学校教育
教育法規など。
〔教育を受ける権利と受けさせる義務〕
「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」
上記は日本国憲法第26条である。
義務教育というと子供の義務のように考えてしまうこともあるが、上記のように義務を負うのは保護者である。普通教育を受けさせる義務とあるが、日本においては就学義務であるため、学校に通わせなければならない。
保護者というのは、親権者、後見人、監護者などをひっくるめた言い方である。最近は学校教育現場では家庭の事情に配慮して、両親や父母、父兄といった言い方は避けられる傾向にある。
また、地方公共団体は学校を設置する義務を負い(学校教育法第38条)、国は無償であることはもちろん就学援助などにより就学を保障する義務を負っている。それと同時に、義務教育の対象となる子女の教育を受ける権利を阻害してはならず、就労が禁止されている。
普通教育というのは専門教育や職業教育に対置される概念である。職業や生まれに左右されず、すべての人が社会の構成員として共通に必要とする知識や教養を身に着けるための教育とされる。また、それと同時に人間形成も目的としたものとされる。
ギルドや大学の項で述べたように、中世以前にも徒弟制度や修道院が主催する学校などは存在している。古代ギリシアにも身体、道徳、知性の調和した発達をめざした自由教育というものがある。
ただ、古代ギリシアの自由教育は一部の自由民のためのものであるし、徒弟制度は職業教育という側面が強い。近代以後、自由や平等といった人権思想と結びつき、教会や一部の知識階級による知識の独占や市民の中の格差を是正するために生まれた概念が普通教育である。
中世の小さな共同体の集合から市民や国民といった大きな共同体が形成されたことが一つの背景として存在する。大きな共同体の形成のためには、交通網の安定や活版印刷などによって広い範囲で情報や思想が共有されることが求められる。大きな共同体としての連帯意識は国の担い手としての意識へと繋がり市民革命へと繋がっていくわけである。もちろん、そうしたイデオロギーの中からは女性や異民族といった排除されるものたちが存在する。
近代社会では国の主権たる国民として必要とされる能力や人格、あるいは統一的な国民意識を目指した。
「我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
ここに、我々は、日本国憲法 の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。」
上記は教育基本法の前文である。このように現代の日本社会においては画一的・国家統制的な教育という側面は薄れている。もちろん、国の発展のためという側面はそのままであり、国民に一定の教養を身に着けることを求めていることは変わらない。詳しい普通教育の目標は、学校教育法第21条に記され、また、文科省のHPで学習指導要領が解説とともに公開されている。
初めの普通教育というのは機能的識字(3R's)が中心である。上記のように、国民国家形成のための愛国心を含めた人間形成というのも目的である。近代西洋の国内国際情勢から次第に国が保障し、公費による無償、義務化という流れを辿る。ただ、元々教育を担っていた教会との関係や、家庭の教育の自由という意識から義務教育が初めから受け入れられていたわけではない。日本でも授業料の徴収もあって、半ば人さらい扱いを受けている。
機能的識字への要請から徐々に広がり、現在のように広く人間能力を発展させる教育へと変化していった。このように普通教育に含まれる内容は社会の発展や要請によって変化していく。
日本における義務教育は前期中等教育までであるが、普通教育は後期中等教育(高等学校など)や高等教育(大学など)における教養科目まで含む概念である。高等教育においては一般教育という呼び方がなされていたが、一般教育や教養学部という概念は現在では取り払われており、教養科目や総合科学部や人間科学部などへと転換している。
公教育というのは、教育基本法第6条に規定される「法律の定める学校」で行われる教育を指し、一般には学校教育法第一条「この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする。」に挙げられている学校における教育を指す。これらの学校は一条校とも呼ばれる。国立、公立、私立の別は関係ない。
全ての学校教育においては、政治的教養を尊重しつつも、特定の政党に対する賛否のための政治教育や政治的活動を行うことはできない。また国立および公立の学校においては宗教に関する寛容的態度や教養を尊重しつつも、特定の宗教のための教育や宗教的活動を行ってはならない。
教育基本法第十条には「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。」とあり、義務教育期間において子どもが学校にいる時間は長いが、生活の基盤は家庭であり、家庭教育の自由は学校教育に侵されるものでもなければ、その責任は学校に委ねられるものでもない。