ストーリーとプロットと語り
日本文学概論より。物語論。
物語というのはプロットとストーリーとに区別される。前者は記述すべき事象を因果関係によって叙述したものであり、後者は時系列によって叙述したものである。プロット、あるいはストーリーを図式として記述したものを構成図と呼ぶ。
ストーリーというのはその性質上、因果に含まれない出来事も記述し得る。一方で、二つの出来事をつなぐ因果に言及しない。
しかし、プロットとストーリーのみでは物語は完成しない。プロットもストーリーも飽く迄も事象をまとめ直しただけのものであり、単なる物語の内容物に過ぎない。物語である以上始まりと終わりが存在し、その枠にはめる必要がある。その枠というべきものが「語り」である。
「語り」というのは物語内容と作者をつなぐパイプである。また、物語内容の側面を切り取り、背面をそぎ落とすのが「語り」である。読者から見れば物語内容との間にあるフィルターであると言ってもよい。
一人称や三人称、あるいは時に二人称的な語り手も存在する。物語内容の外側に存在する三人称の語り手であっても、物語に引き込むために一人称的な語りを行うこともある。
どのような語り手であれ、そこには社会的・文化的性質が作者によって付与されている。三人称の語り手はしばしば作者と混同されるが、語り手の性質が必ずしも作者の性質と一致するとは限らない。
作者が語り手に付与した性質を把握することによって、物語内容をどういった側面から切り取っているのか、何がそぎ落とされているのか、という語り手の政治性を分析することができるようになる。
いつか述べたが、物語には平均から外れたある種の差別性が含まれる。物語の中の平均というのは読者の中のコモンセンスにも影響は受けるであろうが、大抵は語り手が設けるものである。平均をどこに設け、差別性をどのように捉えているかという語り手に対する考察は、物語を読み替える上で重要な役割を果たすものである。