魔王、毛細管現象の公式を思い出す
以後、数日に渡って様々な植物性油を取り出して、治験用のビーカーでマメ科のコマツナギから精製した藍色染料及び、水と混ぜ合わせた複数の試製品を作り、暫くの様子見となる。
“空間に漂う素粒子が原液の境界面と衝突した際、生じた熱エネルギーで溶液が蒸発すると溶媒の密度は高くなるのじゃ” と、リーゼロッテは難解な言葉を並べていたが… 自然濃縮法でインクの粘度を上げているだけに過ぎない。
「さて~、もう良いかのぅ♪」
品質管理のため、魔王公邸の地下室へ降りた彼女の様子を見にいけば、扉が開いたままの室内より、何やら楽しげな声が聞こえてきた。
小規模な研究室と化した内部では、使用成分・経過時間をメモった用紙を片手に品定めする小柄な姿があり、遠慮なく踏み込んだ此方に気付いて摺り寄ってくる。
「良いところにきたな、レオン。今から “万年筆” を作るのじゃ!」
「…… 何か目的が変わってないか、リゼ?」
「こっちも面白そうなのじゃ、致し方なかろう」
活版印刷に使うインクの開発はいつの間にやら、羽ペンに代わる筆記具の物へ主眼が移っていたらしく、いそいそと青白い肌のエルフ娘は持参してきた細かい部品を組み立て始めた。
「どうせなら、ボールペンの方が良い気もするな……」
「むぅ、軽々しく言ってくれるな、あれは造形技術の粋を集めた精密機器じゃぞ。いかな我らとて、未だ1㎜以下の完全球体を生産するのは無理なのじゃ。それにインクを入れる至極細長い円管も難易度が高い」
蒸気機関式の旋盤機はあっても、回転させた金属製の円柱に刃物を添えて削り、精度が高いドリルの刃を作ることすら難しく、筆記具の加工に使えるような極細の刃など至難の業だ。
そもそも、転移ゲートで繋がる地球から完成品のペンを持ち込めば済む話なのだが、現地生産できなければ普及を望めず、何よりも自種族の技巧で造れない事実がリーゼロッテとしては許せないらしい。
「まぁ、近いうちに製造できる水準まで眷族らを引き上げていく予定じゃがの」
「相変わらず、難儀な性格をしてるな、青銅のエルフ達は……」
「ふふっ、この執念こそが文明を発展させるのじゃ~っと、完成したぞ」
徐に彼女が差し出した万年筆を受け取り、続けて渡された自家製パルプ紙に適当な文字を書こうとしたら、ぼたぼたとインクが漏れてしまう。
これらの筆記具は “細管の曲面に沿って働く液体の表面張力” による毛管現象を利用して、インクを内蔵式のカートリッジより吸い上げるのだが… 表面張力σの導出には液体中の分子量を測定する器具が必要なため、(2σcosθ) / r = Δp の公式を用いた厳密な上昇力の計算はしてないのだろう。
「うぐぅ、粘度が足りなかったようじゃな」
さっと俺の手元から試作品を奪って、先程とは別のビーカーに由来するインクのカートリッジと詰め替えるも、今度は文字が掠れてしまう。
結局、複数回の試行錯誤を繰り返して最適な品質のインクが特定できるまで、旧知の青肌ロリエルフに付き合わされるのだった。
ボールペン、詳しく調べると本当に精密機器ですね(;'∀')




