騎士
騎士について少しだけ書こうと思う。
騎士というのはどうしても華々しい印象がつきまとう。騎士道精神というものもあるが、あれは武士道と並んで後世に構築された概念である。もちろん事実として騎士(重装騎兵)は戦場の花形ではある。しかし、中世の騎士というのは基本的に半農半兵であり、土地を保有する農民領主によって形成されている。
中世以前の共和制ローマの時代には、富豪が箔を付けるために騎士になることもあったようだし、中世の騎士も身分とは関係なくなれたようである。ただし、武具防具は自分で揃えなければならず、馬を飼い、手勢を集められる者となれば、必然的に土地を所有する者に限られるようになる。
土地所有者はほとんどの場合がより上位者、有力者に土地を保証してもらうことで成り立っている。自身で開墾した場合でも、一度上位者に譲渡する。日本で言えば寄進地系荘園のようなものが形成される。
騎士になるものはそういった上位者、有力者の下へ奉公に出ることで、仕事の傍ら騎士としての教育を受けることになる。大体小学生に上がるころには小姓として働き始め、中高生くらいになると従者として戦場にも赴くことになる。そして、そういった期間が終わったころに上位者に騎士と認められることでやっと騎士となることができる。
騎士たちは普段は領地経営やあるいは農作業をしつつ、自らの主君である上位者の招集があると装備を整え、手勢を集めて駆け付けることになる。上から下へと命令が伝達されるまでには時間がかかり、いざ戦争を始めようとしても騎士全てが集まるまで領土にもよるが二週間以上はかかる。
騎士は中世の軍隊における最小単位の部隊長である。その装備はチェインメイルとブリガンダインを組み合わせたものに、カイトシールド、ヘルムやコイフなどで、中心となる武器は主に槍。行軍中は鎧以外は身に着けず兜も槍も従者に預けている。戦闘用の軍馬と移動用の乗馬は分かれていたようである。
部隊の中には従者や小姓、弓騎兵、歩兵、人足、御者などがいる。
人足や御者は糧食やそのほかの荷を運んだり、馬の轡をとったりする役目で、戦闘には参加しない。
小姓も主人の身の回りの世話や装備を運ぶことが主体で戦闘には参加しない。
歩兵は隊長である騎士の財力によって人数や装備が変わるが、盾を持たず槍とチェインメイルのみを身につけたものが多かったようである。
弓騎兵は移動時のみ騎乗するものや戦闘時も騎乗したままのものがいる。後者は戦術の発達に従って出てきたものである。
従者は主人と似たような装備でともに騎乗して戦うものや下馬して重装歩兵として戦うものなどがいる。重装歩兵として戦うものの中には捕虜となった敵兵の首をはねる役割を持った者もいたようである。ただし、捕虜となった敵兵からは身代金が取れることもあるため、問答無用で首をはねることはない。
これらの手勢の装備の質や数がその騎士の格を決めることにもなっていたようだ。王権が強まると騎士を中心とした部隊の質を均質化しようという動きがみられるようになり、次第に兵や武官の常備化が進むようになる。
騎士の戦術は騎馬隊突撃が主体で、一騎撃ちなどの儀礼的側面も大きかったようである。その時代には弓などの飛び道具は卑怯であるという風潮が生まれたいたらしい。しかし、ある程度戦力が確保できるようになると長弓や弩、長槍などの対騎馬戦術が発達する。特に銃器の発達は重装騎兵の価値を著しく下げることとなる。