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道聴塗説  作者: 静梓
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輪廻と因果

 輪廻転生という思想がある。


 素朴な段階では、前世から現世、現世から来世へと無限の生死を繰り返すものであった。それは人間に限るものではなく、鳥獣草木など霊魂が宿るものすべてになり得、また、すべてであった可能性があるというものである。


 そういった思想は因縁果報と結びつけられていくことになる。


 インドのウパニシャッド哲学においては、人の死後、生前の業に応じて来世が定まると考えられていた。その転生のあり方は因果報応、つまり善き行いには善い結果、悪い行いには悪い結果が訪れるというものである。


 前世での行いが現世での境遇に結び付くという考え方は差別的思想と親和性が高く、インドの支配者階級がその厳密な階級で縛られた社会組織を維持するために利用してきた。


 のちにこうした輪廻転生は霊魂、あるいはその人の主体が洗練されていない状態であるとされ、輪廻からの解放を目指すようになっていく。こうした思想は仏教にも受け継がれており、悟りを啓き、情念から解放されることによって輪廻を断ち切る涅槃や解脱という思想が生まれている。仏教においては迷いの世界としての輪廻を地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六道として整理している。ただ、仏陀は死後の世界を肯定も否定もせず、ただ現世の人々の辛苦からの救済が先決であるとしている。


 古代ギリシアの哲学者たちも万物の流転を輪廻説を用いて説明することがあった。イデア論などでは、霊魂は現世と霊界を巡っており、人はそこで真理と出合っているのだという。


 日本においては仏教の広まりとともに受け入れられていった。日本における輪廻観は因果応報の側面が強く、現世における戒めへと利用されることが多かった。また、祖霊崇拝とやや相性が悪いため、必ずしも定着したわけではない。


 因縁果報というのは通俗化されると、勧善懲悪譚となりやすい。輪廻転生と結びつくと差別主義的な社会組織維持に用いられるというのは先に述べたが、他にも現状肯定や現状追認、あるいは現世への諦観ももたらすことがある。


 一種の宿命論へと展開していく一方で、親鸞のように現世を生きるものは本質的な善悪の規準を持ちえず、因縁果報がどのように繋がるか分かるものではないと説くものも出てくる。ただ、因果応報への批判は勧善懲悪譚の根源を揺るがすものであり、現世における悪の横行へとも繋がりかねない。実際に悪人正機の拡大解釈を免れることはできなかった。

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