第74話 目、覚めた……?
「じゃあ行ってくるね。戸締りだけはしっかりしておいてね」
「……はい」
朝、会社に向かうため靴を履く白瀬。前日に白瀬が社長に相談し、芹はしばらくの間休むようにと指示が出た
「……何度も休んですいません」
「社長がいいって言ってるんだから大丈夫。ただ……この会社が特別優しすぎるからね。他の場所なら即クビだよ?」
「……分かってます」
「分かればよし!しっかりと休んで、ちゃんと落ち着きなよ。あ、そうだ……」
白瀬はポケットを弄り、鍵を取り出した
「出かけるなら鍵していってね」
スペアの鍵を芹に渡した
「じゃあ行ってきます」
軽く芹に手を振り、部屋を出る白瀬
白瀬が出ていったのを見届けて、芹は再度布団に入り込み、何も考える間もなくそのまま眠りについたーー
「ーー……十時」
二時間程眠った芹。起きても何かやる気も起きず、ただベッドの上で天井を見上げていた
ーーピンポーン
と、白瀬の部屋に来訪者が来たようだ
出ない訳にもいかず、重く、ダルい身体を起こして玄関を開けた
「……はい」
「あ、芹ちゃん‼︎」
扉を開けるやいなや抱きつかれる芹。視界は真っ暗になり、顔には柔らかい感触が襲う
「良かった……良かったよぉ……」
「んっ……ん゛ん゛っ‼︎ぷはっ!な、菜由さん……」
来訪者は菜由だった
「ーーアイスコーヒーを一つ。芹ちゃんは?」
「えっと……私も同じものを……」
芹は勝手に白瀬の家に菜由をあげることは出来ない為、近くの喫茶店で話すことになった
広いスペースのある店内だが、時間が時間な為か、お客は芹達だけだった
「……聞いたわ。芹ちゃんが兄さんの娘だって」
「……みたいですね」
芹の予想通り、話題は自分が京の娘であることについてだった
「聞いた時は驚いたわ……まさか芹ちゃんが……」
「……私も同じです」
菜由は白瀬からその情報を聞いた。といっても、白瀬自身は誰にも言わずに内緒にしておこうと決めていたのだが、昨日の買い物時、偶然菜由と出会い、察しの良すぎる菜由に気付かれてしまい、話してしまったのだ
今日この時間に訪問したのも、会社を休みになっている事を白瀬から聞いていたからだ
「……ねえ。これからどうするの?」
「どうする……とは?」
「兄さんのこと。芹ちゃんはどうするつもりなの?」
そんなこと、答えは決まっている
「……私は京さんの……お父さんの娘です。娘は娘らしく振る舞いますよ」
芹は昨日、考えに考えた。自分はこれからどうやって京と接すれば良いのか?悩みに悩んだ結果、自分は京の娘として振舞っていこう。京に迷惑がかからないようにと……
「……本当にそれでいいの?」
「……良いですよ。仕方ありませんから」
「……そう」
菜由は芹の返答を聞き、手元にあったお冷を手にした。そしてーー
ーーバシャン
芹に向かって、コップに入った水を顔にかけたのだ
「な、何するんですか⁉︎」
芹は突然のことで驚きを隠せず、机を叩いて、菜由に詰め寄った
「目……覚めた?」
空になったコップを置き、また水を汲み始めた
「覚めてないなら、もう一回かけてあげるけど?」
ヒタヒタになった水を持つ菜由
「……目なら覚めてます」
ーーバシャン
「またも芹に向かって水をかける菜由。水をかけられ、前のめりになっていた体勢が崩れ、椅子に座り込んだ
「もう一回聞くよ?目……覚めたの?」
「……覚めてますよ」
もう一度水をかけようと手を動かす
「ーー覚ました上でそう答えてるんです‼︎」
ーーバシャン
三度水を芹に浴びせた。周りは水浸しになり、芹の髪も服もびしょ濡れになった
「覚ましてないよ。芹ちゃんはずっと寝てる」
「……だからっ……覚めてますって」
芹は滴る水を拭うこともなく、俯いていた
「……あなたの気持ちはずっと寝てるんだよ」
「……っ‼︎」
芹は確信を突かれたのか、下唇を噛んだ
「私が聞いてるのは、芹ちゃんがどうしたいかってこと。どう振る舞うべきかなんて聞いてない。どう振る舞いたいか聞いてるんだよ」
菜由は芹の偽りの言葉など、聞きたくなかった。聞きたいのは本音。芹がどうしたいかだ
「そんなの……そんなの京さんの隣に居たいに決まってるじゃないですか‼︎」
俯いていた顔を上げ、声を荒らげた
「娘としてじゃない……恋人として!彼女として!……お嫁さんとして‼︎……京さんの隣にっ……立ちたい……歩いていきたい……‼︎」
とうに枯れ果てたと思っていた涙はまた溢れ出した
「……私はね、愛に良いも悪いもないと思ってるの。同性愛であっても、母と息子であっても、父と娘であっても。……兄弟であってもね」
「……菜由……さん?」
菜由の目にも涙が浮かんでいた
「……私もねっ……兄さんが好きだったの……でもね、ダメだと言い聞かせて、自分の気持ちに嘘をついた分だけ苦しんだの……辛くて苦しくて……そして、後悔してた。だから、芹ちゃんには自分の気持ちに嘘はつかないで」
菜由は立ち上がり、芹の横へ移動し、水浸しになった椅子を気にすることなく、びしょ濡れの芹を抱きしめた
「……気持ちに嘘をつく必要なんてないから。父と娘では結婚出来ない?結婚することだけが、愛の形じゃないよ」
菜由はさらに力強く抱きしめた
「ーー愛してるなら……そんなのは些細な問題だよ」
菜由の言葉に芹の涙は溢れ出した
ーー救われた気がした……何もかも諦めた自分の気持ちに光が射した気がした
「私……私はっ‼︎諦めたくないっ!」
「……うん!」
「誰にも渡さない!京さんの隣は私のものなんだから‼︎」
芹も菜由の背中に手を回し、強く抱きしめた……




