よくあるギルド受付嬢の日常
私、レナ・カーレンスはギルドの受付嬢だ。
ここ、リンターの町のギルドで働かせてもらっている。
正直に言って、ギルドの受付という仕事はとても、とても、とても、めんどくさい仕事だ。
今日はそのめんどくさいギルドの受付という仕事みなさんにもみてもらいと思う。
「あのー、スライム討伐の依頼を受けたいんだけど」
「はい、では冒険者カードを見せてもらえますか?」
「ゴブリン倒してきましたよー」
「ご苦労様でした。確認したいのでゴブリンの死体を見せてもらえますか?」
「冒険者登録したいんですけど」
「ありがとうございます。ではこちらの用紙に必要事項を記入してもらえますか?」
「はあー、本当に疲れる」
おっと、いけないいけない。つい本音が漏れてしまった。私は冒険者たちにギルドで一番クールで綺麗な受付嬢で通っているんだから自覚を持たないと。
私が弱い自分を正していると、向こうからいかつい顔をした男が目の前にやってきた。
足がふらついておぼつかないところを見ると、まだ昼前だというのに酔っ払ってるみたいだ。
「レナちゃん今日も可愛いね〜。俺と一緒にご飯食べに行かない?」
ああ、これはめんどくさいタイプだ。
「ありがとうございます。でも、今は勤務中なのでまた次の機会に」
「そんな堅苦しいこと言ってないで俺と遊ぼーよ」
こいつ早く帰ってくれないかな。
「ですから、勤務中なので⋯⋯」
あくまで断ろうとする私に、
「いいから言うこと聞けよ!」
男は怒鳴り声を浴びせる。
いきなりの出来事にほかの冒険者がこちらを向く。
普通の受付嬢だったらここで押し切られてしまうかもしれない。
だが、私はギルド一人気な受付嬢。この私が困っていたら他の冒険者がかならず助けてくれる。
「や、やめてください。他の冒険者のかたのご迷惑になりますし」
大丈夫、言わずともすぐに助けてくれる。
「だったら俺の言う通りにしろよ!」
助けてくれるはず⋯⋯。
「だ、誰か助けて⋯⋯」
しかし、こちらを見ている冒険者は誰も助けようとしない。あろうかとか目をそらす者までいる。
「誰も助けたりしねぇよ。黙って俺と一緒に遊ぼうよ」
まったく、ここの冒険者は⋯⋯
「黙ってないでさっさと助けろよ! 綺麗な受付嬢が絡まれてるのになんで黙ってんだよ。お前も遊ぼう、遊ぼう、うるさいんだよ、お前と遊んでくれる物好きな女なんていないから一人で勝手にどっか行け!」
私の怒鳴り声がギルド全体に響いてこだまする。少し騒がしかったギルド内も一瞬で静かになった。
男は目を丸くしキョトンとしていたが、すぐに焦り出し涙目で謝り出す。
「ごめんなさい。俺なんかが調子に乗って。もう何もしないので許してください 」
そう言って男は土下座し始めた。
周りの冒険者は私を引いた目で見ている。
あ、やっちゃった。
「私のイメージが崩れたー」
私はギルドの休憩室の机に突っ伏して、先ほどの失態に涙していた。
「あはは、さっきのレナ面白かったねー。冒険者みんな帰っちゃうし、奥にいた子供なんて怖かって号泣してたよ」
隣で面白そうに笑っているのは、私の親友のネネだ。
「人が本気で落ち込んでるのに笑うのやめてもらえる!」
「なによ今更。この前だって報酬に言いがかりつけてきた冒険者に怒鳴り散らして一週間出禁にしてたじゃん」
この女、痛いところをついてくる。
「そのさらに前は、酒場で喧嘩してた冒険者を止めようとしてたけど、独り身って言われてブチ切れて、冒険者に襲いかかってそいつ半泣きにしてたじゃん」
私、そんなに無法者みたいなの?
「そのさらに前の前は、おばさん呼ばわりしてきた冒険者にー」
「私が悪かったのでもうやめてください⋯⋯」
――少しくらいは節度のある生活をしよう。
「分かったでしょ。冒険者もこれくらい慣れてるわよ。せいぜい今日一日冷たい目で見られるだけよ」
それもかなり嫌なんだが。
「じゃあそろそろ休憩終わるし戻ろうか」
も、戻りたくない⋯⋯。
「私早退しようかな。ていうかこの仕事やめたい」
「バカみたいなこと言ってないで早く行くよ!」
結構本気で言ったつもりなんだけど。
受付に戻ると冒険者たちがちらちらこちらを見ていた。心なしかひそひそ陰口を言われてる気がする。
受付に来た人も私の方には並ばず、ネネの方に並んでいた。
「冒険者に避けられてる⋯⋯」
「あのー」
もう帰りたい⋯⋯。
「あのー」
明日からどうやって冒険者と接したらいいんだろう。
「あのー」
もうほんとにこの仕事やめようかな⋯⋯。
「なんでさっきから無視するんですか⁉︎」
目の前を見るとカウンターの下で8歳くらいの男の子が私を怒りを込めた表情で見つめていた。
「あっ、ごめんね。お姉さん気がつかなかった。何か用かな?」
彼は、俯いて、
「実は⋯⋯、お父さんが2日前ギルドで依頼を受けてから帰ってきてないんです」
小さい声でそう呟いた。
「お父さんを探して欲しいってこと?」
「――うん」
これは重たい話になりそうだ。
「僕はお金を持ってるのかな。一応依頼を出すにもお金がかかるんだよ」
男の子はポケットから、子供が持っているにしては大金――しかし、依頼を出すには圧倒的に足りない額を取り出した。
彼は心配そうにこちらを見つめてきた。
どうしたものか。
「お父さん、簡単な仕事だからすぐに帰ってくるって言ってたのに⋯⋯」
彼はそう言ってまぶたに涙を浮かべた。
正直に言って冒険者がいなくなるという話は珍しい話ではない。命がけでモンスターと戦うのだから何かあっても不思議ではないからだ。
だから冒険者捜索の依頼は受理されるのが遅くなることも少なくない。
「お姉さん、お父さんを助けて」
こんな子供が涙目でこんなことを言ってきたのだ。私は困っている女性さえ助けない冒険者たちとは違う。
こう言うしかないじゃないか。
「分かった。お姉さんがなんとかしてあげるからお父さんのこと話して」
私はネネとともにギルドの裏の部屋で男の子に話を聞いていた。
「お父さんの名前なんて言うの?」
「えっと、ラオスっていう名前」
ラオスさんか⋯⋯。
確かこの町でもかなり腕が立つ方の冒険者だったはずだ。彼が帰ってきてないなんてどんな依頼を受けたんだろう。
「レナ、ラオスさん二日前に森の奥のゴブリンの群れの駆除の依頼を受けてるよ」
たかがゴブリンの駆除? 彼ほどの実力者がそんな依頼で失敗するわけない。
何かあったに違いない。
「分かった。これだけ情報があれば大丈夫。お姉さんがお父さん探してくる」
「レナが行くの⁉︎」
ネネが驚いた表情で私に問いかける。
「誰か他の冒険者に行ってもらえば⋯⋯」
「他の冒険者に説明している時間はないよ。それに、ラオスさんでも失敗するような危険があるだとしたら――私一人で行った方が早い」
「そうだね。でもどれくらい危険か分からないから気をつけてね」
私の真剣な表情を見て諦めたのかネネがそう言う。
「お姉さんが一人で行くの?」
彼は心配そうな顔で私を見つめる。
「大丈夫、お姉さんとっても強いんだから。私がお父さんと帰ってくるまで、ネネと一緒に待っててね」
私はそう言って彼の頭を撫でる。
「そうだ、名前聞くの忘れてた。僕の名前はなんて言うのかな?」
「僕の名前はアレスっていう」
「そっかーいい名前だね。行ってくるねアレスくん!」
私は今日一番の笑顔で彼に笑いかける。
「うん、お姉さん頑張ってね!」
ずっと暗い顔をしていたアレスくんも私に笑顔でそう言った。
我ながらめんどくさい仕事を引き受けてしまった。それでも後悔はしてない自分に苦笑してしまう。
そんなことを考えながら私は住んでいるアパートの押入れであるものを探していた。
「どこに置いてたかな〜。すぐに見つかるといいけど」
押入れのものを引っ張り出すと奥に大型の剣が鞘に収められて置かれていた。
「あった〜、無くしたら流石にお父さんに怒れちゃうからね」
私はそう言いながら鞘を背中にくくりつけた。
「これが無くても大丈夫だと思うけど、ネネの忠告は聞いておかないと」
今日中に帰るためにはもうあまり時間がない。早く森まで行かないと⋯⋯。
「おかしい、どうしてこんなにモンスターが出てこないの?」
森の中に作られた道を走りながら頭によぎった疑問を口にした。
いつもよりモンスターの湧きが少なすぎる。
この森はスライムやらゴブリンやらの雑魚モンスターが湧きやすいことで有名なのに。
「これは――一人で来て正解だったわね」
だんだんと道が狭くなり、周りに生えた木々で薄暗くなる。
「そろそろ、ラオスさんが依頼を受けた場所かな」
ここまでくるととかなり森の奥だ。普段はモンスターの数は多いが中級者向けのモンスターをそこそこいるのでラオスさんのように実力のあるものしかここまで来ることはない。
彼はいったいどこにいるんだろう。
「取り敢えずここら辺を見て回るか」
森の中を歩いてみるがラオスさんは見当たらない。
「ん? あれは⋯⋯」
大木の後ろに巨大な獣の死体が転がっていた。
これは⋯⋯、
「殺人ウルフ⁉︎」
殺人ウルフとはその名の通り森に入ってきた冒険者を標的とし、襲うところから名付けられた獰猛なモンスターのことだ。一体倒すのも上級者でないと難しいと言われるモンスターだ。
「どうしてこの森にこんな強力なモンスターが⋯⋯」
この森は中級者向けのモンスターはいてもそれ以上が現れることは滅多にない。特にここまでのものになると出現したという話は聞いたことがない。
もしかしてラオスさんはこれに襲われたのか⋯⋯。
「急がないと⋯⋯」
もし殺人ウルフに襲われたのだとしたらこの辺りに身を隠しているかもしれない。こうなったら可能性のある場所を手当たり次第に探すしかない。
どこかこの辺りで隠れられる場所は⋯⋯。
「あっちに洞窟がある!」
向こうに少し小さめの洞窟がある。ここら辺で他に良さそうな場所は他にない。
あそこに隠れてるかもしれない。
「ラオスさーん。いますかー? いたら返事してくださーい」
洞窟の入り口で呼びかけてみる。
ん? 洞窟から何か音がする。
「おーい。誰かいるのか? いるんだったらすぐに来てくれー」
この声は!
「ラオスさんですか?」
「ああ、そうだ! 中に安全だ。入ってきてくれ」
本当にここにいるなんて。
私は狭い洞窟に少し屈むと中へ入っていった⋯⋯。
洞窟の奥へ進むと、ラオスさんが傷だらけで横たわっていた。
「ラ、ラオスさん大丈夫ですか⁉︎」
彼は私の姿を見ると目を大きく見開いて、
「レナさん⁉︎ どうしてこんなところに⋯⋯」
「説明よりも傷を治すのが先です」
とりあえず動ける程度にはしないと。
「ヒール」
私のその一言で彼の傷がみるみるうちに治って行く。
「す、すごい。ただが初級の治癒魔法でこんなに傷が治るなんて」
「これで歩ける程度にはなったはずです」
私は彼の手を握ると起こしてやる。
「ああ、すまない依頼をこなしている最中に殺人ウルフに襲われてしまって⋯⋯」
やはりあれに襲われたのか⋯⋯。
「一体はなんとか倒せたんだが、すぐに群れに見つかり命からがらここに逃げてきたんだ。ただ、その時の傷のせいで2日も動けなかった」
「殺人ウルフは群れでこの森にいたんですか⁉︎」
「ああ20匹弱はいたと思う」
なるほどだからこの森にモンスターがほとんどいなかったのか。殺人ウルフの群れなんていたら他のモンスターは逃げてしまうだろう。
「そういうことだったんですか。実は私はアレスくんに頼まれてラオスさんを探しに来たんです」
「アレスがそんなことを⋯⋯。迷惑をかけてしまった」
「そんな、冒険者を助けるのもギルド職員の仕事なので。それに子供に助けを求められたら助けるのは当然です」
何度も言うが私は綺麗なお姉さんさえ助けられない冒険者とは違うのだ。
「とりあえずすぐにここを離れましょう。危険ですし、このことをいち早くギルドに報告しないと⋯⋯」
「ああ、多少危険かもしれんがずっとここに残っていても解決にはならんからな」
そう言いながら彼は私の背中に目線を向けて、
「さっきから気になってきたんだがレナさんは意外にと戦えるのか? かなりでかい剣も担いでいるし⋯⋯」
そんな疑問を口にした。
うーん、まずいなぁ。適当にごまかそう。
「い、いえこの剣は見た目に反してかなり軽いですし、一応の護身用ってだけですよ」
「そうか、ならいいんだが」
ちょっと疑われてるな。
「そんなことより早く出発しましょう」
そう言って私は洞窟の入り口から外へ出た。
森の中を私たちは全力で走っていた。幸い殺人ウルフのおかげでモンスターが少ないのでいつもより早く進めている。
ただ、ラオスさんのスピードに合わせないと⋯⋯。
ついさっき傷を直したばかりだしあまり無理はさせられない。
「ラオスさん、大丈夫ですか? あまり無理はしないでくださいね」
後ろを振り向きラオスさんに声をかける。
「俺は大丈夫だが、レナさんも大丈夫なのか? 一般人には辛いと思うが」
たしかに一般人にしては飛ばしすぎていた気もする。少し緩めよう。
「これくらいならギリギリ大丈夫です。こう見えて体力には自信があるので」
ラオスさんとの会話とやめ前を向こうとしたその時、
「レナさん、あぶない!」
目の前から殺人ウルフが迫っていた。
「やばいっ」
瞬時に敵の攻撃を避け、後ろに下がる。
「ファイヤークロス!」
後ろにいた、ラオスさんが魔法で攻撃してくれる。
よし、今なら⋯⋯。
背負っていた剣を抜き、魔法のダメージで動けない殺人ウルフを切り裂く。傷口から血しぶきをあげると、殺人ウルフは生き絶えた。
「危機一髪すぎでしょ」
完全に油断してた。あと1秒遅ければ危なかったかも。
「ラオスさんありがとうございます。運良く避けれて良かったです」
そう言ってラオスさんの方を向くと、目の前の信じられない光景に驚きを隠せず、私は目を見開いた。
私たちは20匹ほどの殺人ウルフに囲まれていた。
これはまずい。私たちの周りには獰猛な獣たちが今にも飛び出してきそうな雰囲気でじりじりと距離を詰めてくる。
「レナさん、逃げよう。流石に部が悪い」
ラオスさんは額に汗を浮かべながら私にそう告げる。
「いや、この数の殺人ウルフから逃げるなんて不可能です」
「だがここで何もしなかったら犬死にするだけだ!」
ラオスさんが声を荒げて言う。たしかにそれもそうだ。何もしないわけにはいかないだろう。
仕方ないか⋯⋯。戦おう。
「ラオスさん、ここで迎え撃ちましょう」
彼は困惑の表情を見せ、私を諭す。
「それこそ不可能じゃないか。この数を相手するなんて⋯⋯」
確かにそうだろう。この数の殺人ウルフの相手なんて私でないと無理だ。
「問題ないです。私一人で相手しますから」
油断せずちゃんと剣を持ってきてよかった。もし魔法を使うことになってたら、被害はこの森だけでは済まなかっただろう。
「ラオスさん下がっていてください。一瞬で終わらせますんで」
「待て、何を言って⋯⋯」
彼の制止の声は私には届かなかった。それが届くより先に私の剣が目の前の獣を切り裂いたからだ。
続けてその左右の獣も同時に切る。
「すごい、どうやったらあんな剣技が⋯⋯」
彼のつぶやきに目もくれず私は敵を切り続ける。 強力なモンスターも私が剣を一振りするだけで血しぶきを出して倒れる。
「レナさん、後ろ!」
彼の叫び声が聞こえる。でもそんなことは分かりきっている。
私の後ろに敵がいることも、それが私にどう切られるかも、その周りの獣がどう襲ってきてどう切られるかも⋯⋯。
全部考えるまでもない。目をつぶっても分かる。敵の行動なんて⋯⋯。
これだ、この感覚だ。命を懸けて敵を打つ。守るべきもののために戦う。何より懐かしいこの感覚。
私はこの状況を楽しんでいた。久しぶりの戦いを⋯⋯。
気づくと殺人ウルフは全て死骸と化していた。
「ラオスさん、他のモンスターが来るとまずいので早くこれを燃やしましょう。あっ、その前に2、3匹ほどから牙を取っときましょうか。ギルドにこのことを報告しないといけないので」
私は後ろで固まってるラオスさんにそう告げる。
「ラオスさん、大丈夫ですか?」
「いやそれはこちらの台詞だ。なんでギルドの受付嬢が殺人ウルフの群れを一人で倒せるんだ⁉︎」
流石に誤魔化すのは無理か。なんて言えばいいだろう。
「うーん、実は私も昔冒険者をやってたんですよ。さっきのはその時の名残です」
こんなのでは彼からの疑いは変わらず、じっと私を見つめてくる。
「そうかただ冒険者をやってただけであれほど強くなれるのか」
「や、やめましょう、この話は。とりあえず出来るだけ早く町に帰ることを考えないと」
彼は納得してないようだっただが、やがて諦めたようにため息をついた。
「まぁ仕方ないか。人には知られたくないこともあるだろうし。詮索はしないでおこう」
「そ、そうしてもらえると助かります」
まさかこんなことになるなんて完全に想定外だ。でも、この程度で済んでよかったかもしれない。
「私は牙何個か取るのでラオスさんは向こうで死骸を燃やしてもらえると」
「了解した」
私は慣れた手つきで牙を引き抜く。
「あとお願いなんですが、今日のことは誰にも言わないで貰いたいです」
私のことを町の人にはバレたくない。
「ああ、もちろんそのつもりだ。それに、勝手に話すと後が怖いしな」
ラオスさんはそう言って笑う。
失礼な。私がそんなことですぐに怒ったりはしない。しないはずだ⋯⋯。
「べ、別にバラされても何かするわけじゃないですよ。私はギルド一優しい受付嬢ですから」
「ああ、その通りだな。レナさんは世界一優しい受付嬢だ」
思ってもないことをいうラオスさんに、いつもなら怒ってしまいそうだが今日は違う。今はとても機嫌がいい。
なんかと日が沈む前に町に帰ることができた。幸い帰りもモンスターが殆ど湧かず、あまり時間がかからなかった。大量に殺人ウルフが現れたため多くのモンスターが逃げていたんのだろう。
「なんとか無事に帰れましたね。早くギルドに行ってアレスくんに会いに行きましょう」
「ああ、早く安心させてやりたい」
ギルドに戻ると入口のそばの机でアレスくんとネネが私たちのことを待っていた。
ネネは私たちに気づくと、すぐに駆け寄って来る。
「レナ! それにラオスさんも無事でよかったです」
ネネの後ろにいたアレスくんも父親であるラオスさんのもとへ飛び出す。
「お父さん⋯⋯。無事でよかった」
アレスくんは感極まって大粒の涙を流す。ラオスさんもつられて瞳に涙を浮かべていた。
「アレスすまない。心配させて⋯⋯」
少しの間、父子の感動の場面を続かせるべきかと思ったがアレスくんが話しかけて来た。
「お姉さん、お父さんを助けてくれてありがとう」
彼はギルドを出発した時よりも明るい笑顔でそう言う。
やはり今日の選択は正解だった。泣きそうだった少年をここまで笑顔にできるのなら少し体を動かすことなんてなんでもないことだろう。
「うん、お姉さんもアレスくんが笑顔になってくれて嬉しいよ!」
私も同じくらいの笑顔でそう返した。
もう太陽が役目を終えて沈み、月が太陽に変わって地を照らす時間となっていた。
「もう帰りたい⋯⋯」
私の疲れ切った声に続き、ネネも仕事への愚痴を漏らす。
「私も帰りたいよ。ていうかなんで私までこんな事してるの?」
今現在の時刻は夜の9時。こんな時間まで私とネネは書類を書かされていた。
「ネネだって今回のことの関係者なんだから当たり前でしょ。それより私は疲れてるんだからこっちの書類も書いてよ」
あの後、私たちはラオスさんから何度もお礼を言われ、周りの冒険者たちの目も昼とは違い尊敬の眼差しになった。
しかし、満足気に微笑んでいた私に上司は始末書を書けなどと抜かしてきた。あの野郎曰く緊急の事情があったといえ何も告げずに仕事を放ったらかしにしたまま出て行ったのが問題だったらしい。
今私たちはその始末書と今回の事件の詳細を明日までに提出しないといけないのだ。
「でも、事件が大きくなる前に殺人ウルフのことも分かったし良かったじゃない」
それもそうなのだが⋯⋯。
ちなみにラオスさんと口裏を合わせ、殺人ウルフを倒したのは私ではなく通りすがりの凄腕冒険者ということにした。
上司はあまり信用していなかったが、ラオスさんがそう言い続けたのでなんとか折れてようだった。
「でも私が折角頑張ったのにこんな仕打ちはないでしょ」
珍しくまじめにやったのにこんな結末じゃ面白くない。
「じゃあ⋯⋯、久しぶりに戦ったけど楽しくなかった?」
全く、この女は私の心を見透かしたようなことを言ってくる。伊達に付き合いが長くない。
「たしかに楽しくなかったって言ったら嘘になるよ」
やっぱり一日中突っ立って受付をするより、体を動かして戦う方がよっぽど良い。
「もしかして、昔みたいな戦いの毎日に戻りたいと思った?」
「それはないよ。私はもうあんな毎日はこりごり。一ギルドの受付として生きていくって決めたから」
私は即答する。もう決めたはずのことだったから。自分の心に迷いなんてないはずだから⋯⋯。
「そっか。でも少し残念だな。戦ってる時の少し笑ったレナの横顔結構好きだったんだけど」
「私に昔みたいになって欲しいの?」
ネネの言葉に少し語尾を荒げてしまう。でも、ネネはまるでそんなことを言いたいようだった。
「そんなことないよ。ただ、せっかく才能があってしかも『勇者の娘』なのにもったいないと思って」
ネネの言う通り私の父親は魔王を倒した勇者だった。私はその娘として周りからの期待を受け、戦いのことだけを考えさせられ生きてきた。
それはこの町でネネしか知らないことだ。
できればこの話は続けたくない。私の過去のことなんて聞いていたくない。
そんな私の雰囲気を読み取ったのか、ネネが話を切り上げる。
「やめよっかこんな話。私もレナも思い出したくはないだろうし。早く書類も終わらせないと」
そんなこと分かりきっていただろう。なのにどうしてこんな話をしたのか。
その疑問は喉まで出てきたが、結局口にすることはない私の胸の中に消える。
私はどんなに頑張っても過去を忘れることはできない。ずっと縛られて生きていくんだろう。
そんな私を空に浮かぶ月はただただあざ笑っているようだった。
こんなギルド受付嬢だっているだろう。そんな話。