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道聴塗説  作者: 静梓
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それは“正しい”日本語か

※ 個人の意見です。

 手元に紙とペンを用意してほしい。そして、それで「外」という漢字を書いてもらいたい。


 お書きいただけただろうか。


 多くの人はカタカナの「タ」の右にカタカナの「ト」という字を書いたと思う。夕方の「夕」の右に卜占の「卜」でも良い。そこでモニタ上の「外」という字をよくよく観察してもらいたい。右側は「ト」ではなく横棒が右下がりになった「十」であることにお気づきだろうか。


 もう一度、紙とペンに向かってほしい。今度は「北」という字を書いてもらいたい。既にお気づきかもしれないが「北」も手書きと活字で字形が異なる。


 もしかしたら、ブラウザの設定で字体を教科書体などに設定している場合には、書いてあることが何のことかさっぱりわからないかもしれない。教科書体は幼少の学習者の混乱を招かないために、筆記に近い字形の活字になっている。そういった方は、ワープロソフトでゴシック体や明朝体でタイプしてもらうか、ブラウザの設定を一時的にいじってもらいたい。


 さて、筆記の字体と活字の字体が異なる文字があることは理解していただけたと思う。


 どちらかが間違っているという訳ではない。正しいか間違っているかで言えば、どちらも“正しい”日本語である。小学生の頃に、漢字の書き取りなどをした人は字形について細かく指導を受けたかもしれない。しかし、元来字形というのは思った以上に許容範囲が広いものである。


 くずし字辞典や書道のお手本を書店で見てもらえば分かるかもしれない。また、書道をやっていらっしゃる方は楷書と行書などで筆順が異なる文字があることをご存じだろう。


 もちろん、文字が文字としての機能を果たせなければ、それはただの模様に過ぎない。それ以外にも、手書き文字には“許容”字形というものも存在している。印刷活字には手書きでは許容されていない字形が混じっていることもある。文字として識別性を優先させるために道路標識の雨冠は内側の点が四つではなく二つになっているという例も存在する。


 “正しい”字形というのは、実は非常に怪しいものだ。ましてや、“キレイな”だとか“美しい”だとかそういった美的感覚を文字に求めるのは、書道などの芸術分野のみでよい。そして、そうした美的感覚は個人に差があってしかるべきものである。


 勘違いしてもらいたくないのは、学校教育がウソをついているということが述べたいのではないということだ。


 筆順はその文字を書きやすく、字形は読みやすいように整った形を教えているというだけのことである。小と立心偏(情の左)の筆順が違うように、意味などを表していることもある。


 例えば「乃」という文字はひらがなの「の」の字母ということを考えれば、左払いが先であることが容易に想像がつくだろう。しかし、字形が似ていて、頻度も高い「力」や「か」につられて、左払いを後に書いてしまう人がいる。正しい筆順で書け、というのではない。筆順が変わると、点画の接し方が変わり、字形も変わるのだ。整えて書くために、筆順を覚えておいて損はない。


 雑な雑文を書いている身でこんなことを書くのは滑稽であるが、要するに、“正しい”日本語という感覚はそれほど重要ではない。文字の向こう側にいる読み手(それはもしかしたら明日の自分かもしれない)を意識し、整えた文字を書こう、さらにいえば、文や文章を書こうということである。

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