始教
「おいおい、そんなに脅すんじゃねぇって。踏破つってもたかが知れてる距離だろ?」
そこに後ろから近づいてきた気配。
ダイスケが振り返ると見覚えのある顔があった。
ラクダを連れた、スキンヘッドのやたらと体格のいい男。
ヨーゼだ。
「お前――」
驚いたように、マルソーが声を上げていた。
「よぉ。偶然だな。まさかオレっちも教団から坊主の担当に指名されるとは思わなかったぜ」
「担当? じゃあお前が今回の洗礼のガイドか?」
「おうよ。だから大船に乗ったつもりで――」
「コイツは激しく心配になってきたぜ」
ヨーゼの言葉をあっさり遮って、唐突に心配そうな顔をするマルソー。
「って、てめぇな――」
歯を剥いて言葉を荒げるヨーゼに、マルソーはすぐに破顔していた。
「冗談だって。けど、お前のガイドなら確かに心配もいらねぇよな」
「だろ?」
ヨーゼがよく言ったとばかりに、うんうんと頷く。
気心の知れた相手が、砂漠のガイドなのだから当然だろう。
しかも、ヨーゼの本職は実はこちらなのだ。
彼は、この地域の地理に疎い運搬船をはじめとする商業船、その他の旅客などを案内する、エキスパートなのである。
が、なぜだかマルソーはすぐにダイスケに顔を寄せ、こそこそと
「ダイスケ、ヤツの面倒しっかり見てやるんだぜ? お前だけが頼りだからな?」
「って、ぅおい! どんな扱いだよ! 即行貶めてんじゃねぇ! ちっとは信用しやがれ!!」
「ハッハッハ。知った者同士だったのですね?」
眉をつり上げるヨーゼに、そう穏やかな声が降りかかっていた。
見れば、後ろに数人の子ども達を引き連れた壮年の男がいた。
真っ白な男物のワンピース――カンドーラに身を包んでいるところからすると、ラフィンズ・ベイグ教団の聖職者らしい。
「こりゃこりゃ、ミライビ様っ」
ヨーゼが畏まったように彼の名を呼んでいた。
「ミライビ=ナムセリアータ。クーリエの教会にて助祭を務めさせていただいております。あなたがあの名高いカデンツァの――」
「あぁ、マルソー=ブラッディアルバだ。身内が世話になるぜ」
マルソーとミライビが握手を交わしていた。
「で、そっちの、あんたが連れて来たのが?」
「そうです。本日から四日間の予定で、ダイスケさんと一緒に洗礼を受ける子らです」
「一人じゃないのか?」
ダイスケは自分と同じくらいの年齢の子ども達三人を見渡して、マルソーに聞いていた。
「あぁ、こういうのは有る程度まとまった人数でやるのが普通だからな」
「そうそう」
「そもそもガイド一人に子ども一人なんてのは非効率だしよ」
「そうそう」
「それにそっちの方が集団行動を学ぶという意味でもいいんじゃね?」
「そうそう」
「だからお前は――」
とマルソーはそこまで言ってから、脱力したように表情を崩していた。
いい加減我慢ならなくなったんだろう。
さっきから言葉のあいだあいだに口を挟んできていた、どこかで聞いた声に。
「……で、なんでお前はここにいるんだ?」
腰に手を当て、さも迷惑そうにマルソーが見たのは、いつの間にか子どもらの中に混じっていた、頭一つ飛び抜けて背の高かい一人の少女――
なんでここにいるんだ?
マルソー同様そんな疑問をのせて、ダイスケはそこにいた青い髪の少女を呼んでいた。
「……姫」
なぜだか大きめのバックパックを背負って、彼女はそこで満面の笑みを浮かべて立っていたのである。
「私も付いていくことにしたのだ」
キランと少女の目が輝いていた。
「……いいのか?」
ダイスケはマルソーを見上げる。
「ンなわけあるかっ」
やはり五歳児限定ということらしい。
「しかし、私も行くことにしたのだっ。これはすでに決まったことなのだ!」
「いやいやいやいや、ンなこと言っても、教団に申請なんかしてねーし!」
「けど、行く!」
「いや、だから、嬢ちゃん――」
「行く行く行く行く行く行く行く行く行く行く!」
おぉ~。
よくそれだけ滑舌よく言えるものだと、密かにダイスケは感心してそれを見ていた。
「だ~か~ら~」
とマルソーは懲りずに説き伏せようとするが、
「まーまー。いいじゃねぇか」
ヨーゼが仲裁に入っていた。
「お嬢ちゃんの目的は、おそらくこの先にあるアレなんだろ?」
「アレ?」
ダイスケが目を瞬かせる横で、姫は凄い早さでコクコクコクと頷いていた。
何かあるのだろうか?
「ここから先のエリアは教団の聖地だからな。普段は、一般人や外部の人間は特別な理由がなければ、立ち入ることができねぇんだよ。こういう機会でもないとな。
それにお嬢ちゃんはグリフィードさんの娘さんだろ? オレっちも世話になってるからよ。ガイド料はサービスしてやってもいい――が……」
そう言ってヨーゼは額に浮いた汗を拭うと、ミライビを見ていた。
問題は教団の認可だ、ということらしい。
ミライビは小さく笑うと、肩をすくめていた。
意外に寛容な人物であるようだ。
「……わかりました。いいでしょう。あなたがいいというのでしたら、かまいません。私も黙認させていただきますよ」
「うっし!」
姫がガッツポーズをとっていた。
が、ミライビの話はまだ終わってなかったらしい。
「――ただし、私と一つだけ約束していただけますか?」
「約束?」
姫が聞いていた。
「はい。これはあくまで洗礼の儀式なのです。あなたは洗礼を受ける子ども達を助けてはいけません。いいですね?」
「わかった」
姫は即答だった。
「でしたら、同行を許しましょう」
そして、なにやらミライビは姫の耳元でこそこそと言葉をかけると、
「!?」
真っ赤な顔で姫はダイスケを見て、それからミライビを見て口をパクパクとさせていた。
ミライビはそれににこりと微笑んでいた。
「では、ヨーゼさん。あとはお任せしますよ」
「えぇ、わかりましたが……お嬢ちゃんに何を言ったんですか?」
「フフフ。それは内緒ですよ」
そう言うとミライビは子ども達に励ましの声をかけ、元来た方向へと戻っていった。
なかなか忙しい身の上らしい。
「なんとも聖職者ってのは独特なヤツが多いよな」
その背中を見送っていたマルソーが、そんな感想を言っていた。
「そうか? 独特っつっても、みんなあんな感じだろ?」
「まぁ、そうと言えばそうなのかもしんねぇが」
ヨーゼの言葉に、マルソーは素っ気なく頷いていた。
ひょっとしたら何か感じるものでもあったのだろうか。
ダイスケにはさっぱりわからないことだったが。
「さてと、子どもらの紹介もすんだし、そろそろ出発するか?」
ヨーゼは腕時計を確認して言っていた。
三人の子ども達は、おかっぱの少年がネルソン、短髪の少年がボック、赤髪の少女がアニーと言うらしかった。
「なら、ヨーゼ。ダイスケを頼んだぜ?」
マルソーがヨーゼにフィストバンプしながらそう言ったのだった。
砂漠を歩いて踏破する。
目的地は、約二〇キロ先にあるオアシスだった。
砂地を歩いたことがないわけではないが、こうして長い距離を長時間というのはダイスケもはじめてのことだった。
普段からマルソーに護身術などを教わっているため、基礎体力もほどほどに有り、体力的には問題はなかったのだが、砂漠の歩行というのはそういう問題とは、どうやら違うようだった。
乾いた砂の上というのは、経験があるにせよ、ないにせよ、きわめて歩きにくいものだからだ。
それに加えて、天気はぴーかん。
時間がまだ早いせいで、いまはそこまで熱くなってはいないが、もっとも暑い時間帯になると水銀の温度計が普通に振り切れるほど暑くなる。
摂氏五〇度越えもざらで、まだ早朝だというのにいまもすでに気温は三〇度を超えていた。
歩行行程は、朝方涼しい時間と、夕方の暮れ以降で、日中は影のある場所で休むことになっているが、五歳児の体力からすれば、これもすでに過酷な環境であることは間違いなかった。
ただ、いまのダイスケにとってみれば、実はそれ以上に憂慮すべき問題があったが。
子ども達である。
ヨーゼや姫は気がついていないようだったが、この三人が隠れてダイスケにネチネチとしたちょっかいをかけてきていたのだ。
どうやらダイスケが自分が不適合者であると明かしたのが不味かったらしい。
その途端、三人の子ども達の態度が激変していたからだ。
不適合者ごときが、どうしてこの洗礼を受けているのかとすら彼らは思っているようだった。
前を歩いているダイスケに向かって、小石を投げつけてぶつけてくるのはしょっちゅうで、まるでゲームでもしているかのように、代わる代わる足蹴にしてきたり、クズだとか、ゴミだとか勝手な呼び名で呼んで、クスクスと陰気に笑ってきたり、よくもまぁ飽きないなと思うほどあの手この手を考えて手を出してくる。
もちろんダイスケにとってみれば相手は、どこまでいっても子どもに過ぎない。
どうとも思わず無視してきたのだが、さすがに無視出来ない出来事が、この直後に起きてしまったのだった。
午前の道程を終え、大きな岩場にさしかかり、簡易天幕を張るという指導をヨーゼから受けた後、一行は昼食の準備に取りかかっていた。
そこでそれは起きたのだ。
ダイスケがちょっと目を離した隙に行われたらしかった。
子ども達の誰の仕業かは分からない。
たまたま調理のために使おうと、バックパックから出して地面においていた飲料ボトルを拾い上げたときに、ダイスケはそれに気付いたのだ。
「……マジか」
思わず声に出してしまうような陰湿な悪戯だった。
ダイスケがボトルを目の前まで持ち上げて見れば、その側面に二つ、小さな穴が開けられて、そこから水の大半がこぼれて失われてしまっていたからだ。
水がこの砂漠でどれほど貴重な物資か、子どもであろうと分からないはずがない。
これがダイスケに与えられていた水全てではないにしても、それを失うことは大きな痛手だった。
与えられていたボトル一本分というのは、今日一日消費していい分の飲料水であったからである。
「ダイスケ?」
そこに自分の持ち分の調理を済ませて、こちらの様子を見に来た姫が、同じようにボトルに目を向けていた。
それだけで、彼女はすぐに何が起きたか察したようだった。
わなわなと肩を振るわせて、こっちを盗み見るように、チラチラと視線を向けて来ていた三人の子ども達を、威嚇するように睨み付けていた。
さらに姫はそれだけでは我慢できなかったらしく、彼らに文句を言いに行こうとしたので、
「待った、姫」
ダイスケが腕を掴んで止めていた。
「なぜだ、ダイスケ!」
怒りに目がつり上がっていた。
「助祭と約束しただろ? 手は出さないって」
「だが、これは子どもにしてはあまりにずるいではないかっ」
言いたいことは分かる。
それでもダイスケは頭を振っていた。
「これもオレにとっては洗礼の一環なんだよ。他人とどう接していかなければいかないか、っていうな」
ダイスケがこれから生きていく中で、これらを含めた他人からの差別は、不適合者である以上は避けては通れない道なのだ。
思えば、いままでは船の中でほとんどの時間を過ごしてきた。
そういう機会もこれまではほとんどなかったのだ。
だから、これが見知らぬ他者と付き合っていく上での試金石となる、そうダイスケは思っていた。
「しかし、こんなことが許されたらっ」
「どうかしたか?」
騒がしい姫の声を聞きつけたヨーゼまで、ここに来てしまっていた。
「おっと、坊主そいつは――」
ヨーゼもボトルの不自然な穴を見つけてしまっていた。
ダイスケは急いで言葉を滑り込ませ、
「事故だ」
「……事故?」
「調理中に、間違って刺したんだ」
「刺したって、おめぇ――」
ヨーゼにもそれがあまりに不自然な言い訳だとわかったらしい。
さらに姫が三人の子ども達に向ける刺々しい視線で、大方の想像も付いたはずだが、ダイスケがあまりに真剣な間差しを向けてくるものだから、ヨーゼはそれ以上は追求しなかった。
「……そういうことなら仕方ねぇか。こいつも試練だな」
いざとなればオレっちが助けてやるぜ。
とヨーゼは子ども達からは分からないように、影で小さく親指を立てていた。
「今度は気をつけろよ? 水はここじゃあ命の次に重いもんだしよ」
ヨーゼはそう言うと、ラクダのもとへと戻っていく。
同じ男同士だからだろうか。
理解が早くて助かった。
ダイスケは息つく。
ここで他人の力を――しかも大人であるヨーゼの力を借りれば、子ども達の侮りは増すばかりだからだ。
それは姫の力とて同じことである。
ここは自力で乗り切らなければならない場面なのだ。
自分の価値は、自分の力で他人に認めさせなければ意味がない。
「姫。オレは自分でなんとかするから、だからさ――」
ダイスケは少女の瞳をのぞき込んでいた。
姫は唇を尖らせて不満そうな顔だった。
「大丈夫だから、姫」
そう何度か言ってようやく姫は、
「……わかった」
と頷いていた。
「ありがとう、分かってくれて」
ダイスケが微笑んでやると、なぜだか少女は驚いた顔をして、頬を赤くしプイッと顔を背けていた。
「だが、本当に困っているようだったら関係なく助けるからな。私はお前とオアシスまで行きたいのだっ」
そうして姫はドスドスと自分が調理していた場所へと歩いていった。
ふむ。
どうやら姫の目的のものはオアシスにあるらしい。
何があるかは分からないが、それほど楽しみにするものならば、よほどのものがあるのだろう。
ダイスケも少しだけ期待しはじめていた。
だが、
「いまはこっちをどうにかするのが先だよな」
もう五分の一ほど――三〇〇ccも残っていない、飲料ボトルを見る。
砂地には、そこからこぼれ落ちた水が作った跡が残されていた。
この中にははじめは一五〇〇ccの飲料水が入れられていた。
ヨーゼに言えば前倒しで、明日の分の水を分けてもらうことが出来るだろうが、それはもちろんできない。
それは悪ガキどもの悪意に負けたも同然の選択だからだ。
「しゃーねーか」
そう言って、まるでマルソーみたいな言い方だな、と思わず自分のことを笑うと、手早くボトルの穴を、おやつに持っていたガムと粘着テープでふさいでいた。
「よっし」
中にあった水は、一旦他の容器に移し、ボトルを空にする。
それからダイスケは調理もそっちのけで、なにやら作業をしはじめるのだった。
そして、それから数時間。
日がかなり傾いて、再び出発しようという時刻を迎え、再びダイスケのところまでやってきたヨーゼが、ひどく感心して、ダイスケの頭をなでくり回していた。
「すげぇな、坊主!」
なぜなら、ダイスケのボトルの中に、わずかな量ではあったが、それでも二〇〇cc近くの、なかったはずの水が溜まっていたからだ。
岩陰で仮眠を取っていた姫もやってきて、目を丸くしてそれを見ていた。
「どうやったのだ!?」
すごいぞすごいぞと拍手してはしゃいでいた。
さらにおそるおそるやってきた子ども達の一人、赤髪の少女アニーが目の色を変えて、ダイスケを見ていた。
一体どんな魔法を使ったのか?
そう言いたげな様子だった。
ダイスケはボトルを持ちながら、これ見よがしににやりとして見せていた。
「こいつを使ったんだよ」
ダイスケがもう一方の手に持っていたそれは、二枚の、どこにでもある透明なビニールシートだった。