シーン3
ゴブリンの棲み家の場所はすでに聞いて知っているし、土地勘もあれば到着までたいして時間は掛からない。 森の中にある洞窟の前に緑色の肌に鼻の高い醜悪な顔の生き物が一体立っていれば間違いないと確信する。
リシアは素早く剣を抜くと身を隠していた大木の影から飛び出し、二十メートル程を一気に走って先制攻撃を仕掛ける。 どうしたって数は向こうの方が多いのだから奇襲を仕掛け相手の態勢が整う前に終わらせようという考えだ。
だがリシアが間合いを詰めるよりも見張りが大声を上げる方が早く、そいつを斬り倒すと同時に洞窟から何体ものゴブリンが跳び出してきた。
「何事!?」
「カチコミか~~~!」
ゴブリン達の言葉遣いが実際チンピラめいているのとその数には多少の迫力は感じられはした。
「思うとおりにいかないのが実戦とは分かっているけど……」
真っ先に跳び出してきた一体に斬り付けてから後退し、敵の数を確認すると十体はいた。
「女がたった一人だと?」
その中で一回り程大きな体格のゴブリンが首を傾げる、おそらくは奴がボスのゴブリンなのだろう。
「女の子だって!」
言い返してから突撃する、ゴブリン達もこん棒やら短剣やらの武器で応戦してくるが、ボス・ゴブリンは動こうとはしなかった。
「流石に不利……でも!」
背後を取られないよう注意しながら剣を振るう、だがゴブリン相手とはいえこの戦力差での実戦は初めてだった、すぐに防戦一方となってしまう。 一旦退却すべきかと思い付くも、そのきっかけも掴めない。
それでも何とか二体を倒せた、「あべぁ~~!?」と断末魔の声を上げながら地に仰向けに倒れた二体の身体が発光しと思うと黒い粒子となって消失するのを、リシアは不思議には思わない。
ゴブリンなど”魔物”と呼ばれる存在は神によって創られた命ではなく、大気中に存在する”マナリアル”と呼ばれる物質と人間の負の心のエネルギーが融合して生み出される歪んだ命だとされてる。
学者でもないリシアには真偽は分からないが、村に害をなす人でないものになら命を奪うという行為に抵抗を感じはしない。
「……ぐっ……!!?」
ダガーで利き腕を斬られ痛みに顔を歪めるリシアの、白い袖がみるみる赤く染まっていく。 正面からこん棒を振り上げて迫るゴブリンを迎え撃とうとしたが利き手に力が入らない。
その時に、「ちょっと待ったぁぁあああああっ!!」という少年の叫び声に敵の動きか止まらなかったら、リシアはやられていただろう。
「何奴ッ!?」
「このシグナ、お前達に名乗る名などないっ!!」
大声で名乗りながら剣を握り走って来る少年の少し後ろには、「いや、名乗ってるって……」と木製のロッドを持った少女。
「おのれ! 誰だか知らねえがかっこつけやがるっ!」
「……へっ!?」
ちゃんと聞いてなかったのか、それともボス・ゴブリンが単にノリのいい奴なのかは分からないが、あえて聞き返そうという気もクリムにはない。
「あんた達!」
「ギリギリセーフっ!」
リシアを庇うように前に出るとこん棒のゴブリンを斬り倒したシグナの剣の刀身は、片側だけが刃となっている。
残ったゴブリンが一旦後退し間合いを開くと、シグナもそこへ追撃を掛けようとはしない。
「何で来たのっ!?」
「無茶する奴を見捨てるとか格好悪いだろ!」
ゴブリンから目を離さずに言い返す。
「恰好悪いって……」
訳が分からないリシアに「……って、怪我してる? 動かないで下さい」と言いながらクリムが手を傷口に当ててきた。 すぐに少女の手から放たれた淡い光は、とても暖かく感じ、だんだんと腕の痛みが和らいでいくのに驚いた。
「これは……魔法?」
マナリアルは魔物を生み出すだけではない、このように魔法という名の力の根源ともなるし、大地から発掘されるマナリアル結晶はお湯を沸かすコンロなどの装置のエネルギー源でもある。
クリムは「はい、そうですよ」と頷くと、「でも、少し時間は掛かりますから」と付け加えた。
「たった二人の援軍など!! まとめてやっちまえ!」
「「「「「い~~~~~~!!!!」」」」
ボス・ゴブリンの命令に再び動き出すゴブリンに、「……ま、流石に待っちゃくれねえか!」と反撃を開始する。 相手をよく見ながら剣を振るうシグナの動きは決して素人のレベルではないが、それでもやはり数の差と後ろの少女達を守るために攻めに出られない。
「……ってか、お前は動かないのかよ!」
今ボス・ゴブリンに動かれても困るのではあるが、これはこれで舐められているようで少し腹が立つ。
「ボスってのは途中まで動かずジッと様子を見てる。 これ魔物の戦術の基本だだ、覚えて置け愚かな人間め!」
どういう戦術だよ……というツッコミは口に出さず、代わりにというわけでもないがゴブリンを一体倒した。
「……これで良しっと」
流れていた血は止まり、痛みも完全になくなった。 リシアも治癒の魔法の存在は知識として知ってはいたが、これほどとは思っていなかった。
「でもまだ無茶は出来ませんよ? 魔法っていっても所詮はヒトの使う力ですからね?」
無茶をすれば傷が開いてしまうかもという、少女の戒めの言葉に「……あ、ああ……」と無意識にそんな返事をしてしまうと、「……本当に分かってくれてるかなぁ……?」と疑いの目で見られたが、次の瞬間には真摯なものへと変わった。
「あなたにはあなたと理由があるんだとは思います」
「え?」
「でも、その理由はあなたを大事に思ってくれている人を泣かせる理由になるんですか?」
口調は穏やかだったが、彼女の水色の瞳には咎めるような厳しさがあった。 それに気圧されて何も言えないでいると「でしょ?」と優しく笑う少女。
「……って! 治ったなら手伝ってくれ!」
そこに少年の助けを求める声が聞こえ、少女達は顔を見合わせる。
「お願いしていいですか?」
「ああ、分った!」
無意識に落としていたのだろう剣を拾ったリシアは力強く地を蹴って斬り込んでいく、シグナの攻撃を回避したゴブリンに斬り付け倒すと彼の隣に立つ。
「冒険者の割には手こずっているな?」
「こっちはこれが初仕事!」
まだ数の上では負けているが単体での能力はシグナ達の方が上である、二人になり即席ではあるが連携で戦う事で形勢は逆転した。 数分でボス・ゴブリン以外は全滅する。
「な、子供如きに……!?」
「子供でもやれるって事っ!!」
切っ先を向けて言われ、ボス・ゴブリンは狼狽し思わず後さずりしそうになるのを、どうにか踏みとどまった
「おのれぇぇえええ俺だって仮にもボスの名を冠した魔物! 子供如きに退かねぇ! 媚びねえ! 省みねぇぇぇええええっ!!!!」
ボス・ゴブリンは半ばやぶれかぶれという風に大きなナタを振り上げシグナめがけて突進するが、それにひるむことなく「たぁぁぁああああああっ!!!!」という気合いの声と共に横一文字に剣を振るった。
その勢いのまま数メートル程を駆け抜け、そして停止すると同時に反転しボス・ゴブリンの後姿を見据えた。
「……ぐ……ぐあっ……!?」
ナタが地面に落ちて音を立て、続いてボス・ゴブリンの身体が糸の切れたマリオネットめいて崩れ落ちた後に消滅した。
「やったのか……?」
リシアの呟きに「ああ」と頷きながら剣を納めるシグナの額から赤い物が垂れていた。
「……って、シグナ!?」
「……ん? ああ、最後の攻撃が掠ったみたいだな」
クリムは「まったくもう……」と言いながら腰のポーチを開く、冒険の最中は大きな荷物は持たず最低限の道具をポーチに仕舞っておくことで、戦闘などの事態に邪魔にならないとストークから教わったのを実践しているのだ。
彼女が取り出したのは清潔な布とガーゼ、それにテープである。 布で血をふき取ると傷口にガーゼを貼りテープで止めるという動作は手慣れている感じだった。
「魔法は使わないのか?」
リシアの疑問にクリムは「うん、そうだよ」と頷く。
「だってシグナは魔法でパッと治るとなると無茶しそうだから、少しくらいは痛い目を見て我慢した方がいいの」
前にも聞いた事のある少女の戒めの言葉と自分を心配してくれていると分かるクリムの瞳に、シグナは肩をすくめるのだった。