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青春ムスビ  作者: 大石 陽太
6/16

今年中

「うわぁ」

 俺、安川(やすかわ)(あさひ)は窓の外を見て反射的に口を開いた。

「大雨じゃん……」

 きっと偶然だよ。俺が教科書持って帰ったくらいでこんなことになるはずがない。多分。そう、多分。ちなみに、教科書は枕の高さ調整に使われました。


「じゃあ、いってきます」

 支度も済ませて家を出る。差した傘に雨が当たってほんの少しだけ耳障りだ。いつも思うんだけど、傘って差してても結構濡れるよなぁ。

「ん? あれは……」

 前方に見覚えのある人物を発見する。あの後ろ姿は純だ。

 だけど、おかしい。

「あいつ、こんな大雨の中、傘を差してないぞ……」

 目の前の男は、この大雨の中を傘も差さずに慌てる様子もなく、のんびりと道を歩いている。でも……。

「ん? 何だ、姿がはっきり見えないぞ」

 (もや)がかかったような感じというか、なんといえば良いのか。時々、姿が薄くなるというか。

「あ、おはよう! 旭! どうしたんだ? そんな念入りに目を擦って。目やにが取れないのか?」

 突然、隣で元気よく挨拶されてほんの少しだけびっくりする。誰だ一体。

「ってお前かよ、純。いや、前の人いるだろ。あの人の姿がよく見えなくって……ってうわっ!」

「うわっ、とは失礼だな。幽霊でも見たみたいな顔しているぞ」

「い、いや……あの人が純だと思ってたんだけど、人違いだったみたいだ」

 今もゆっくりと歩いている傘なし生徒の背中を指差す。

「ああ、あれは僕の残像だ」

「なんだ、残像かよ。先に言っといてくれなきゃ朝から心臓に悪い……は?」

 俺の足がピタリと、時間が止まったみたいに動かなくなる。いや、何言ってんだよ、純。

「残像……っていうか、傘差せよ! 純! それじゃびしょ濡れ……ってお前……」

「どうしたんだ? 幽霊を見たときみたいな顔して」

 いや、だって……お前。

「なんで、濡れてないんだよ。お前」

 びしょ濡れどころか、どこも濡れていない。曇り空の下にダイレクトに晒されている制服には小さなシミすらない。というか、姿が霞んで……。

「ああ、今はものすごいスピードで雨を躱しながら歩いているから濡れてないんだ。多分、姿が霞んで見えるのもそのせいだな」

 ハッハ、と軽快に笑いながら話す純。さっきから何を言っているんだ。こいつは。心なしか、昨日より何倍も元気な気がする。

「まあ、いいや……学校行こうか」

「そうだな、行こう!」

 いや、絶対おかしい……。いくら何でも元気すぎるだろ。相変わらず、姿霞んでるし……。

「ところで旭。乙宮さんって、こ、交際相手とか……いるのか?」

「あ、うん……そうだな」

 純の不意の質問に、まだ頭が混乱している俺は何も考えずに返事をしてしまう。

「ぐぬぬ……あれだけの美貌の持ち主なら当然か……差し支えなければ相手が誰か教えて欲しいんだが」

 残像ってなんだ。ていうか、残像ができるほどの速さで動けるってかなりすごいことなんじゃないか? 俺もしたいな。でも俺にできるか。

「俺……」

 俺に出来るのか? まあ、考えても仕方な……。

「おい、どうしたんだ純。そんな口開いて」

「あが……あが……」

 顎でも外れたのか?

「おい、大丈夫か? 顎外れたのか」

 相変わらず、霞んでいる純の顎を触ろうとしたそのとき、純が大声を上げて俺の肩を掴んだ。

「大丈夫か! 大丈夫なのか! 僕たちは親友だろ!悩みごととかあるならなんでも聞くが!」

 急に実像に戻る純。急にどうしたんだ⁉︎ 

「いや、親友ってまだ出会って三日……」

「くっ! しかし、お互い合意の上かもしれない。僕なんかが口出しすることじゃないのかもしれないでもあんなことがあったのに……」

 なんか、純の中に葛藤が見られるが、そこは敢えてツッコまないでおこう。

「まあ、一回落ち着こうぜ。で、残像のコツがなんだって……」

「くっ! こうなったら」

そういうと、純はその場に膝をつき下を向く。そして、腰を少しだけ浮かせる。

「どうしてお前はクラウチングスタートの構えをして……」

 次の瞬間。

 体験したこともない衝撃が俺を襲った。視界が激しく揺れて何秒か後に、背中に強い痛みを感じた。

「がッ…………!」

 俺の体を冷たい雨が打ちつける。そこで、やっと俺が吹き飛ばされたことを理解した。それも、純のダッシュの衝撃で、だ。

「あ、あいつ……絶対におかしい……」

 横切った車が水溜りの上を通ったことで俺は水を全身にかぶってしまう。

「く……。な、なんなんだよ!」

 俺の叫びは誰の耳にも届くことはなかった。



「うわっ! どうしたの……それ」

 教室に入ると、俺の姿を見た浅沼さんが驚きの声を上げる。

「あ、おはようございます。浅沼さん」

 驚く浅沼さんを余所にいつも通り挨拶をする。

「ふぅー」

 一度、深呼吸をして息を整える。正面から三本。右前方から六本。そして……。

「上に一人!」

 まず、飛んできた文房具を避ける。そして、上から飛びかかってきた人間を殴る。

「甘いぜッ!」

 勝利を確信した俺の顔にさっきと同じ冷たい液体がかかる。ぐ……冷たい……。

「ば、バケツ……」

 上にいるのは人ではなく、水の入ったバケツだった。見事に引っかかった。

 俺が立ち尽くしていると、仕掛けたであろう四人が出てきて濡れた床を綺麗に拭いていった。

「安川! お前、乙宮と付き合ってるって本当か⁉︎」

 涙を滲ませながら質問してくる男子たち。え? 何を言ってるんだ⁉︎

「俺と乙宮が⁉︎ 本当か⁉︎ それ!」

 乙宮の方を見ると、綺麗な黒髪が暴れるくらいものすごい勢いで(かぶり)を振っていた。

「つ、付きああっていなばばい……」

「落ち着いて、春香。大丈夫。春香は安川とは付き合っていない……付き合っていない……付き合っていない……」

 ‏浅沼さんが妙に慣れたようすで乙宮を落ち着かせている。ちょ、ちょっと……。

「ぐすっ。そこまで嫌がらなくても……」

 もう、泣きそうだよ。俺。いや、分かってたよ。乙宮が俺を好きじゃないことくらい。ちょっと放課後、一緒に作業してお礼言われたからって勘違いなんかしてないし、あれ、乙宮とちょっと良い感じなんじゃ、とか思って家で寝る前にドキドキしてたわけじゃないし。

「まあ、安川……。その、なんだ。俺オススメの写真集やるから元気出せって」

「俺も。今度なんか飯奢ってやるよ!」

「新作エロゲ貸すぜ!」

 不思議と、今だけはクラスメイトたちの言葉がとても暖かく感じた。

「あの、安川。あんた勘違いして……」

「ごめん、純。つい口が滑ってしまった……」

「いいんだ、いいんだよ。俺たちは一生仲間だ!」

「おはよう、って朝からどうしたんだ。お前ら」

 泣きじゃくる男子たちの耳にワンコの声が聞こえてきた。

「おお……ワンコか……実は安川が今、失恋して……って誰だお前⁉︎」

「? 誰って、俺は俺だが」

 目の前に立っている男はワンコであってワンコじゃない。全く別の生物だった。具体的に言うと。

「腕の筋肉が……衰弱している⁉︎」

 今までワンコはその右腕の筋肉量から制服の右袖だけが入らず、ノースリーブ状態になっていたのだが、今日は普通に制服を着ることができている。

「どうしたんだよ! それ!」

 失恋のことも忘れて驚く一同。すると、ワンコは照れたように衰弱した右腕で後頭部をさすりながら答えた。

「いや、昨日ごっつぁんに大胸筋工場に連れて行ってもらってな。筋肉の制御が出来るようになったんだ。ほれ」

 そう言ってワンコは腕の筋肉を爆発的に肥大化させた。もちろん、制服は破けた。

「純といい、ワンコといい、すごい変化だ……」

 二人に大胸筋工場がどんなところだったのか、どんなことをしたのか聞こうとしたそのとき。廊下から足音が聞こえてきた。とても人間のものとは思えない重苦しい足音。歩くたびに心臓が圧迫されるようで息が詰まる。

「おお〜っす」

 警戒ムードの教室に入ってきたのは、睨むように鋭いつり目に高身長が特徴の悪友、赤原真人だった。

「どうしたんだ? 不思議そうにこっちを見て」

 いや、不思議そうにってお前……。

「何だよ! その体!」

 俺は真人を勢いよく指差す。一言で表すと筋肉、もう少しだけ長くすると筋肉オバケ。あんまり変わった気がしないでもないが、そんなことを気にしている場合ではない。

 真人は片腕だけでも俺の胴体より太く、全身なら土管より太い。ボディビルダー顔負けの体に制服もギッチギチで今にも弾けそうだ。

「ああ、昨日、大胸筋工場で鍛えたんだ。これで、お前にもきっちりお礼が出来る」

 こちらを見て、別人のように邪悪な笑みを浮かべる真人。やばい……殺される。

「真人! 外では常に筋肉を抑えろと剛力先生に言われただろう!」

 皆が驚いて動けない中、変わり果てた真人に純が近づいていく。

「おい、なんだ純。俺に逆らうのか」

「あまり調子に乗るなよ……強くなったのは君だけじゃない」

 真人と純が正面から睨み合う。こいつら……キャラ変わってるよな。何があったんだよ……向こうで。

「フゥゥゥゥゥゥ、フンッ!」

 驚くべきことに、さっきまで細く弱々しかった純の体が、漫画の主人公が隠された力を解放したときみたいに大きく筋肉質になった。いや、どっちかっていうと主人公との死闘の末、ようやく最後の力を見せた悪役か。あと、制服は犠牲になった。

「それで、俺に勝てるのか? その脆弱な肉体で」

「そうかな。僕からすれば真人、君も変わらないと思うが」

 無言で睨み合う真人と純。

「ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ」

 真人と純を中心に空気が不自然に流れる。あまりの緊張感に立っていられない生徒も出てきた。

 教室に流れる緊張がピークに達したとき、二人の怪物が同時に動いた。

「うぉぉぉぉぉ!」

「セィァァァァァ!」

 しかし、そこで誰も予想しない事態が起きる。

 二人の間に割って入った人物がいたのだ。それも二人より一回りも二回りも小柄な少女。

 演劇部、浅沼由乃さん。

 浅沼さんは二人の拳を空中で止めるとそのまま床に叩きつけた。

「はあ……ただデカくなっただけで隙だらけ。おまけにパワーも大したことないんじゃ良いとこ無しね、あんたら。だいたい……」

 浅沼さんは軽くジャンプすると、空中で回転しそのまま真人と純の顔面を思いきり蹴った。縞……!

「気持ち悪いのよッ!!!!」

「ブラハブグェ!」

「アヒィィ!」

 二人が盛大に吹き飛ばされる。浅沼さんはしかめっ面で手を数度叩いた後、やってしまったという顔をした。

「キャァァァァァァ!」

 教室中に女子の黄色い声が響く。浅沼さんは額に手を当ててため息をついている。

「相変わらずモテモテだな。浅沼のやつ」

「うん、女子には」

 そう、浅沼さんは女子にモテモテなのだ。ついでに言うとめちゃくちゃ強い。半端なく強い。いや、ここまで強いのは初めて知ったけど。めちゃくちゃ強いっていっても噂は噂で男子には勝てないと思い込んでいた。

「なんで運動部入らないんだろうな。運動神経良いのに」

「まあ、運動神経があるからといって運動部に入らなければいかんと言うこともないだろう」

「そりゃそうだけどな……」

 群がる女子たちの対応に困っている浅沼さんを見ながら少しだけ不思議に思った。

「ところでさ。ワンコ」

「どうした」

「大胸筋工場ってどんなところだったんだ」

「ジムだ」

「…………そうか」

「そうだ」

 完全に意識を失っている純と真人のためにバケツに水汲んでこよう。そうしよう。

 朝からCクラスは賑やかだった。



 ☆



「なんなんだ! お前ら! ワンコはともかく、純と真人! お前ら、一日で急に強くなりすぎだ!」

 昼休み。

 ここまで、いつも通り接してきたがもう限界だ! 三人を集めてドカンと言わなければ。

「いや、旭。大丈夫、普段は通常のフォルム。怒りで封印が解けたときのみ、朝みたいになるんだ」

「じゃあ、なんでさっきは簡単に封印解けたんだよ」

「いやそれは……」

「あと、真人。女の子に負けたからって不貞腐れてるんじゃない!」

「別に負けてねぇよ……大体、不意打ちだっただろ。あれは」

「お前ら漫画漫画しすぎなんだよ。ここは異世界じゃないんだぞ」

 興奮する俺にワンコが横から落ち着いた様子でなだめる。

「まあまあ落ち着け。用がなくなった設定は消していけばいい。それで、すっきりと青春ラブストーリーが始まるわけだ」

「とんでもないこというな……」

 そんなことしていて本当にいいのか? 大体、これ回想だし上手いこと繋げなきゃならないわけで。そうなると難しくなってくるのが最終回直前の……。

「ちょっと皆……なんで僕の机の上でその話をするのさ! 自分たちの席でやれば良いじゃないか!」

 考えていると、席の主。小柄で可愛い見た目が売りの草食系男子の佐藤(さとう)(まなぶ)が怒鳴った。

「いや、だってお前。自己紹介のときに一切、説明無かったし。一年の頃、同じクラスで結構仲良かったはずなのにモブに成り下がってしまったし」

「うるさいな! 余計なお世話だよ! こんな雑な登場しなくても後々、重要キャラとしてレギュラーになってたよ!」


「「「「それは無い」」」」


「信用ゼロ!」

 そんなわけで筋肉設定は封印することに決まりました。



「キーンコーンカーンコンコー」

 さて、帰るか。

「と、思ったけどその前にトイレだ」

 他のものには目もくれず、早歩きでトイレに向かった。相変わらず学校での便意は慣れない。


「ふぅ……」

 かなりしぶとかった。おかげで一時間近く、放課後のトイレにこもる羽目になった。もう、皆帰ってるよな……。

 静かな教室に軽やかに飛び込む。やっぱり誰もいない。さっさと帰って昨日のシケモンの続きしよう!

 自分のカバンを取って教室を出ようとしたが、他の机にもカバンが置かれていることに気付く。浅沼さんの席だ。忘れて帰ったなんてことはないよな。さすがに。

「ちょっと! いくら追っかけって言ったって限度があるわよ! って」

 声のした方、教室後方の掃除道具入れから浅沼さんがホコリだらけで飛び出してきた。あ……ええ……。

 教室に気まずい空気が流れる。浅沼さんは照れているのか頰をほんのりと紅く染めて、こちらを睨むばかりで一言も喋らない。

「あー、その。あのさ。うん。浅沼さんも……大変ですね!」

 じゃあ、俺はこれで。そう言って教室を出ようとした俺はすごい力で肩を掴まれる。具体的に言うと、ゴリいたたたたたたた。

 振り返ると、さっきまで教室の一番後ろにいたはずの浅沼さんが俺の真後ろにいた。移動速度が異常だ! 足音すら聞こえなかったぞ!

「まず、説明させなさい」

 最高の笑顔ですね。浅沼さん。目以外は。

「覗き……?」

「違うわよ! 私が誰を覗くって言うのよ!」

「え?」

「その本気で思ってそうな顔をやめて。そうじゃなくて追いかけてくる女の子たちから隠れてたのよ」

 疲れたのか大きなため息を吐く浅沼さん。そういうことか。俺にカバンを盗まれると思ったんだな。

「モテる女は大変だな……」

「モテるって言っても複雑よ……。二人の大男をぶちのめしたって噂が広まってね……もう暴動に近いものがあるわよ」

 あんなの誰でも倒せるのにね。と簡単そうに言う浅沼さん。いや、あれ男でも普通なら倒せないと思う。

「とりあえず……ホコリは払った方が……」

「あー、大丈夫。今日は部活でホコリまみれの村人の役だから」

 そういう問題なのか? 男らしいというかなんというか。

「それより」

 急に浅沼さんの表情が厳しいものへと変わる。ど、どうしたんだ。

「安川、あんた! 春香に告白したんだって⁉︎ それも道端で突然叫んで! 告白してきたらしいじゃない!」

 一瞬、思考が止まる。え? 告白? 俺が乙宮に?

「ああ、朝の俺が乙宮と付き合ってるってやつか。あれは俺が純の話をちゃんと聞いてなかったのが原因で純が勘違いして」

「ち! が! う! わ! よ! 本人から聞いたのよ! 公園の前通ったら突然の告白されたって!」

 公園の前……? 公園……公園……。

「まさか……」

 昨日の記憶が蘇ってくる。あ、あれは本物の乙宮だったのか!

「お、あ。あれは……間違いというか寝惚けてたというか……」

 浅沼さんの表情がどんどん険しくなっていく。う、嘘だろ……俺なんてことを……。

「あんた馬鹿なの⁉︎ 告白するんだったらもっと色々工夫しなさいよ! 場所とか時間とか。ほら、フンイキとか!」

 わちゃわちゃと腕や指を動かして気持ちを必死に表現しようとする浅沼さん。浅沼さんの言うことはもっともだ。

「明日、乙宮に謝らないと……」

「当たり前よ!」

「よし、浅沼さん! 謝罪じゃないけど俺を一発なブッタゲェティハア!」

「やるじゃない安川! その気持ち無駄にはしない!」

「ちょっと……待って……まだ最後まで言ってなィグフィデナ!」

 浅沼さんが倒れた俺の上に馬乗りになって俺の顔を笑顔で殴ってくる。痛い。痛い!

「はっ。私は何を……」

 まるで無意識で殴っていたようなセリフを吐く浅沼さん。恐ろしい人だ……。

「だ、大丈夫⁉︎」

 浅沼さんが慌てて立ち上がって手を差し伸べてくれる。

 これだよ。これだ。これを待ってたんだよ!

 放課後の教室。思春期真っ只中の男女二人。これはラブコメには必須イベント。『ラッキースケベ』チャンス! 手を差し伸べた浅沼さんは俺の体重を持ち上げきれずにそのまま倒れてしまい、たまたまいやらしいことに。たまたま。そう、たまたま!

「ありがとう」

 浅沼さんの手を取る。思ったよりも小さくて柔らかい女の子らしい感触。

「あっ」

 予想通り浅沼さんは俺を持ち上げきれずこちらへ倒れてくる。よし俺の方は準備オーケーだ。偶然を必然まで昇華させた男と呼んでほしい! ははは!

「きゃあ!」

 教室に浅沼さんの女の子らしい悲鳴が響く。そうそう、これこれ。でもおかしいな。視界が急に暗くなったぞ。俺は一体、何に触れているんだ?

「こ、これは……太ももか⁉︎」

 やった! 大当たりだ! ああ、何て触り心地だ。程良く付いた筋肉にもちもちの肌。何よりも真ん中のこの突起……突起?

「じょっと……」

 うわ! 太ももが動いた! あれ。これは……。

「それは私の顔よ!」

 言葉と同時に胴体に何発もの拳が間髪入れずに飛んできた。おかしいなあ。途中まで流れは完璧だったのに……どこで間違ったんだ。

 後悔しても飛んできた拳は防げなかった。


「なるほど! 倒れたときに浅沼さんの拳が顔にめり込んだから何も見えないのか!」

 ポンっ、と手のひらの上に握り拳を置いて理解を示す。ギャグじゃなきゃ間違いなく死んでたな、これ。

「はあ……あんたといると疲れるわ……」

「ちょっと浅沼さん。その言い方だとまるで俺が浅沼さんを疲れさせてるみたいに聞こえるけど」

「そう言ってるのよ!」

 あ、こういうところか。

「次はちゃんと告白しなさいよ……」

「いや、もう告白しないけど……」

「え?」

 だってあれは告白とは何か違うし……だいたい。

「今朝のアレで振られたみたいなもんだし。あそこまで露骨に嫌がられるとなあ……」

 思い出しただけでもため息が漏れる。乙宮のことが好きとか好きじゃないとか以前に、一人の女の子に嫌われるということが辛い。しかも、それが学年一の美少女ともなれば「いや、別に? 俺もあいつのこと嫌いだし? いや別にいいし?」という小学生の強がりすら言えない。

「一回振られたくらいで諦めてんじゃないわよ。あんたそれでも男なの?」

「じゃあ浅沼さんは一度振った相手に告白されたらどうよ」

「え? 二度と告白できないようにぶちのめすけど」

 怖い。すごく怖いよ浅沼さん。

「とにかく! 目標は今年中よ! 今年中に春香に告白するの! 分かった?」

「いや、なんで俺が乙宮のことを好きでいる前提なんだよ」

「好きじゃないの?」

「まあ……嫌いではない」

 それを聞いた浅沼さんは太陽のように眩しくはにかんで俺の額に優しくデコピンをした。

「じゃあ好きってことよ! いい? 今年中よ。私は部活行くから。あ、それと『浅沼さん』って呼び方。めんどくさいから由乃でいいわよ! じゃっ」

 別れの挨拶をした後、廊下を慎重に覗きこんで安全を確認した浅沼さんは風の如く去っていった。

「今年中……」

 浅沼さんにデコピンされたところをゆっくりと触る。これ浅沼さんとの恋愛フラグじゃないよな……。ちなみに浅沼さんだけ、さん付けなのは浅沼さんへの畏怖と敬意の証だが、本人からああ言われてしまっては仕方ない。

「うおー! よぉぉぉぉしッ! やってやるぜぇぇぇ!」

 気合いの雄叫びを上げる。これが安川旭の、覚悟だァァァァァァァァァァァァッ!

「よし、帰ろう」

 誰もいなくなった放課後の教室を後にする。いや、今年中に告白するにしてもスタートが最悪だからな。いきなり「好きな人」は無理でも、せめて「嫌いじゃない人」にはならないと。

 靴に履き抱えて外へ出ると体育倉庫の扉がガタガタ揺れている。中に人が閉じ込められてたりしてな。

「フンッ!」

 と思ったけど浅沼さんが扉を開けて出てきた。まだ逃げてたのか……モテるって大変だな……。

 息を切らしながら体育館の方へ駆けていく浅沼さんに敬礼。そういえば由乃って呼ぶの忘れてたけど心の中だから良いよな。

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