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道聴塗説  作者: 静梓
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異世界の発想

地域文化概論より。異界。

 「貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)」というものがある。


 高貴な出の者が何らかの理由、多くは罪科を背負って異郷をさまよいつつ、その知勇と他者の援助などによって苦難を乗り越え、尊い地位についたり、あるいは元の世界に帰ったりするというものである。


 例を挙げるならば「竹取物語」や「天の羽衣」、「浦島太郎」や「不思議の国のアリス」などもその類型に当てはまるだろう。


 「竹取物語」では「月=浄土」から「地上=穢土」にやってきたかぐや姫も貴種であるし、五人の貴公子も貴種であり、そこには入れ子構造が存在する。


 そうした貴種の辿りつく土地は大抵、彼らから見ればド田舎の卑しい土地であるが、そこに定住する人々から見れば彼らこそが異界に属する異人である。貴種であるか否かにかかわらず、異人というのは日常生活を営む共同体に歓待されることもあれば、「他者」として排除されることもある。非日常的で無秩序な異人は破壊的な厄災であることもあれば、変革や新しい知識をもたらす幸運であることもあるからだ。


 また、時には元々内側に存在していたものが外側に属するモノとして再編成されることもあるだろう。


 どのような存在であれ、異人というのは異形と結びつきやすい。神には目や腕が無数に存在するとされるものもあるし、鬼などの妖怪も異形として描かれる。


 さて、先にあげた「竹取物語」の月というのは一種の異世界である。本来ならば往来ができるような場所ではない。浄土穢土という仏教言説から考えると善徳を積めばあるいは行けるかもしれないがどちらにせよ死後の話である。


 日常にあっては行けない場所であるからこそ小野篁の伝説やイザナギイザナミ、オルフェウスなどの話が生まれるのであろう。


 一方で竹取の翁からみれば都は一種の異世界である。こちらは物語中で貴人とつながりを持って成り上がろうとしたように、その気になれば行けないことはない。


 異世界に対する発想力というのは何も物理的距離や死にのみ付属するものではない。


 例えば、怪談の現場だとか、古い屋敷の衣装箪笥だとか。寺社仏閣教会といった空間もそれそのものが異世界であり、異世界の存在を想起させる空間でもある。伝統的な発想力であれば、森や山、川や海というのも異世界であり、異世界との境界である。


 ともすれば差別と結びつきかねないが、そういったある種差別的な発想力が物語の基盤になっているのである。

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