居酒屋
中世西欧において居酒屋というのは基本的に胡散臭い店であった。
食品を扱う店全てに言えることであるが、常に目方を誤魔化しているのではないかと疑われており、居酒屋の方も酒を薄めて出すことが多かったようである。
しかし、都市当局や領主が酒の売買を統制し始めると、酒を扱うことが一種の特権となり、酒を飲むことができる場所として繁盛することになる。黙っていても宴会があるたびに酒が売れるのだから、当然居酒屋の主人は裕福になる。一方で、都市当局や他の有力者たちから酒を薄めていないかと疑われることに変わりはない。
居酒屋の立地としては、その必要性から水車小屋やパン屋の近く、つまり川や水場の近くに多かった。大都市においては、宿屋と居酒屋の分業は進んでいたようであるが、基本的に居酒屋は宿屋を兼ねていた。
流通網が復活し始めると、近隣の村が管理していた旅籠に主人や女将が付くようになる。また、人の集まる場所には必然的に居酒屋兼宿屋が存在していた。人の集まる場所というのはつまり川の周辺であり、居酒屋の主人は初め粉挽きや渡し守、漁師を兼ねていた。水場というのは資源であると同時に境界であり、その空白地帯に住み着いた民が営んでいることもあったようである。
そういった居酒屋は漁師や交易商人とのかかわりが深く、交易が水運が発達すると保険業へも発展していく。
農村に貨幣経済が浸透し、また、三圃制の導入などで集村化がすすむと、農村にも居酒屋ができ始める。農村の居酒屋の主人は支配階級と被支配階級の中間に位置する、下級役人に近い存在であった。そのため、居酒屋の亭主はしばしば村長を兼ねていた。
居酒屋を開くには領主の許可が必要となる。領主は居酒屋を開く許可を与える代わりに、農村に対する監視の役割を与えていた。というのも、教会と並んで集会所としての役割を果たしていたため、人が集まりやすかったのである。俗世の集会所として触れの読み上げや貢税の計測、あるいや裁判などが行われていた。一揆を結び、反乱の相談を行うのも居酒屋であったようである。
農村における居酒屋は都市からの行商人がやってくる市場の役割を果たし、また、農村内での売買や酒類の醸造などの作業場の役割も果たしていた。
居酒屋と言っても領主によっては小売の酒屋程度のことしか許可していないこともあった。また、都市にしても農村にしても、領主や都市当局の酒を含めた食料品の統括に対して諾々と従っていたわけではなく、しばしば反発が起きている。
このように居酒屋というのは行政とかかわりが深い。そのため、聖俗領主や修道院、あるいは都市がそれぞれの影響下で居酒屋を統括しようとしていたのである。居酒屋というものが人の集まる場所である以上、自然発生的な都市の起点ともなり得る。そうである以上、特に競合し得る既存都市は勢力圏内に居酒屋を収めたがったようである。