可能性は数パーセント
「それは数パーセントだ」と彼は言った。
彼はそれはほとんどないと言っているのだろうか。
僕は彼女の浮気を疑っていた。昨夜決定的ともいえる証言を得てその彼女の浮気疑惑は疑惑では済まなくなってきた。僕はショックだったけどそれでも彼女がそんなことをするはずがないと心の底では信じていた。
そこで恋愛経験豊富な彼に相談することにした。僕は昨夜友人から男と一緒にお城のような外観のラブホテルから彼女が出てきたという話を聞かされたこと、その友人から聞いたそのラブホテルの住所を詳しく説明した。
彼は恋愛経験豊富だった。僕の記憶のなかでは彼はいつも女を口説いていた。彼は一日朝昼晩と三食しっかり食事をして必ず食後に決められた薬を飲むみたいに女を口説いた。彼にとって女を口説くことは習慣化されていて、女を抱くことが義務化されているように常にストイックに女と向き合っていた。これまで多くの恋愛経験を積み重ねてきたその道のプロだった。
そのプロが言った「数パーセント」という確率は信憑性がありそうだ。残りの90パーセント以上は彼女の浮気がないことを意味づけている。それが降水確率なら雨は降ることはない、傘を持つ必要はないことを意味している。彼に相談したことは正解だったと思った。僕は彼に礼を言って「じゃあまた」と相談場所にしていた大手チェーンのハンバーガーショップで別れた。お礼がてら彼より先に伝票を手に取り「ここの支払いは僕が」と言いたいところだったが、料金は先払いのセルフサービスだったし、そもそも金額がしれている。日を改めて食事でも奢ろう。
車に乗り込み駐車場から左にウィンカーを出して大通りに出るタイミングを伺いながら僕は「数パーセント」について考えていた。大通りは元々交通量が多く、夕方の帰宅時間に差し掛かっていたためなかなか通りに出ることができなかった。同じくハンバーガーショップの駐車場を出ようとしていた車が僕の車の後ろにぴったりとつけた。早くいけ、ということらしかった。僕は「数パーセント」のことを考えるのをいったんやめて、大通りに出ることに集中した。僕が車を少し前に出すと後ろの車も少し前に出した。バックミラーで後ろの車を見ると左のウィンカーが点滅をしていた。チカチカチカとタイミングまで一緒だった。よく見ると車種は違うけど同じホンダだった。僕はバックミラーに写る後ろの車の運転席の男を見て、その男も彼女の浮気を疑っているのかもしれないと思った。さらに視線を横にずらすと助手席に女が座っていた。そこに女が座っているということはまた話が変わってくる。普通に考えればその男と女はカップルなのだろう。恋人なのか夫婦なのか。でもいまの僕はそんな普通な発想しかできないつまらない男ではない。なんせ恋愛経験豊富な彼とさっきまで話していたのだから。「数パーセントだ」と僕は思った。すると新たに別の男の顔が脳裏に浮かんだ。二枚目とは言えないがそこそこの顔はしている。だけど冴えない感じの男だ。その男は僕の友人や知り合いではない。後ろの車の助手席に座る女の彼氏かまたは旦那とみられる男だ。その男は彼女かまたは妻とみられる女の浮気を疑い、僕と同じように恋愛経験豊富な友人に相談をした。もしかしたらそれは僕が相談した彼かもしれない。彼は恋愛経験豊富であるように人付き合いがよく友人が多く人脈も豊富だからあり得なくもない。男は僕の友人の恋愛経験豊富な彼に女が浮気をしているかもしれないと相談したんだ。すると僕の友人は「(浮気をしている可能性)それは数パーセントだ」と言ったのだ。男はほっと胸をなでおろしたのだろう。そもそもそこまで疑っていたわけでもないし、と安心にも似た感覚でいたのだろう。たがさすがは恋愛経験豊富な彼だ。ある意味彼の予想は当たっていたのだ。いま僕の後ろの車の運転席に座る男は「数パーセントの男」だった。
恋愛経験豊富な彼は何も90パーセント以上ないと言ったわけじゃない。浮気をしている可能性は数パーセントあると言ったのだ。その数パーセントを見事に的中させたのだ。
「さすがだ」と僕は独り言を言った。後ろの車がクラクションを鳴らした。僕に見透かされたように当てられたことへの腹癒せみたいだった。ちょうどそのタイミングで大通りを走る車の列に入り込めるスペースを見つけて素早くアクセルを踏みスマートに割り込んだ。左のドアミラーを覗いた、後ろのホンダの車はしばらく合流は難しいだろう。
大通りに車を走らせると程なく渋滞になってほとんど前に進まなくなった。僕は暇をもてあまし、また「数パーセント」について考えることにした。僕の彼女が数パーセントの男に抱かれているシーンがいきなり脳裏に浮かんだ。僕は部屋に何人かの友人を招きテレビをつけたら間違えていやらしいDVDが流れだし、その女優の喘ぎ声に慌ててるみたいに動揺した。心臓の音が車のCDデッキのスピーカーから聞こえているように重低音で鳴った。その音の一つ一つは鳴ってからすぐには消えず車内にとどまった。それで次々に鳴る心臓の音はどんどん車内に溜まっていって僕は息苦しくなって運転席の窓を半分くらい開けた。たまたまとなりの車線にはハンバーガーショップの駐車場で後ろにいた車が渋滞のせいでそこに停まっていた。助手席の彼女かまたは妻とみられる女は窓をぜんぶ開けてぼんやりと外を見ていたので僕と一瞬目があった。いかにも浮気をしそうななかなかエロティックな雰囲気の女だった。どことなくいやらしいDVDの女優にも似ていた。それでまた僕の彼女が数パーセントの男に抱かれるシーンが脳裏によみがえってきた。一度びっくりした後だから今度はそこまでは驚かなかった。だけど彼女の喘ぎ声が規定のものより大きかったから僕は開けたばかりの運転席の窓を素早く閉めた。そしてCDデッキの音量のボタンを押し彼女の喘ぎ声を規定よりも少し小さくした。数パーセントの男も彼女も裸だった。僕の彼女は数パーセントの男に抱かれ小さく喘いでいた。声が大きいよりはマシだ、と僕は思った。彼女はとても幸せそうに気持ち良さそうな顔をしていた。気持ちいい、気持ちいい、と言っていたからそれは間違いなかった。数パーセントの男は彼女をやさしく愛撫し焦らすように後ろにまわりゆっくりと腰を動かした。僕は後ろの車からクラクションを鳴らされ前の車が一台分進んだあとのスペースを埋めるようにゆっくりと車を前に動かした。不意に心が癒されるような音楽が聴きたくなりダッシュボードからCDを何枚か取り出し、そのなかから一枚をデッキに入れた。Mr.Childrenの『車の中でかくれてキスをしよう』だった。僕はMr.Childrenのファンで「心が癒されるような」という条件にはこの曲が当てはまるとベテランのラジオDJのように選曲した。車の中で妄想した数パーセントの男と彼女のキスを見てしまったからかもしれない。その二人はキス以上のこともしてしまっているのだが。音量のボタンをいつもの位置に戻した。スピーカーから聴こえてきたのは桜井和寿の歌声ではなく彼女の吐息だった。さっきまでの激しさとは違うMr.Childrenのバラードナンバーのようなゆったりとした心癒される吐息だった。彼女のその吐息を聞く限り数パーセントの男はなかなかのテクニックを持っているようだった。さらに今度はぐったりとしている彼女を立たせて、ベッドの左側にあるバルコニーの窓に彼女のからだを押し当てそこから一気に数パーセントの男は彼女の中に入り立ったままで腰を動かした。やがて二人で果て数パーセントの男は彼女の中に入れていたそれを抜いた。僕はまたもや後ろの車にクラクションを鳴らされ反射的にウィンカーを出して交差点を左折した。左折したその通りはそこまで渋滞はしていなくてそこから一気に同じ車線のままで車を走らせた。やがて二車線になり駅前方面につながる通りを抜けた。
僕は通りにあるかなり大型店舗のパチンコ店の駐車場に車を停めて恋愛経験豊富な彼に電話をした。コール音もなくすぐに彼は電話に出た。彼は何かと忙しくしている、時間を取らせてはいけないからすぐに要件を話した。
「君はさっき彼女が浮気をしている可能性が数パーセントだと言ったんだよね?」と僕は聞いた。彼が彼女の浮気をしている可能性は90パーセント以上ないと言って僕を勇気づけてくれているのかと勘違いしていたが、実は数パーセント可能性があると忠告していたことに気がつき彼に確認せずにはいられなくなった。恋愛経験豊富な彼の本心を確かめておかなくてはと思った。
「可能性?いやただ数パーセントと言ったんだよ。ちょっと待って。いま運転中、後で掛け直す」と言って彼は電話を切った。僕は「すまない」と言ったがすでに電話は切れていた。
僕は彼からの折り返しの電話を待つとも無しに車のシートをめいっぱい倒しておもいっきり背伸びをした。僕はパチンコをするつもりでこの駐車場に停めたわけではなかったから、パチンコ店の店舗からはかなり遠い場所に停めた。パチンコに来る客はなるべく歩かないでいいように店舗の近くに車を停めるから僕が停めた場所にはほとんど車はない。停まっているのは僕の車と5台分くらい向こうに停まっているホンダの車一台だけだ。ホンダの車?僕は運転席のシートを倒して寝っ転がった態勢のまま後部座席の窓からその車を見た。その車はハンバーガーショップの駐車場で僕の後ろにいて、大通りの渋滞では右車線にいたエロティックな雰囲気の女とその浮気相手の数パーセントの男が乗った車だった。今度はパチンコ店の駐車場で5台分向こうに停まってる。村上春樹の小説ならここで言うことはきまってる。やれやれ、だ。そして彼らが停めた駐車場の位置からしてパチンコをしに来たわけではなさそうだ。よく見ると車内に二人で乗っている。それも折り重なるように抱き合ってキスをしているようだった。「数パーセントの男、恐るべし」と僕は思った。この数パーセントの男もまた、恋愛経験豊富な彼と同じように義務としてストイックに女を抱いているのかもしれなかった。そんな事情はさておいてこっちはあんたらが車の中でいちゃいちゃしているのを覗いて見つづけるほどに暇じゃない。
僕は運転席のシートに寝そべってこのまま目を閉じてしまったら寝てしまうな、と思いながら目を閉じた。いけないと思いながら浮気をしてしまう感覚と似てるだろうかと考えながら少しずつ眠りに落ちていった。しかし僕の隠喩としての浮気は未遂で終わった。電話のコール音に救われた。恋愛経験豊富な彼の折り返しの電話だと思い確認もせず電話を取った。
「はい、はい」と夢見ごこちでまだ意識がはっきりしていなかった。
「パチンコしてるの?」と女は聞いた。信じられないといったトーンで。
「いや、してない」と電話口の女が誰かもわからずとりあえず答えた。
「お城のようなパチンコ店にいるでしょ?」と女は聞いた。僕はこの声を聞いたことがある。この女性を知っている。それもかなり親しく。僕はパチンコ店の店舗を見た。赤い三角錐の屋根の塔がついたお城のような外観の店舗だった。
「あっほんとだ、お城だ」と僕は独り言のように電話口で言った。
「やっぱり〜」と女は言った。このやっぱり〜、は間違いなく僕の彼女だった。
どこからか見られていることに気がついて、もしや?と思って5台分向こうに停まってるホンダの車を見た。数パーセントの男がエロティックな雰囲気の女の豊かな胸をやさしく揉んでいる最中だった。「失礼」とエロティックな女に声にせず詫びた。感謝の念もそこにはあった。
「君はどこにいるの?」と僕は聞いた。
「数パーセント」と彼女は言った。
「数パーセント?」と僕は聞き直した。
「数パーセントよ、となりの」
となり?5台分空けてとなりには数パーセントの男のホンダ車は停まっている。今まさにその男が胸を揉んでいる女性は僕の彼女ではない。逆の方向を見渡した僕の目にパチンコ店のとなりというかほとんどつながっているように隣接する大きな施設が飛び込んできた。車で通りを走っていて見過ごすはずのない大きな看板があった。看板によるところ、ここのパチンコ店の会社が母体となっていて運営しているボウリング場、ゲームセンター、ファミリーレストランなどいろんなお店が集まったアミューズメントモールだった。
「最近ハマっちゃってさ。肌に合うっていうか気持ちいいの」と彼女は言った。相当に数パーセントの男と相性がいいのだろうか。僕が運転中にみた妄想みたいに。
「ここ、ここ、見える?」と彼女が言うから僕は車から降りて見渡した。隣接する駐車場で彼女が手を振っていた。
「わかった、とにかくそっち行く」と言って僕は電話を切った。彼女のとなりに数パーセントの男がいたら僕はどんな対応をするんだろうか。自分でもわからなかった。気持ちいい、気持ちいい、と言って抱かれている彼女の姿が脳裏によみがえる。僕は怒るべきなのか悲しむべきなのか、どのような感情をチョイスしたらいいのかわからなくなっていた。すると恋愛経験豊富な彼から電話がかかった。
「おまえさあ、オープンしたばかりのスーパー銭湯知らないの?あんだけCMとかやってんじゃん」と彼はいきなり話し始めた。僕も知らなかったんだ。誤報を知らせた友人と同じく。
「いま来てる。風呂でも入ってくるよ。わざわざ折り返しすまなかった」と言って僕は電話を切り車をほんの少し先の駐車場まで走らせた。去り際にホンダ車を覗くと警備員に注意されていた。通りすぎながら僕は「車の中ではキスまでにしときなよ」と思った。
※この作品はきわめてダジャレ的な「聞きまちがい」をテーマに書いたものです。ニュースで耳にした「数パーセント」が「スーパー銭湯」に似てるなと、思いつきで書きました。よって気楽に読んでもらえたら幸いです。
『可能性は数パーセント』阿倍カステラ
この作品はきわめてダジャレ的な「聞きまちがい」をテーマに書いたものです。ニュースで耳にした「数パーセント」が「スーパー銭湯」に似てるなと、思いつきで書きました。よって気楽に読んでもらえたら幸いです。