謝罪
ダイスケは簡単に説明していた。
あれから行っていた作業についてだ。
ダイスケはまず水の跡が残る砂地を掘って、湿った砂を残らず回収すると、別の場所に大きな穴を作り、その底全体にビニールシートをひいて、湿った砂をそこに均一に広げていた。
さらにその穴の真ん中には、ボトルを埋もれるように設置し、その穴自体に蓋をするように、もう一枚の透明なビニールを被せていた。
そしてボトルの口の真上が低くなるよう、蓋にしたビニールの上には小石を置いて、仕組みは出来上がりだ。
そうすることで砂から蒸発した水を、蓋にしたビニールに付着させ、結露させて、ボトルに集まるように仕立てたのである。
日が傾き、気温の下降とともに飽和水蒸気量も減少したおかげで、予想以上に順調に水の回収が行えたのだった。
サバイバルの知識を応用したものだったが、これほどうまくいくとは正直ダイスケも思っていなかった。
それを見て、これまで距離を取っていたアニーの、ダイスケを見る目が変わるのも当然といえば、当然だった。
普通に考えても、五歳児が知っているようなことではない。
アニーは、ずいぶんと長いことズボンの膝をあたりを握りしめて迷っていたが、結局ダイスケの前に来て、頭を下げていた。
「ごめんなさい!」
そしてボトルに穴を開けたのは自分たちだと、それから彼女は正直に告白していた。
いまさらながら罪悪感もあったのかもしれない。
もともと心根はまっすぐなのだろう。
「お前っ、一体何をやったのか分かって――」
とすぐに姫が叱りつけようとしていたが、ダイスケは手でそれを制していた。
一歩前に出てゆっくり手を挙げ、
「!」
少女は殴られるとでも思ったらしく、ハッとして目をつむっていた。
だが、ダイスケにはそもそもそんな発想自体がなかった。
「ありがとう。よく本当のことを言ってくれたね」
ポンと少女の頭に手を置いて、その赤いさらさらの髪を撫でていた。
「……怒らない……の?」
ダイスケを見る、その目が潤んでいた。
「怒る? なんで?」
「だって……水は大切だから……それなのにボク……二人に言われるままあんなことして……」
「でも、反省してるんだろ? だからこうして正直に言ってくれた」
少女はこくりと頷いていた。
「なら、それで十分だよ。それよりこっちには君にお願いしたいこともあるしさ」
「お願い……?」
その言葉に不安を抱いたらしく、表情を曇らせるアニーだったがすぐにそれは驚きに取って代わられていた。
ダイスケはこう言ったからだ。
「不適合者だけど、友達になってくれないかな? 同じくらいの歳の子って周りにいなくてさ。ダメ?」
ダイスケは手を彼女に差し出していた。
アニーはその手とダイスケの顔を見比べ、それからようやくそれが本気なんだと知って、急いでダイスケの手を握っていた。
強く、強く。
「うん! うん!! ボクっ友達になる!」
だが、姫にはそれが受け入れがたいことだったらしい。
釈然としない様子でそれを見ていた。
「甘いぞっ、甘すぎる!」
そう言うのもダイスケがあっさり許してしまったという不満だけではないからだろう。
同性としての、ささやかな苛立ちもあったからに違いない。
「ったく~、坊主。オレっちは、おめぇの将来が違う意味で心配になってきたぜ」
「?」
ヨーゼが言い、ダイスケは意味が分からず首を傾げたのだった。
だが、問題はこれで全て解決したわけではなかった。
それを遠巻きに見ている悪ガキ二人。
歯ぎしりして、なにやらさらなる悪巧みを考えているようだったのである。
それからまもなく歩き始めた一行は、二〇時過ぎには本日の予定場所までにたどり着き、キャンプを張っていた。
さすがに子ども達はぐったりとした様子で、食事を済ませるとほとんど同時に、各自が用意した簡易天幕に入って寝入ってしまっていた。
ダイスケに嫌がらせをする体力ももはや残っていなかったらしい。
ダイスケもひどい疲労感を覚えていたが、疲れ切っているせいか、逆に妙に目がさえてしまって、しばらくちかくの岩の上に寝そべって、夜空を眺めていた。
風がないせいか、星の瞬きも今夜はずいぶんと大人しいものだった。
「何を見ているのだ?」
やってきた姫が隣に腰を下ろす。
「とくにはなにも、かな」
「ふむ」
それからしばらく無言のまま、二人で夜空を眺めていた。
その時間がなぜだかダイスケには、心地よく感じられていた。
だが、睡魔はなかなかにもったい付けらしい。
眠気はやってこないままだ。
そうしている間に、姫が正面に見えている一つの星を指さしていた。
「あれは北極星のエライだ。ダイスケは知っていたか?」
「エライ?」
ダイスケは目を瞬かせていた。
「そうだ。ケフェウス座のエライ」
「北極星が?」
「そうだ」
言われて、ダイスケはしばし疑っていたが、ふとそれを思い出して納得していた。
北極星の代替わり、というのがあるのだ。
北極星は長い期間をかけて、ちょっとずつその位置をずらしている。
それは地球の回転運動にぶれがあるせいなのだが、それが原因となって、何千年かすると、北の中心にあったはずの星は、他の星にその座を譲るのである。
ダイスケの前世の時代は北極星といえば、こぐま座のポラリスだった。
だが、いまは彼女の言うとおりケフェウス座のエライなのだ。
さらにまた何千年かすれば、北極星は変わっていることだろう。
それを知ってダイスケはあらためて自分が、未来にいることをしみじみと実感させられていた。
「エライか……」
そのダイスケの呟きに、姫がなぜだか寂しげにしていた。
「……悲しい思い出でもあるのか?」
そう見えたのだろうか。
ダイスケは苦笑いしていた。
「どうだろう?」
「質問を質問で返すな」
「ごめん。けど、オレにもよく分からなかったんだ」
「そうか……。だが、私はそんなお前の顔があまり好きではないのだ。胸がキュッとなってしまう」
「ごめん」
「謝るな。お前はいつも謝りすぎだ。人に優しすぎるのだ。昼間のことだって――」
「ごめん」
言ってから、ダイスケは寝そべったまま顔を姫に向けて、いたずらっ子のように舌を出していた。
「まったく。わざと言ったな? 意地が悪いのは悪徳だぞ」
しかし、姫はそれでもまんざらでもなさそうにその顔に笑みを浮かべていた。
そして再び夜空を見ながら静かに言ったのだ。
「……やはりお前は変わっているな。他の誰とも違う。私の知らないようなことをいっぱい知っていて、時々こんなふうに生意気なことを言ったりもする。こんなおかしなヤツなのに――」
さやかに吹いた風に青い髪を押さえつつ、
「――なぜ私は嫌にならないのだろう。それどころか――」
と、姫はそう続けてジッとダイスケを見てから、はじめて自分が何を言おうとしているのか気付いたかのように、突然顔を赤くして、慌てて言い直していた。
「いまのはなしだ! 忘れろ!」
ダイスケはポリポリと鼻筋を掻いた。
つまりどういうことなのか。
知りたかったが、姫は取り合ってはくれなかった。
姫はあらぬ方を見て、
「それはそれとして、お前は明日オアシスに着いたら、一緒に来てもらうところがあるからな! いいな!」
「……え?」
意気なりだった。
ダイスケの返事も聞かずに、姫は鼻息を荒くして去っていってしまうのだ。
わけがわからず、ダイスケは思わず追いかけようと身体を起こすが、それに気が付いてその場に止まらざるをえなかった。
なんだこれ?
夜闇に目が慣れたからこそ、それに気が付いたのだった。
砂地に残されていた奇妙な跡。
幅にして五mほどはあろうか。
ずっと遠くまで道のように続いているそれは、風が自然に馴らした砂の風紋を、大きく吹き飛ばして出来たようだった。
ダイスケはその場に屈んで、しばし難しい顔をしていた。
翌日。
ダイスケは想定外の出来事で目を覚ましていた。
自分の簡易天幕だ。
その両端を支えている支柱が、なぜだか倒れて、天幕がつぶれたのである。
通常は、ある程度の風や砂を受けても耐えられるように設計されているので、そういうことはまずあり得ないことだった。
だから、原因は明らかだった。
あの少年二人の仕業だ。
昨日からあの二人については、アニーが説得を試みてはくれていたものの、それがますますあの少年達のやる気に火を付けてしまっていたようだった。
少女を懐柔してしまったダイスケへの嫉妬心からだろう。
やれやれと思いながら、ダイスケは天幕から這い出すと、何事もなかったかのように天幕を片付けて、ヨーゼの元に行き、朝食の準備を手伝いつつ聞いていた。
「このあたりは魔物とかはいたりするんですか?」
「魔物?」
ヨーゼは驚いて、鍋に突っ込んでいたスプーンを止め、聞き返していた。
見たのか、とすぐに硬い顔をしてダイスケに確認してきたが、ダイスケはそれを否定していた。
「ちょっと気になって聞いてみただけなんですけど」
「なんだ、そういうことかよ。驚かせんなって」
と言ってから、このへんじゃ魔物なんて聞いたことがないとヨーゼは、その言葉に付け加えていた。
ならば、昨日のアレは魔物の痕跡ではないということか。
ダイスケはそう結論づけることにした。
そもそも魔物というのは未開の遺跡周辺にしかいないものなのだ。
なぜなら、魔物というのはその存在自体が、過去のテクノロジーの産物だからである。
人類が作り上げてきた様々な用途の無人機、その高度に進化した物が、言わばこの時代に残されている魔物の正体なのである。
無人機の機能を追求し、効率化した結果が、自立した知能を持つ人工的な生命体というのは、ダイスケにとってはなかなかに興味深い話だった。
現在では、使命を与えられずに生まれた生体無人機が、そのまま野生化して、個々の生存本能に従って動いているため、無秩序に人やら、生物やらを襲うのだ。
それゆえ、人々はそれを魔物と呼ぶに至ったのである。
「ま、例え出てきたところで、オレっちにかかったら、ちょちょいのちょい、だけどな」
そう言いながら、ガハハと笑ってヨーゼがベルトから引き抜いたのは、LOA式対人ショックガンだった。
ちょちょいのちょいって、対人ショックガンで?
魔物相手なんだけど……。
と、いささかヨーゼのことを頼りなさげに思いながら、「信頼してます」とだけダイスケは答えておいた。
マルソーが頼むぜ、とダイスケに言ったのも、あながちわざとではなかったのかも知れない。
そんなことをちょこっとだけ思わされていた。
しかし、その不安がまさかこのあとすぐ、あんな形で実現されることになるとは。
この時のダイスケには夢にも思わないことだった。
ただし、原因の半分は悪ガキ二人のせいでもあったが。
それは午前の道程を終え、日中の休憩ポイントである岩場に着こうという時のことだった。
少年の片割れ、ネルソンが隊列から遅れ、大きく離れたため、ヨーゼが一行を休憩ポイントに待機させ、自身は迎えに戻らねばならないという事態が起きてしまったのだ。
が、実はそれは意図的なものだったのである。
短髪の少年、ボックがたわいもない理由から、そうなるように謀ったのだ。
「よしっ、行ったな?」
ボックが休憩ポイントからヨーゼがいなくなったことを確認すると、バックパックを降ろして、ダイスケの前で仁王立ちしていた。
「よぉ、不適合者。勝負しろよ?」
小陰で座って休んでいたダイスケは、乱暴に自分のことを呼ぶ少年を見上げて、状況を理解した。
そういうことかと。
「意外と真っ直ぐな性格だったんだな」
少年は両手の拳を握りしめ、これ見よがしに構えを取っていた。
格闘技でも習っているのだろう。
ヨーゼがいないこの隙に、どっちが強いかはっきりさせたいらしい。
なんとも古典的、そう思うダイスケだが、陰湿な悪戯よりははるかに歓迎できるやり方だった。
ダイスケもバックパックを降ろすと、その心意気に応えようと立ち上がる。
さいわい姫もそれを止めようとはしなかった。
ダイスケがそれを望んでいることを汲んでくれたからだろう。
アニーだけは、そわそわとしていたが、場に飲まれて何も言えないようだった。
「絶対泣かす!」
ボックが言い、間合いを取って改めて構えると、ダイスケはハッとしていた。
「絶対泣かすからな!」
ボックが腕を振り上げてかかって来る。
だが、ダイスケはそれを無視した。
いや、すでにそれどころではなくなっていた、というのが正確なところだった。
ボックが間合いを取った次の瞬間から、ダイスケはある一点に視線を向けたまま、そこから目を離せなくなっていたのだ。
少年が今し方背にしていた大きな岩塊の上――
ダイスケは顔をゆがめる。
「悪いけど、場合じゃなくなった。お前の相手は後回しだ!」
ダイスケは鋭く言って、かかってくる少年にタックルをかますと、その勢いのまま、いまいる場所から一緒になって横っ飛びに飛んでいた。
砂を撒いて伏せる二人。
そのわずか数瞬後だ。
バサァッっと不吉な物音をさせた大きな影が、ほんのさっきまで二人がいたその場所に降ってきたのである。
「アニー! ヨーゼさんを早く呼んでこい!」
ダイスケの声に、バックパックを投げ出して走り始めるアニー。
姫はすでに腰の得物に手を伸ばして臨戦態勢を取っていた。
さすが年長者。
事態の把握が早い。
それからダイスケは立ち上がり、振り返って、その影の正体を目の当たりにしていた。
大きな四足動物。
真っ赤に燃えるような鬣を持ったそれは、獅子にしてはほっそりとした長い胴体を持ち、尾はふさふさとした箒のように膨らんでいた。
見たことがあった。
ただしエリーゼ号のデータベースにあった画像で、だが。
「……炎狐」
そう。
そこに突如として現れたのは、そう呼ばれる狐の魔物だったのである。
*蒸留法については、「太陽熱蒸留法」の画像を検索してもらえると、わかりやすい図が出てきます。