鏡夜がにわかに高揚してきた時、他の面々の弾んだ声が聞こえてきた。
「あっ、オートヒールのスキルレベル上げられる! これでMP消費なしでパーティーが回復できるし、だいぶ安定するね」
「オレは殴打スキルを上げたぞ。さっきのハイゾンビくらいなら一撃で倒せるようになったかもな」
「私は……新しい魔法を覚えました。ちょっとだけワープできるみたいです」
ヒーラーの黒木、拳闘士の合田、魔道士の川園がそれぞれ言う。
鏡夜は思った。
(え、なにそれ、チートじゃんっ!)
それからパーティーリーダーである勇者、石動が聖剣を鞘にしまった。
「俺は聖剣適正をあげた。……」
石動が微かに鏡夜を見たが、彼の視線には何も期待したようなところがない。
それも仕方がないことだ。
というのも、鏡夜のジョブである盗賊は下級職なのだ。他の面々はみな、上級職であり、その力は鏡夜と比べれば途方もない。
勇者の石動は言うに及ばず、ヒーラーの黒木は「聖職者」の上位ジョブである「大聖女」、剣闘士の合田は「戦士」の上級職「拳闘士」、魔道士の川園は「大賢者」だ。
そこにぽつんと盗賊が入っているわけだ。
正直なところ、鏡夜はパーティーの戦力にカウントされていない。
では、どうして下級職である鏡夜が、勇者のパーティーに居るかと言えば、それは王国に決められたからだ、としか言いようがない。
異世界転移、という言葉がある。
その中でも特殊(と言えるかどうかは定かではないが)な事例として、クラス転移、という概念が存在している。
クラスが丸ごと異世界に行ってしまう、ということだ。
鏡夜たち二年三組は、全員がこの異世界に来てしまった。
そして、世界を救うための英雄として、今はレベル上げに勤しんでいるのだ。
「……数あわせだしね、ぼくは」
呟いてから、鏡夜は短剣を鞘に収める。腕に一筋、血液が流れていることに気づく。さきほどの戦闘は過酷だった。
ハイゾンビ、という上級のアンデッドが現れたからだ。
ハイゾンビを倒すことは中々に難しく、鏡夜以外の全員が討伐に動く必要があった。
その一方、鏡夜はハイゾンビが引き連れていた五体のスケルトンを引きつけることが精一杯だった。その中の三体を倒すことはできたが、残りの二体には苦戦してしまった。
その結果が腕の怪我である。
「あっ、移木くん大丈夫?」
鏡夜の負傷を見つけ、ヒーラーの黒木が近付いてくる。
黒木都は美少女だ。長丈の錫杖を引き摺り、RPGでよく見る如何にもヒーラーが着ていそうな僧衣を身に纏っている。この薄暗い『死者の迷宮』に於いても、その黒髪は清らかに美しい。
清楚な印象の服装とは裏腹に、その胸は暴力的にまで膨らみ、僧衣を強く押し上げている。
黒木が軽く屈む仕草をして、上目遣いで見てきた。
「回復、する?」
優しく、そして魅惑的な仕草に、鏡夜が息を呑んだその時。
「いらん」
石動だった。
冷たく、石動が黒木の腕を引っ張る。「あ」と驚いたように目を丸くする黒木を無視して、石動は強引に先へ進もうとした。
それから、鏡夜を睨んできた。
「スケルトンていどに負傷して、それをいちいち治すのはMPの無駄だ。てめえなんかに掛けるコストはないんだよ」
「で、でも、石動くん……移木くんも頑張ってたと思うけど」
「回復薬あるだろ。それ使っとけ」
石動の冷酷な声は、死者の迷宮によく響き渡った。
腕を引かれていく黒木が戸惑いの表情を見せる。だが、負傷した当人である鏡夜は、ただ、曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。
▽
二年三組は総勢二十人の大所帯であった。
しかしながら、パーティーを組める最大人数は五名。
つまり、二十人いれば、自然と生まれるのは四チームである。その四チームは実力、構成バランス、そういった面を加味して編成された。
実質、最大戦力の石動、そしてその石動を守るためにヒーラーの黒木、彼と仲が良好な上に前衛のアタッカーが可能な合田、魔法が使える川園……
この戦力はあまりにも過多であり、他の三チームはどうしても弱くなってしまう。
ということで、編成上のバランスが良かったこともあるが、一番弱いとされる鏡夜が、最後の五人目に数あわせとして加入したのだ。
しかし、鏡夜としては非常に心地が悪い。
何故ならば、鏡夜は根っからの根暗人間であり、石動や合田のような乱暴な人間には、どうしても虐められてしまう気質があった。
それは異世界にやって来た今だけでなく、かつての世界に於いても同様だ。
まだ「あちらの世界」に居たときも、鏡夜は彼らから日常的に暴力を受けていた。サンドバッグにされていたのだ。
その待遇が急に変わることなど、あり得ない。
前方を気怠げに歩いていた石動が不意に振り返った。彼の視線は忌々しげに鏡夜を捉えている。金髪に染めた髪が軽く乱れている。
「おい、てめえ。盗賊なんだから一番前を歩け」
勇者であり、正式なパーティーリーダーである石動に命令されては断ることはできない。
元々、ダンジョン攻略で盗賊が先頭を歩くのは当然のことだ。ただし、これは「盗賊技術」を有している盗賊であれば、の話である。
鏡夜は石動の命令により、盗賊らしさよりも目先のちょっとした戦力に力を寄せている。
罠の感知はできないし、当然、宝の解錠も不可能だ。
索敵技術もほとんど持たない。
それでも。
それでも、鏡夜は盗賊として十二分に活躍した。前方の索敵は未経験ながらにも上出来だったし、罠についても引っかかることはなかった。
だが。
ダンジョンは決して甘くはなかった。
二時間後、そこにはひとり、ダンジョンの奥底に置いて行かれ、重傷を負った盗賊の姿があった。
周囲に人間は誰も居ない。
そう。人間は。
「……殺してやる。絶対に、殺してやる」
全身から血を流し、地面を掻くようにして掴む。この場から逃げ出すべく、必死に床を這おうとするが、それは敵わない。
何故ならば、鏡夜の下半身には、三体のハイゾンビが群がり、彼の肉を喰らっているからだ。
移木鏡夜は生きながらにして、ゾンビにその肉を貪られていた。
「許さない、絶対に許さない! くっ、あああああああああ!」
叫びは仲間には届かない。
いや、きっと彼には最初から仲間なんて居なかったのだろう。悔しさと痛みとで涙が止まらない。血が止まらない。
異世界に来たら……何かが変わるのだと思っていた。
きっと石動たちとも和解ができて、異世界で徐々に信頼関係を築き上げ、最後には全員が笑ってハッピーエンドを迎える。
そういう物語なのだと思っていた。
でも。
「よくもぼくを裏切りやがって! ぼくを囮にして、餌にして! どうして、どうして助けてくれないんだよ! 言ったじゃないか、帰ろうって。それなのに――殺してやる! 絶対に殺してやる!」
鏡夜の叫びはもはや悲鳴ではなく、断末魔だった。
殺意の言葉の矛先は、己を喰らう死体ではなく、裏切った勇者たちに向けられていた。しかし、鏡夜の声は徐々に掠れ、消えていく。
身体を喰われているのだから当然だ。
腹の辺りにまでハイゾンビの牙が突き立てられ、とうとう盗賊は意識を失いそうになってきた。中途半端に上昇させた体力ステータスが、今の今まで気絶を許してくれなかったのだ。
やっと痛みから解放される。
そうやって安堵した鏡夜の前方に、知らない気配が出現した。
靴音がつかつかと近付いてくる。
その気配の持ち主は小さく微笑み、そうして口内の牙を剥き出しにした。まるで誘惑する小悪魔のように。
気配の主は――少女の造形をした化け物だった。
「……あ」
思わず鏡夜は化け物を見上げ、絶句してしまう。ハイゾンビに噛まれる痛みすらも忘却し、ただ純粋に――怪物に見惚れていた。
その夜空に爛々輝く星のような銀髪。
人外じみた整い方をした顔立ち、すらりと通った鼻筋……そこに見えるアンバランスで狂気的な牙の鋭さたるや。
ふふ、と怪物が妖艶に微笑んだ。
「面白いね、キミ」
ちょっとだけ。
「味見をさせておくれよ」
▽
これが吸血鬼・ヴィクティム・シファーと移木鏡夜との――出会いであった。
第一話の読了、お疲れ様でした!
よろしければ引き続き、第二話も読んでくださると嬉しいです。