しお
砂糖の話をしたので次は塩の話をしようと思う。
食塩、つまり塩化ナトリウムは塩素もナトリウムも人体にとって重要な物質であり、どちらも主要ミネラルとして数えられている。浸透圧の調整や消化などに関与する一方で、摂取過多により高血圧を引き起こすと言われる。
塩化ナトリウム資源は、地球上のいたるところに存在する。岩塩や天然鹹水などの地下資源と海水資源に大別されるが、海水資源による塩化ナトリウムの生産量は半分に満たない程度である。岩塩はそのまま採掘する方法と水を圧入し鹹水として汲み上げる方法があるが、直接採掘した岩塩は不純物も多く、また硬いため食用には不向きである。
海水中のおよそ三パーセントの塩化ナトリウムを太陽光や風を利用して水を蒸発させて得る方法を天日製塩と呼ぶ。年間降雨量の多く、山が多いため日照時間が短くなりがちな日本は天日製塩にはあまり向かず、そのため、塩田で鹹水を作り、煮詰めることで塩化ナトリウムを採取してきた。塩田には海水をくみ上げる揚浜式や流下式、内海などの激しい干満差を利用した入浜式が存在する。現在では工業化による需要拡大を賄うために開発されたイオン交換膜製塩法が主流である。
日本では財源確保や安定した安価供給のため、塩の専売が行われてきたが、昭和末期の民営化から徐々に自由化が進められ十年ほど前に製造販売の自由化がなされた。ただし、財務省などへの届け出は必要である。
自然塩ブームや健康ブームなどで天然塩・自然塩というよくわからないものが登場している。海岸沿いの工業用地に適した土地の確保や塩化ナトリウムの安定確保のためにイオン交換膜製塩法が導入された当初、および、製塩事業の規制緩和時に現れている。塩化ナトリウムを除く他のミネラルは人体に必要であるものの食用塩からのみ摂取するわけではなく、また、天日塩が必ずしも食用に適しているわけでもない。日本で流通している食用塩の全ては天然資源に根差したものである。化学塩が悪い、天然塩が良いというものではなく、若干の味の違いはあると言われるが、個々の食生活適した食用塩を健康を害さない程度に用いるのが最も良い。
塩は古代ローマにおいて給与として用いられ、サラリーやソリドゥス金貨は塩を意味する語から来ているとよく言われるが、実際には民俗語源の域を出ない。よく言われるソルジャーであるが、これはソリドゥスを得るものという意味である。また、英語のソルトは語形は似ているがラテン語系ではない。ただし、明確な関連性は指摘できないものの、語形から塩とサラリー、ソリドゥスが同一概念を孕んでいるのは確かである。
塩化ナトリウムは必ずしも塩という形で摂取する必要性はなく、肉食などによって賄えるのであれば、製塩を行う必要性は低いと言える。だが、塩は有史以前から、調味料や保存料として用いられている。農耕民であれ狩猟民であれ、保存という概念が生まれるとともに製塩に対する要求は高まるからである。特に農耕民は程度の差こそあれ植物食が主体となるため、塩化ナトリウムが不足する傾向にある。
原始の昔から製塩がおこなわれていたのかどうかについては定かではない。海面上昇による海岸線の後退などの理由から考古学的に証明しづらいことが理由として挙げられる。もちろん、上述のように動物から摂取しえたことも理由の一つであろう。少なくとも製塩がおこなわれ始めたのは新石器時代以降であると言われている。
歴史時代に入ると、塩は多くの地域で生活の必需品となった。貢納品や課税の対象として用いられることも多かったようである。塩の交易によって繁栄の基盤を作ったり、交易路の開拓や交通網の敷設の動機にもなった。一方で、怠惰なロバの話からもわかるように、保存性は高いものの水に溶けやすく輸送に必ずしも向いているわけではない。
製塩の盛んな地域は交易、文化の中心地となりやすい。今日でも、ケルト語系のハルやハレ、アングロ・サクソン語系のウィッチなどは製塩を意味するとされ、鉄器時代以降塩の町として栄えたことを物語る。有名なモノであれば、ユネスコ世界遺産にも登録され、ソルトマンでも有名なハルシュタットや、同じくそのまま塩の城砦を意味するザルツブルクなどが存在する。
塩は食肴の将と言うように、最も重要な調味料の一つである。
調味料としての塩は1%前後が基本とされる。煮汁自体は倍の濃度で作られるが材料の味として生かされるのは1%程度と言われ、それ以上の味付けの料理は主食や酒とともに味わうことが多い。また、味の対比効果を狙って加えることも多く、汁粉に塩で甘味を引き立てたり、食酢の酸味を和らげるために加えられる。砂糖の場合には120:1で食塩は全体の0.1%と、0.01%~0.1%と言われる味覚閾値ぎりぎりでも効果があると言われ、食酢の場合は10:2程度が良いされる。
また、塩にはタンパク質の変成作用があり、メレンゲを長持ちさせるためにひとつまみの塩を加えたり、ゆで卵を作る際に水に食塩を加えると卵白の溶出を防ぐことができる。他にも熱凝固を促進するため、材料の煮崩れを防いだり、すり身や挽き肉の粘りを引き出すためにも用いられる。また、パンや麺類を作る際には、グルテンに弾性や粘性を増加させ、成形や食感の助けとなる。
浸透圧による高い脱水作用を持つため、食材の食感や味つけの定着を助けるほか、防腐剤としての効果をもたらす。防腐剤としての効果は脱水作用の他に酸素溶解度低下やタンパク質変性、塩素イオンの作用などがある。これらの効果により腐敗菌の繁殖が抑制されるため、発酵食品を作成する環境を整えやすくなり、また、漬物においては発酵作用の調節による風味づけや食感の調節、緑のクロロフィルの退色を防ぎポリフェノール酵素作用を阻害して褐変を防止することで色を美しく仕上げる。
他にも、野菜や果物のジュースの酸化防止や魚や里芋のぬめり取り、塩蔵品の塩抜きの呼び塩、桜葉の香りづけ、肉の焼き縮みの抑制やハムなどの独特の食感を生み出す作用もある。
調味料や保存料のほかにも医療、工業、畜産、融雪など多方面に用いられる。世界的に見て食用塩の消費は塩化ナトリウム消費量の二割に満たず、日本においても工業用ソーダ原料の消費が八割である。
防腐作用を持つ塩は、浄化や不変の象徴として広く認知されてきた。一方で、農耕への害を与えるために不毛や死の象徴としての側面も持つ。塩のとれる海が死や異界を想起させるものであることにも由来するだろう。また、水銀や硫黄ほどではないものの、錬金術において三原質として挙げられるほどには重要な物質であり、性質の異なる二者を媒介するものとして考えられていた。