魔王、胡桃割りを頼んできた本人に邪魔される
ここ最近、青銅のエルフ族に由来したゴム素材や精巧な金型、蒸気機関動力などを勢力圏内で独占的に取り扱い、せっせと活動資金を蓄えている経済派な吸血姫ことスカーレットの思惑もあり……
今日も今日とて、印刷に適したインクを開発するため、俺の私室で笹穂耳をピコつかせたリーゼロッテが実験室的製法の確立に勤しんでいる。
アルコールランプの火が固定器具の鉄芯の一本へ取り付けられた丸形フラスコの底を炙り、中身の水より生じる蒸気は接続されたガラス管を通って、直径による圧力調整を受けながら蒸留用の容器に絶えず流れていく。
そこには地下ダンジョン周辺の森林地帯で、モフモフな犬人達が “がぅがう” 吠えつつも採取してきた天然樹脂が入っていた。
「固形物の沸点は基本的に高いのじゃが、水分と混合することで低くなり、内包されている成分が気化し易くなるのじゃ♪」
「諸々含んだ気体を末端の冷却管で醒ますと液化してビーカーに溜まり、比重の差もあって樹脂油と水に分離する訳だな」
何のことは無い、古典的な植物由来の成分を抽出するための水蒸気蒸留法であり、曲がりなりにも森と共に暮らす亜人種として、霊薬を造る際に青肌エルフ達が多用してきた手段でもある。
滴る雫を僅かに見流してから、何故か手伝わされている胡桃割りを進めるべく、手元へ視線を戻せば横から伸びてきた手がひょいと一欠けら摘まんでいった。
更に留まる事なく、リーゼロッテの小さな口に追加の生胡桃が放り込まれて、まぐまぐと咀嚼される。
「元々は保存食なだけあって美味じゃな」
「おいおい、喰うためにやっている訳じゃないだろう」
またぞろ忍び寄ってきた手を軽く払い、適量の樹脂油が抽出されるまでの作業に没頭していたら、今度は一掴み分が強奪されて鋭い犬歯と強靭な顎に嚙み砕かれた。
「ん、うまうま」
「ヴィレダ、お前もか……」
暗殺された某ローマ皇帝の気分を味わいながら非難の眼差しを向けるも、昨秋の森で胡桃を確保してきたのは人狼族の有志である手前、文句を言うのに躊躇してしまう。
「後でローストしてやるから、余り生のまま齧るな、繊維質が多いから腹を痛めるぞ。というか、何か用事でも?」
「ないけど、樹木の匂いが漂ってきたから」
「そうか、水蒸気蒸留法は香水の製法でもあったな」
ローズマリーとか、ラベンダーあたりの香油を取り出し、麦を発酵させて作ったアルコールや水と混ぜて製品化すると売れるかもしれないが、平時の思考がビジネス寄りになる傾向は頂けない。
少し気を引き締めつつも、剝き身にした胡桃を砕いてきめ細かい布で包み、簡易なピストン構造の加圧機へと放り込み、樹脂油と同じく活版印刷用インクの原料になる胡桃油も搾り出した。
活版印刷用のインクは主に樹脂油とか、胡桃油で作られていたようですね。
粘度やら、速乾性やら色々と都合がある模様(*'▽')




