トラックを見送った男
異世界転生のテンプレが好きだった。何度も何度も読み返した、くしゃくしゃの紙幣で買った一冊がボロボロになったころ、俺は限界だった。会社でボロ雑巾のように使われ、陰口を言われては耐えてきたが、それも報われずちょっとしたミスでクビになった。人生に絶望した俺は無差別殺人さえ考えた。
街を歩く奴ら全員の笑顔が俺を馬鹿にしているように見える。何度も何度も俺は変わろうとした。けど誰も受け入れてくれなかった。唯一受け入れてくれた両親はあの世だ。
ねぇ父さん母さん。俺、異世界へ逝くよ。
涙と冷たい雨がしみこんだラノベを、傘も差さずに天に掲げた。曇天の空は俺を呑み込みそうなほど果てしなく続いている。いいさ、その暗闇の先に俺が主人公の世界があるんだろ?
ちょうどトラックが俺の立っている歩道から三機先の信号機で停まっている。あと少し、あと少し……
信号が赤になった。スピードを上げて近づいてくるトラック。決心はできた。誰も止めてくれるなよ。
……誰も止めてくれるなよ
……誰も。
――突風が吹いた。
ラノベの表紙がパラパラめくれて道路に投げ出される。俺は突然の強い風に眼をつぶって後退した。その瞬間、一瞬だけ両親の顔が浮かんだ。トラックに轢かれる俺の宝物のラノベ。大きな水溜りを踏んだタイヤが俺に勢いよく水しぶきをかける。
信号が青になった。
通り過ぎる人全てが俺を見ていないように通り過ぎていく。もう読めなくなった宝物は、俺と同じくびしょびしょに濡れて、地面にへばり付いていた。それでもなんとか原形をとどめている。
「『異世界――記――トラッ――チートなみの――まし――』」
雨に濡れた手で拾い上げたラノベ。長ったらしいタイトルが見えた。そういえばどういうタイトルだっただろう……
あ。そうか。
死ぬとはそういう事なのか。気づいた頃には信号がチカチカし始めていた。身体が凍え、唇が青ざめていく。空を見上げた。太陽光が俺を照らすスポットライトのようにさした。その瞬間、母親のぬくもりを思い出した。こども時代から大人時代に至るまで、良い事、悪い事、全てが走馬灯のように脳内に流れる。
そうか、俺は最初から主人公だったんだ。
俺は信号を渡りきった。通り過ぎるトラックを見ながらほくそ笑んで、
「ゲームオーバーにゃまだ早ぇよ」
そう吐き捨てた。
そんな俺は、宝物だったラノベの作者の名前を知らない。
人生、そういうもんだろ? な。
他人と同じ人生などおくれない。
だったら、「オンリーワン」でいいじゃない。
だって、案外誰も人一人一人を見ちゃいない。
てんでバラバラな方向を向いて生きてる。
それでいいじゃない。
絶望……じゃない、登れない壁を見て驚いただけだ。
だったら他の壁を捜せばいい。
そのことに全力を尽くせば良い。
私からのメッセージ。
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