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道聴塗説  作者: 静梓
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中世

 中世という時代区分がある。


 日本文学史においては鎌倉幕府開設から江戸幕府開設までのおよそ四百年間を中世と呼ぶ。政治実権が武士の手に渡った鎌倉時代から、天皇が巻き返しを図って混乱した南北朝時代、再び武士が政権を取った室町時代、下克上の戦国、安土桃山時代に至るまで、とても政局が不安定であり、大きな戦乱が巻き起こった。


 『住吉物語』などの擬古物語や『平家物語』に代表される軍記物語、四鏡などの歴史物語などが生み出されたほか、仏教説話や世俗説話を集めた説話集が多く編まれた時代である。隠者文学として有名な『方丈記』や『徒然草』もこの時代であり、読者層の広がりから御伽草子がうまれたり、庶民的な喜劇として狂言が成立したりした時代でもある。


 さて、文学史の復習はこれくらいにしておいて、本題はここからである。


 中世という語は文字通り中間の時代を意味する。つまり、過渡期である。古いものから新しいものへ至るまでの混乱期。言い換えるならば、ローマの死から再生へと至る時代である。


 中世という時代区分のエポックメイキングな出来事といえば、西ローマの滅亡と東ローマの滅亡である。四七六年から一四五三年までのおよそ千年間をとりあえず中世と呼んでよいだろう。中世史において最も重要な語句である封建制を基準に考えても良いだろうが、とりあえずローマを基準に考えよう。


 東ローマの滅亡はオスマン帝国の侵入による。ビザンツ帝国の滅亡によって古典学者などが西欧に移住してくる。それによってイタリアルネサンスが準備されるのである。もちろん、ルネサンスの原因には十字軍遠征や封建社会の解体などのいろいろな要因が、古典遺産としてのローマ文化を刺激したことによって引き起こされるものである。


 ルネサンスの古典遺産としてのローマ文化を再評価し、それまで紐帯ともなっていたラテンカトリック文化の桎梏から解き放とうとする、人文主義に基づいた文化運動である。実際には、あらゆる分野に影響を与え、数多くの天才を生み出したため、変革の時代となったわけであるが、根源はルネサンス=再生の意味通り復古主義的な運動である。


 そうした時代を経て、中世の文物が俗語へと翻訳されていくなかで、ローマが崩壊してから再生するまでの時代を評価する視点が生まれてくるのである。


 とはいえ、千年を一つの用語で呼ぶことに問題がないわけではない。日本の中世でも、鎌倉、室町、戦国、安土桃山など大雑把に見てもこれだけの変遷がある。西欧、あるいは地中海世界という広い地域を見ているとはいえ、まったくの均質であるということはないはずだ。


 イタリアルネサンス以前にもカロリングルネサンスなども起こっているし、蛮族的な(ゴート人の)という意味を持つゴシック建築などの文化を生み出している。字義が示すような暗い時代であるだけではなく、ローマとゲルマン、ラテンカトリックの文化が出会い、熟成されていく時代でもあるのである。

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