姫
どうもいつもと様子が違う。
昼間にあった威勢のよさが、いまのボックからはまったく感じられなかった。
それはボックのすぐ斜め後ろにいた、ネルソンにも言えることだ。
二人とも表情が硬い。
緊張しているのか。
だが、どうして?
ダイスケは訝しむ。
「……やるのか?」
ダイスケは様子をうかがいながら、ボックに聞いていた。
昼間の決闘の続きを、だ。
魔物が現れたせいでうやむやになったままだった。
思えばあのあとから二人の態度はどこかおかしかったのだ。
「それはもういい」
意外な言葉が返ってきた。
そのすぐ近くでなにやら動く気配がして、ダイスケが身体を半分向けると、バオバブの木の影からこちらの様子をうかがっているアニーの姿が見えた。
チラチラとボックはそっちを気にするように見ていて、ますますダイスケは困惑する。
すると突然、
「ん」
正拳突きでもするかのような勢いで、ボックが手を差し出して来る。
出されたのは拳ではなく、手のひらだった。
ダイスケは首を捻る。
だが、こんな場面は前世で覚えがあった。
ただ、経験としてはないのだが、知識としてはあった。
それは人気のない校舎裏や、薄暗い路地裏、ゲームセンターなどのトイレである場合が多かった。
ダイスケは深々とため息をついて、
「金を出せって?」
「バカか!」
ボックのツッコミは早かった。
いや、真面目に言っていたダイスケからすると、その反応は間違いなく意外以外のなにものでもなかったのだが。
たまに抜けているダイスケである。
その様子を後ろで興味深そうに見ていたヨーゼが、ずるっとコケていた。
「握手だよ!」
ボックが語気を強めて言い、
「握手? ……なんで?」
ダイスケは顔をしかめる。
そうする意味がわからない。
「それは!? そ、その……」
急にボックは顔をうつむかせると、もごもごと言葉を濁す。
何かを躊躇っているらしい。
(がんばれ~っ)
控えめなアニーの声がボックに向けられていた。
唇を噛むボック。
ワナワナと肩を震わせ、それからどこか決意したように顔を上げると、少年はダイスケを真っ直ぐ見ていた。
「お、お前のこと……不適合者だって言ってたけど、特別にそれを取り消してやるよ!」
唐突だった。
言葉足らずだった。
――言葉足らずだったが、ダイスケはそれに相づちを打っていた。
何がしたいのか察したからだ。
おそらくアニーの提案があったのだ。
ダイスケとボック、そしてネルソンを和解させるための。
「……なんで急にそんな気になったんだ?」
ダイスケは聞いていた。
「急じゃない。ずっと考えてたんだよ」
聞きたかったのはそこではなかったが、そこは寛容にダイスケは受け取った。
ボックの顔はガチガチだったのである。
おそらくきっかけはあの魔物との戦闘だろう。
ダイスケに助けられて心境が変化した――当たりを付ければ、そんなところだろうか。
「そっちも同じなのか?」
聞くと、ネルソンが無言で頷いていた。
そういえば、いまだにこの少年がしゃべったところをダイスケは見たことがない。
内気な性格なのだろうか。
まぁ、それでもその意志さえいまは確かめられれば、ダイスケにはそれでかまわないことだったが。
「……そか。わかった」
「なら――」
と、再びボックが手を差し出して来る。
しかし――
フイとダイスケは顔を背けていた。
あっさりそれを袖にしていた。
当然だ。
それまでのボックの言葉の一体どこに、許してもいいと思えるだけのものがあっただろうか。
ボックが言ったのはこれだけ。
不適格者じゃないと認めてやるから、感謝しろ?
そんなことを口走っただけ。
もちろん、その言葉の裏には謝罪の意味が見え隠れしているのはわからないでもないが、ダイスケが欲しいのは深読みしなければ分からないような言葉ではない。
ボックはそんなダイスケの様子に、歯を剥いて苛立ちを顕わにしていたが、ダイスケは気にしなかった。
ただ冷静に言っていた。
「いろいろと気に入らないことはあるけど、一番の原因はそれだろうな。なんだってお前ら、上から目線なんだ? そんなに偉いのか? その根拠はどこにある?
生まれか? 容姿か? それともLOAが使えるからか?
全部、偶然持ってるってだけのもんだろ? そんなに誇れるものなのか?
それに例えそれらを持ってたとしても、お前らオレよりなにができる? なにができた? そんなに凄かったか? そんなに偉かったか?」
「!!」
ボックは面食らっていた。
それまでダイスケはボック達に多くは言葉を向けてこなかった。
それだけにその言葉は大きな衝撃をともなったようだ。
ダイスケはさらに続けた。
「そもそもだ。お前はどうしたいんだ? オレに頭を下げさせて、ありがとう嬉しいよって言わせて、満足したいのか? 子分にでもしたいってのか? それとももっと違う関係になりたくてそんなことを言ってるのか?」
ボックは言葉を失い、急に不安に襲われたように、アニーへと視線を投げていた。
助けを求める顔だ。
だが、
「お前のことを聞いてるんだ、ボック。アニーは関係ない」
厳しいことを言っている自覚がダイスケにもあった。
五歳児を相手に言うようなことではないのかもしれない。
しかし、それでもこれはボックとダイスケのやりとりだ。
他の人間は関係ない。
それにダイスケは思うのだ。
これは始教の洗礼。
この洗礼は、自分のだけが洗礼を受けるわけではないのだと。
彼らにとってもそうなのだと。
だから彼らも学んでいかなければならない。
いや、学んで欲しいとダイスケは思うのだ。
不適合者との、よりよい付き合い方を。
ダイスケが適合者との付き合い方を模索するように。
侮らず、蔑まず、対等にあろうとすることを。
両者がそれぞれ補い合い、他人のいいところをいいと認めあい、足りないところを補い合っていく、そんな関係を。
不適合者だからといって、すべてが劣っているわけではない。
理解して欲しいのだ。
それは二人の少年も、もう目の当たりにしているはずなのだから。
ボックの青い目がダイスケをまっすぐ見て来ていた。
そしてネルソンもダイスケを見ていた。
静寂が三人を包み込んでいた。
ダイスケはそれ以上は何も言わず、ただ言葉を待っていた。
これでボックが怒鳴り散らしてくるようなら、それはもう諦めよう。
それ以上はダイスケがすべきことではない。
彼らにも意志はあるのだから。
一方的に認めないと言って切って捨てるのは主義ではない。
ボックとネルソンが視線を交わしていた。
どうやらその意志は決まったようだった。
そして――
「ごめん!」
二人は頭を下げたのだ。
ダイスケは肩の荷が下りた気がした。
ホッと息をついていた。
それで十分だと思った。
握手などしなくても。
ダイスケはにっと笑う。
「そ。そういうこと。やれば出来るじゃん」
そして二人の頭をこれでもかというくらいに撫で回してやるのだった。
悪ガキ二人は、すぐに嫌そうに撫でるのをやめろと抵抗してきたが、素直ではない。
顔はそうは言っていなかったのだ。
「――なら、今度こそ」
と懲りないボックが再び手を出してきていた。
やけに拘ると思ったら、どうやらそれはアニーの提案した和解のシナリオがそうだったかららしい。
遠くで見ているアニーがうんうんと頷いていた。
確かに彼女との和解の時は握手だった。
しかし、
「けど、悪いけど、やっぱそれは無理だな」
「なんで!!」
ボックがムッとしてくるが、言ったダイスケはすぐに笑って見せていた。
「握手っていうのは一対一が基本なんだよ。それに砂漠の男なら、仲間に対してはこっちだろ?」
そう言ってダイスケは両手を持ち上げ、それぞれボックとネルソンに拳を差し向けていた。
それがどういう意味なのか少年二人にはすぐに分かったようだった。
目を輝かせている。
フィストバンプ。
「おう!」
嬉しそうな顔をして、少年二人はダイスケと拳をぶつけ合っていた。
「これで対等。これで仲間、そして友達だ」
ダイスケの言葉に少年たちがいい顔をして頷きあう。
少しは不適合者に対する見方も変わっただろうか。
ダイスケはそんな二人の顔を見て言った。
「帰りは楽しくやろうぜ?」
「おう!」
「うん!」
「おぉ、お前しゃべれるのか!?」
ネルソンの一言にダイスケが驚き、そしてどっと三人で笑いあう。
さらにそこに走ってきて加わったアニーが満面の笑みを見せって加わわって、はしゃいでいた。
が、
「ダイスケー!!」
そこに水を差すように、焦れた姫の呼び声がして、ダイスケは大げさにしまったという顔をしていた。
すっかり頭から抜けていたからだ。
その顔にダイスケ以外の子どもたちが盛大に笑っていた。
「行ってこいよ」
ボックが道を開ける。
アニーは少しだけ不満そうにしていたが、
「……またあとでね」
「ヒューヒュー!」
ネルソンに冷やかされながら、ダイスケは姫の元に走ったのだった。
姫はさっきと同じ場所――水際に立っていた。
ずいぶんと待たせたので怒っているかと思いきや、全然そんなことはないようだった。
こっちこっちと手で呼び、言われるままダイスケは姫と肩を並べると、遠くから見ていた時には気付かなかった景色を目の当たりにさせられて、思わず息を止めていた。
ダイスケは気付かぬ間に自分の腕を抱いていた。
なんだよこれ?
鳥肌ものの景色だった。
「すごいだろ?」
姫が自分のことのように誇らしげに言っていた。
静かな湖面。
そこに満点の夜空が映り込んでいたのだ。
そこに立つと、まるで自分が宇宙にでもいるかのような気さえしてくるのだった。
無数の星――恒星、銀河、星雲、そしてそれらが作り出す天の河――
ダイスケの前世における夜空では、もちろんこれほど美しい星空は見られなかった。
広がりがあり、圧倒されるほどの星空というのは、街の光にかき消されてしまっていたからだ。
昨夜ももちろん見てはいた。
だが、それとこれとではまるで別次元だった。
足下にも夜空があるというのは、こうまで違うものかと、ダイスケは思わされていた。
圧巻の一言だったのだ。
「だが、これだけではないぞ」
そう姫がにんまりとして、腕にしていた時計を確認し、
「三」
はじめたのは、カウントダウンだ。
「二」
姫が嬉しそうに微笑む。
「一」
そして、微かにゼロと姫が言うのを聞いて、ダイスケは絶句した。
今度は湖底からだった。
それまで闇に包まれていたはずの、その湖底がぼんやりと明るくなったかと思うと、次から次へとなにやら水泡のように、光の粒子が上って来始めたのだ。
青、緑、白――
湖面に到達すると、その光は小さな波紋を残してシャボンのように壊れて、霧散していた。
だが、それだけではない。
その光に照らされ、湖底に沈んでいたものが顕わになり、それを見て、ダイスケは言いようもない高ぶりと寂寥感を覚えたのだ。
「……街!?」
そう。
ダイスケのその言葉通り。
その湖底に沈んでいたのは、はるか昔に存在していた都市、そのビル群だったのである。
「ここは教団の聖地だ」
姫が言い、ダイスケはその湖底の姿に視線を奪われたまま耳を傾けていた。
「はるか昔、教団の使徒、聖カウスが啓示を受けた場所なのだ。ダイスケは聞いたことがあるか? 『闇に備えよ』。あの教えで有名な聖カウスを。あのカウスはな、ここで修行をしていたのだ」
それから姫が何気なく、視線を向けてきて、なぜだかひどく驚いていた。
「お前――」
息をのんでダイスケを見ていた。
「――泣いている……のか?」
「泣いて? オレが……?」
言われてダイスケは、目元に手をやり、そこで初めて自分が涙を流していることに気がついていた。
慌てて、腕でそれを拭う。
自分でも驚いていた。
だが、思い当たることがないわけでもなかった。
ダイスケがこれまでずっと考えないようにしていたこと――
自分が転生してしまったというその事実の先にあったこと――
それがこれほど圧倒的な、時間経過の証拠を突きつけられて、ダイスケの中で、寂しさとともに一気にあふれ出してしまったのだ。
ダイスケはこれまで考えてこなかったのだ。
周囲の環境がそれを許さなかったから。
周囲の忙しさがそれを許してくれなかったから。
そして自分で意図して、これまで考えまいとしていたから。
自分がもう元の時代には戻れないという事実を。
そこに置いてきてしまった人々と会えないという事実を。
家族。
友人。
そしてそこにあった世界そのものとの別れを。
その全てを今さらながら教えられていたのである。
そっと姫がダイスケの頭を抱いていた。
「……どうして泣いているかは私にはわからない。だが、いまは好きなだけ泣けばいい」
ダイスケは静かに言う姫を拒むことが出来なかった。
顔をうつむかせたまま、上げることが出来なかった。
大丈夫だと言えなかった。
かっこ悪かった。
二五歳の大人が、だ。
それがただの子どもにあやされるなんて。
けど、それでも抗うことをダイスケはしようとは思わなかった。
少女の気持ちのあたたかさに。
優しさに。
甘えてしまっていた。
だからダイスケは泣いたのだった。
本当の子どものように。
何も考えずにただ、泣いたのだった。
そしてどれくらい経っただろうか。
膝枕をしてくれていた姫が、ダイスケに言ったのだった。
「さっきの聖地の話なのだが、もう少しダイスケには聞いて欲しいことがあるのだ」
「……」
ダイスケは自分の髪を撫でる姫の言葉を、横になりながら無言で聞いていた。
「聖カウスの話にはこんな話もあるのだ。あのミライビ助祭が教えてくれたことなのだが、このオアシスにはたくさんのラヴィスコアが埋まっているらしく、掘ればすぐに出てくるのだそうだ。
だが、なぜだか青いラヴィスコアは少なくて、そのコアを男女二人で一緒に拾うと、永遠に結ばれ……コホンッ。いや、幸せになれるとその聖カウスは言ったのだという」
それから膝枕をしてもらったまま、ダイスケは何気なく姫を見上げると、そのダイスケの顔を、姫が真剣なまなざしでのぞき込んで来るのだった。
「……そ、その、だな。ダイスケ。それを――私とその、一緒に……探さないか?」
姫の顔が真っ赤だった。
勇気を出して言ったのだ、そのことがよく分かった。
「……」
ダイスケは姫を見返した。
それを姫がしたいのなら――
ダイスケは迷わなかった。
だから、ただ頷こうとした。
だが、その時だった。
姫の背後から声がしたのである。
「姫様!!」
聞き慣れない女のものだった。
一瞬悲しげな顔をして、姫は息をついていた。
「時間切れか……」
何が時間切れなのだろうか。
ダイスケが気になって身体を起こすと、姫を呼んだらしき人物がすぐそこに立っているのが見えた。
暗くて顔まではわからないのだが、恰幅のいい女だというのはわかった。
音には気付かなかったが、どうやらその後ろにある小型の砂上船でここまでやってきたらしい。
姫は立ち上がると、その女に手を挙げて答えていた。
「知りあい?」
言いながら、ダイスケは姫の姿を目で追うが、さっきまで姫が座っていたその場所で何かが光ったことに気付いて、視線を地面に落としていた。
そうだ、と言う姫の声を横に聞きながら、ふと何気なくそれを拾い上げる。
ともすると、姫が再びこちらを向いていた。
「すまない、ダイスケ。私はもう行かなければならないようだ」
「行く?」
ダイスケは顔を上げた。
「あぁ、あの船は迎えなのだ。ここに来るまでにちょっとした用事ができてしまってな。そう連絡があったのだ。なんとかいままで先延ばしにしてもらっていたが……そろそろ限界のようなのだ」
ヨーゼが遠くでこっちを見ているのがわかった。
何も言わないところを見ると、おそらく彼にはすでに話してあったのだろう。
ダイスケはいまいち要領を得ないまま聞いていた。
何の用事なのだろうか?
「街に戻るのか?」
「あぁ」
そういうことなら、とダイスケは頷いた。
ここで引き留めるのは、ただのわがままだ。
それが出来るほど、ダイスケの中身年齢は子どもではない。
それでも姫はそうして欲しそうに見えたが、ダイスケには出来なかった。
だから、代わりにこう言ったのだ。
「なら、お願いしてもいいか?」
「お願い?」
ダイスケは立ち上がり、身をかがめる姫に耳もとで囁いた。
「姫にしかお願いできないんだ。信じてる人にしか――」
「信じてる? 私を? ……わかった。聞く。聞かせてくれ」
姫が照れたような、戸惑ったような顔をして言った。
それからダイスケにひそひそとお願いを聞かされて、驚いた顔でダイスケを見返していた。
「できる?」
「当然だ! しかし――」
何かを言いかけたが、ダイスケは首を横に振ってそれ以上は口にするなと止めていた。
姫は寂しそうにしながら小さく頷いていた。
「頼んだから」
姫は今度はしっかりと頷いていた。
そしてダイスケの願いに応えるべく、迎えの船の方に向かって歩き出すのだ。
だが、姫は途中でこっちを振り返っていた。
「ダイスケ! まただ。また会おう! 絶対にだ!」
ダイスケは笑顔を見せて、それに手を振って応えていた。
真っ直ぐないい子だった。
なんでこんな自分に懐いてくれるのか不思議なくらいに。
姫はそれでも名残惜しそうに、手を振ることさえ躊躇われるように、しばらくこっちを見たまま後ろ向きに下がっていき、それからようやく迎えに来た女とともに、船に乗り込んでいた。
ダイスケはそれをジッと見送って、船が遠ざかるのを見てから、「あ」と声を出していた。
大事なことを今さらながら思い出したからだ。
自分が手にしていた物。
ダイスケは胸の前まで持ち上げたその手を開いていた。
中にあったのは――
青いラヴィスコア。
渡せばよかった。
苦い顔で後悔していた。
そう、それがいまはまだ長い後悔になるとも知らずに――
姫のお迎え。
なんだか、手直し入れながら竹取物語を想像してしまいました。




