貴族
貴族の話をしよう。
伯というのは基本的に城や都市を治める聖俗領主のことを指す。この場合の城や都市はその地域における主要都市や本城を意味し、それらの影響下にある町や村、支城なども含まれる。伯はそこで、軍事権・行政権・司法権を持っていた。
名目上の伯は上位者、つまり王の代官としてその地域を治めているわけだが、城などは外敵の侵入から身を守るために居館の防備を固めたものである。つまり、元々その地に暮らしていた謂わば豪族がそのまま伯になることも多かった。
城主としての伯は配下として家内騎士を抱えている。騎士の項で書いたように騎士として手勢をそろえ、装備を整えるためには資金が必要となる。そのため、騎士は伯の領内に土地を持ち、小領主として領地経営を行っていた。更には、騎士以外の代官を派遣していた支城や町の管理などを行っている場合もあった。この代官は伯の一族の子弟がなっていたもので、城伯や副伯、子爵などと言うこともある。
国境沿いにおかれた伯は辺境伯と呼ばれ、外敵に対する防衛を行わなければならないため、他の伯よりも強い権限を持っていた。日本語の訳語を与えるときには侯爵とされる場合もある。
伯たちは有事の際には配下の軍を連れて戦争に参加していた。その配下の軍には伯自身が雇い入れた傭兵に、当然騎士や騎士の手勢も含まれる。言ってしまえば、騎士の親玉である。とは言え、土地を介した契約関係でしかないため、どちらかが契約を破ったり、契約が気に食わなければ騎士は別の土地に移ることもできた。騎士が忠誠を誓うには、強力な外敵がいるか、あるいは王権や伯の影響力が強くなければならない。伯の側も次第に封建騎士が扱いづらくなり、傭兵に頼り始めるようになる。騎士の項で書いたように、食い詰めた騎士が傭兵団を結成することもあったわけだが、基本的に土地を持たない流浪人の傭兵は粘りがなく軟弱で劣勢になるとすぐに逃げるものである。
公や大公、あるいは侯爵というのは、伯爵に対する命令権を持つ領主である。複数の伯爵が治める都市や城を繋ぐ大都市や拠点となる城を治めており、公は大抵の場合伯を兼ねている。こちらの直轄地も城伯や副伯、子爵などが代官や役人として派遣されていた。こちらは伯の親玉であり、その支配圏において小さな王であった。
融合分裂を好き勝手に繰り広げていた諸侯であるが、戦争が長く続いたり、流通の拡大により自身の支配地だけで経済活動が収まらなかったりし、また、それに対応する形で王が完了をそろえるなど中央集権化を進めた結果、しだいにその影響力を失っていくことになる。
当然、諸侯の第一人者は王である。
中世の社会は鍋蓋構造(亠)の連続でピラミッドが形成されており、あるグループのリーダーが上位のグループを形成し、リーダーのグループにもまたリーダーがいてグループを作っていて、といった形になっている。
基本的には王を頂点に、諸侯と呼ばれる公や大公、あるいは侯爵、城主としての伯、小領主としての補佐官や騎士、そして農民で構成されていると考えて良い。男爵というのはもともと伯の一種で、伯からの従属から解放されて独立した自由民と考えて良い。
俗世勢力を中心に見ていったが、初めに伯が聖俗領主であると書いたように、ここに聖職者の伯としての司教や一つの町ともいえる修道院などの聖職者たちの領地もかなりの数と広さがあった。