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捜査をラミアたちに任せるかはさて置いて、衛兵を呼ぶ前にみんなで事件の状況を整理する運びとなった。
事の起こりは今からおよそ5分前の10時45分。
ダールトンのパーティ離脱。莫大な経験値の加算。ふたつの出来事がリザッドたちのパーティに発生した。先のクロコに加えて、残りのふたりもこの事実について認めた。
ついで最初に部屋の前に到着したリザッドが証言する。
「オレはそのとき1階のフロントにいた。異常を知ってすぐに、オレは隊長が泊まっていたこの部屋に行こうとしたわけだが、部屋には内かぎが掛かっていた。隊長が外で殺されたなら内かぎが掛かるわけがねえ。きっと部屋のなかで殺されて、犯人が閉じこもっていると考えたわけだ。怒鳴ってがんがん扉を叩いていると、後ろからどうしたのかと声を掛けられたわけだが」
「わたしのことだね」
「ああ、嬢ちゃんたちを巻き込んでいいのか迷ったが、とにかく部屋に入ることを優先して、扉を壊して見ると隊長が……」
言いよどんで、口惜しそうにダールトンの遺体を見下ろす。
「ほんと信じられねえよ。『不死者』とまで呼ばれた隊長が、モンスターもいねえこんなところで殺されちまうなんて」
ダールトンは部屋の奥で、ドアの方に頭を向けてうつ伏せに死んでいた。
衣服は下着一枚だけで上半身はハダカだ。彼のよろいは装備されず、遺体の左手のそばに転がっている。右手にはダールトンが愛用していたという殴打器が握りしめられていた。
本当なら写真を撮ったうえで遺体を動かしたいところだが、あいにくこの世界にカメラはない。
リザッドとラミアが生死を確認する際に少し動かしてしまったが、衛兵が来るまでは現場保存が望ましいだろう。
「部屋でくつろいでいたところを襲われたのかしら。武器ならとっさに手に取れるけど、防具はすぐには無理だもの」
「だがふつうに襲ってもオレたちじゃ勝ち目がないだろ。隊長に防具なしのハンデがあったところでな」
「そうねぇ、防具どころか武器なしでも厳しいわぁ」
クロコの推察にリザッドが反論し、フーグが追従する。
そんな三人をながめながら、万理はラミアにだけ聞こえるよう念話を送った。
『死因は、ラミア? 刺殺とか殴殺とか毒殺とか、痕跡は残らんものなの?』
『そういえば万理さんの書斎にあった推理物だとよくそういう話が出てきたよね。わたしたちの世界だと無いかなあ。死因については、ライフポイントがゼロになったから。それ以上のことはわからないよ』
『……大丈夫か? すぐに解決してみせるなんて大見得を切って』
『わたしたちがどれだけたくさんの謎を解決したと思っているの。大丈夫大丈夫』
軽い調子で念話を返すラミアに、万理はひどく不安を覚えた。
『たくさん? きみまさか、僕らが一緒にミステリを観たり読んだりしながら、どっちが先に推理を当てるかゲームしていた分もふくめていってる?』
『もちろん。解決編より前に言い当ててた分はね。まったくもう、万理さんってば。そんなに張り詰めていたらろくに頭がはたらかないよ。楽に考えよう。いつもの推理ゲームと同じにさ』
『いやしかし、現実の謎がゲームとして成立するかなんて怪しいもんだ。推理のための手がかりがちゃんとそろってるとは限らないじゃないか。くわえて僕はこの世界の仕組みをよく知らない。たとえ手がかりが十分でも、僕には気づきようがないかもしれない。そんな不確かでアンフェアなゲーム、やってられないよ』
『まあ必要そうなことがあったらなるべくわたしが説明するから。不安材料ばかり探さないで推理材料を探そう』
「ちょっとぉ、内緒話はやめてよぉ」
フーグがもともと幅広だった頬をさらにふくらませて、ふたりの念話をとがめた。
念話を発信するためには二本の指の表面をくちびるに当てつづける必要がある。いまの状況で交信すれば周囲からはまるわかりだった。
万理が頭を下げると、ラミアは思い出したように尋ねた。
「そういえば念話は使わなかったの? 部屋を確認しに行くより前に、メンバー間で連絡を取り合うのが先じゃない?」
「オレたちのパーティは街の中では念話を使えないよう設定している」
「へえ。それじゃあ事件の前後、念話はだれも使わなかったんだね」
「ああ使ってないぜ」
「念話の内容はパーティメンバー全員に聞こえちゃうし、そこは信じていいんだよね」
ラミアは残りのメンバーふたりに確認するように言った。
分かりきったことではあったが、わざわざ口に出したのは万理に念話の前提条件を知らせておくためだ。
リザッドは不服そうに口をとがらせる。
「なんだよその言い草は。オレの言ってることは信用できねえってか」
「だれも念話を使ってないことは私も保証するわ」
クロコはそう言って、酷薄にくすくす笑った。
「でもねえリザ、ラミアちゃんたちと会う前の行動は本当に信じていいのかしら。事件が起こったときに1階のフロントにいたって証拠はあるの?」
「たぶん宿屋のおかみがオレを覚えているはずだ」
「あら、そう。覚えていたとして正確な滞在時間はどう? フロントから2階に上がって部屋を訪れたタイミングが、事件前じゃなくて、本当に事件後なのかを証明できて?」
「さすがにそこまでは分からないだろうが……。そういうおまえはどうなんだ? 隊長が殺された瞬間、どこでなにをしていた」
「ひとりで街を歩いていたわ。証拠はありません」
クロコはふてぶてしく言い放った。
あんぐり口を開くリザッドのとなりで、フーグが自分のネームプレートを弾いた。
「ワタクシはぁ、お外でスイーツをいただいていたの。注文がきてすぐに事件が起こっちゃったから、ほとんど口をつけられなかったんだけどぉ、証拠ならあるわ」
フーグがネームプレートを開いてメニューから見せたのは、大通りにある料理店との取引記録だった。
見ているだけで胸焼けがしそうなほど多い甘味項目と、支払ったゴールドが記載されている。万理の世界でいうレジのレシートのようなものだ。
取引記録には時間が明記されていた。
10時46分――ダールトンが殺されたとされる時間の1分後だ。事件が発生してすぐに支払いをしたことになる。
ラミアは万理を横目で見やりながら言った。
「このお店なら走れば2、3分って距離かな。同じ取引記録が店に残っているはずだから、ちゃんと裏が取れれば完璧なアリバイになるね」
「あらあら、事件前の居場所をまったく証明できないのは私だけ? 困ったわ」
クロコはまるで困ってない平然とした様子だ。
「まあどちらにしてもリザ、あなたにしかダールトンは殺せないわ。部屋には内かぎが掛かっていたというけれど、それを証言したのはあなた自身よ。本当は開いていたのに演技して、ラミアちゃんたちの目を欺いたんじゃないかしら」
「演技だと? なぜそんなことをする必要がある」
「知らないわよ。重要なのはそこじゃないの。もう一度言うけれど、あなたにしかダールトンは殺せない。私の攻撃力やスキルでは、ダールトンのターン毎回復量の500を上回ることができないもの。フーグだって同じ。でもリザのスキルなら話はべつでしょ」
「スキル……ですか」
万理が苦い顔をしてつぶやいた。普段の推理ゲームならありえない要素だが、こちらの世界では考慮に入れざるをえない。
「ドアを壊すときに見せたよな。オレのスキルは『賭掛け斬り』……いや、正しい名前は『ハーフ・クリティカ』だが。50%の確率で攻撃をミスって、残り50%でクリティカル・ヒットになるスキルだ。オレの攻撃力はちょうど350ポイントだから――」
「700ダメージだね。ダールトンの守備がいくら固くても、クリティカルなら関係なくダメージを与えられる。回復分の500ポイントを差し引くと、1ターンで200ダメージ。でもスキルが外れたターンも500回復されちゃうから、ターン毎の期待値はマイナス150ダメージになるね。うーん……ライフが2000ポイントだと仮定しても、殺しきるには10連続ヒットかあ」
ラミアが引き継いで計算すると、リザッドは不満そうに応じた。
「それも隊長が無抵抗ならの話だ。不意を突いたところで2ターン目から反撃されてオレがやられるっての」
「でもかぎを閉めるのも殺人も、私やフーグには絶対に無理。そうなるとあなたが犯人なのは明白よ」
「い、いいえ、少なくとも内かぎは掛かっていましたよ」
クロコの乱暴な断定に万理が反論した。
険悪な視線を向けるクロコに万理は少しのけぞりながら、しかしはっきりと証言した。
「ラミアとリザッドさんは遺体にまっすぐ向かいましたが、僕は部屋に入らず観察していました。内かぎも確認しましたが、たしかに掛かっていた痕跡がありました。それにドアを壊す前、押すとかぎの金具がガチャガチャと鳴る音が聞こえていました」
ラミアがパイプをくるりとまわした。
「クロコとフーグのスキルも教えてよ。本当に無理かどうかは、わたしたちが判断するよ」
「バイト・バインド」
クロコが手を前に差し出して言うと、上下一組の大きな竜の牙のようなものがあらわれる。
次の瞬間、牙が襲った。
「わわっと――」
ラミアはおどろき声をあげてひょいと避ける。牙はラミアの背後にあったベッドの敷きふとんに噛みついた。めりめりと牙の先端にシーツのしわが寄る。噛む力はかなり強そうだ。
「がっは!?」
遅れてくり出された二組目の牙。万理が避けきれず、左肩に噛みつかれていた。
ネームプレートのすぐ下に緑色の横に長い棒――ライフゲージが出現する。
ダメージを受けたのだ。
「万理さんっ?」
「っ……だ、大丈夫だ」
万理は飛び出そうとするラミアを抑えるように言った。
実際、万理が受けたダメージはたったの1ポイントだった。するどい痛みが走ったわりに、まったく大したことがない。
「私の牙の攻撃力は10よ。無いも同然だわ。その代わりにバッドステータスを付加するけれど」
「うっ……!?」
万理が全身をぴくぴくさせながら、牙の攻撃を受けた体勢のまま固まってうめく。
動けない。その様子を見て、しかしラミアは息をついて言う。
「安心して、ただの硬直だよ。すぐ治る」
「動きを止められるのは3ターンだけだわ。まともに使っても避けられてしまうから、こんな感じで不意を突いて使うのよ。……あら、なあに? 教えてといったのはあなたでしょ」
クロコはいじわるそうに口の端をつりあげた。
わざわざスキルを実践して見せなくても、口頭で説明すればすむ話だ。あきらかに嫌がらせである。
万理が声をひそめてラミアに尋ねた。
「3ターンって何秒だ?」
「なにもしなければ最大180秒――つまり3分間だけど。万理さんが行動を実行すれば、すぐにターン消費するよ」
「わ、わかった」
万理はぷるぷると震えながら、「にげる」、「にげる」、「にげる」、と小声で3回くりかえした。すると万理に食い込んでいた牙は魔法の粒子となって消え、バッドステータスが解除された。
――なるほど、このスキルではダールトンは殺せない。
しかし拘束しているあいだに何か細工はできないだろうか。
万理が考えていると、ラミアはじと目で見上げ、
「事件からは逃げちゃいやだよー。どのみち万理さんは逃げられないんだから」
やや的外れな釘を刺してから、フーグに尋ねる。
「じゃあ最後はあなたのスキルだね。ああ、わざわざ使わなくても、説明してくれるだけでいいからね」
「それがそのぉ、言いにくいんだけど」
ラミアの念押しに、フーグは小さな目を泳がせて言った。
「もう使っちゃっててぇ。よくクロコのバイト・バインドと組み合わせて使うから、さっきも反射的に、つい……。『ストマック・ポイズン』といって、相手の口やダメージ痕から仕込める遅効性の毒なのよぉ」
「うぐっ……!?」
説明のさなか、万理が両手でお腹をおさえて苦しみ始めた。
激しい腹痛が万理を襲う。
ふたたびライフゲージが表示され、すぐ横に毒のバッドステータスがあらわれた。そして50ポイント分のゲージが削られた。
「万理さん、動かないでっ! 今度は絶対に行動を実行しないで」
ラミアは大声で制止して、手持ちのかばんから解毒のアイテムを取り出して万理に使用する。
万理は痛みから解放されて、大きく息を吐いた。
「ごごごめんなさいぃ」
申し訳なさそうに謝るフーグの様子には悪気は感じられない。
気にしないでくださいと万理は手を振り、毒の説明のつづきをうながした。
「毒があらわれるのは4ターン後なのぉ。解毒しないとターン毎に50ダメージを与えつづけるわ。いまみたいにクロコがバイト・バインドを出すのと同時に、ワタクシがバインドの牙に毒をつけて使うことが多いわ」
「ふうん、バインドから3ターンで解放されたと思ったら、次のターンに毒がまわってくるわけか。仕掛けられた敵はたまったものじゃないね」
ラミアが感心しながら、窓の下の段差に腰をかけた。
万理が顔をしかめてラミアを見下ろす。
「なあラミア。フーグさんには現場不在証明があるけれど、このスキルを使えば現場に不在のまま、しかも密室でダールトンさんを殺せるんじゃないか?」
毒が発現するのは4ターン後。ダールトンが毒に気づかず行動を使わなければ、240秒の猶予がある。
そのあいだに飲食店へ行きオーダーを取ってアリバイを作るのは、時間的に厳しいものの不可能とまで言い切れない。
しかもダールトンが自室のかぎを閉めた状態で毒がまわれば、それだけで密室は構築される。
「でもたった50ダメージでしょ。回復量にも一桁足りてない。致死ダメージまで持っていくには難しいんじゃないかな」
ラミアはもっともな反論を述べてから、確認するように言った。
「三人とも、いま使えるスキルはひとつずつだけかな?」
容疑者たちはみな一様にうなずいた。
リザッドのハーフ・クリティカ――50%でミスか700ダメージ。
クロコのバイト・バインド――1ダメージ後に3ターンの動作拘束。
フーグのストマック・ポイズン――4ターン後から50毎の毒ダメージ。
ラミアが称した『二重の不可能犯罪』を可能とするために、果たして犯人は自身のスキルを使ったのだろうか。使っていた場合、それはどのような手法だろうか。
少なくとも、フーグのスキルを使えば「密室」の不可能犯罪を打ち破れる可能性はある。
一方でリザッドのスキルを使えば「致死ダメージ」の不可能犯罪を低確率だが果たせられる。
クロコのスキルではその両方が不可能であるものの、相手を3ターン分動けなくさせる効果は大きい。
万理は三者三様のスキルについて考えながらラミアの次の発言を待った。