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道聴塗説  作者: 静梓
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 前項では唐突に味噌づくりを説明したが、醤(捺/ひしお)というのは東アジアを中心に広く用いられ、また重要な位置にある調味料である。日本の味噌のように大豆などの豆類や穀物を用いるものや、魚醤のように魚肉をもちいるもの、あるいは鳥獣肉や海草を用いるものが存在している。


 もともと醤は塩辛のようなものであったらしい。(かい)とも呼ばれる。動物性のものであれば内臓に含まれる酵素によって自然と発酵が進む。植物性のものでも自然界に存在する菌による発酵に任せる場合があるが、麹を加えることが多い。また、動物性のものであっても発酵を促進させるために麹を加えることもある。


 日本に渡ったころの醤は、材料を混ぜて発酵させて絞ったもので、醤油に近いものあったようである。みそ玉を作る手法と麹付けをした材料を塩水に漬け込む手法が別々に渡来していたと考えられている。絞っていた醤が次第に絞らないまま用いられ始めたのが味噌の始まりである。


 醤を絞った滓は野菜を漬けるのにも用いられ、また塩辛納豆(浜納豆・寺納豆)のような(くき)なども生まれている。肉醤や魚醤などは天武年間に出された肉食禁止令や平安後期頃の末法思想から出た精進の流行により、一部地域を除いて徐々に見られなくなっていく。


 液体調味料であった醤がペースト状となり、味噌として一般に広がったのち、再び液体調味料である醤油が一般に広がるのは江戸時代に入ってからである。ただし、室町時代の後期には既に味噌と醤油の製造が分化している。


 醤油の起源は判然としない。もともと絞っていた醤がそのまま醤油へとなった説もあれば、金山寺味噌のようなもろみ味噌の仲間がもとになったという説もある。


 豆麹を用いた上方のたまり醤油が普及していくが、江戸を中心に需要が拡大していくにつれ、醸造期間の長いたまり醤油では供給が追い付かなくなる。そこで江戸方で、炒って挽いたコムギと蒸した大豆を混ぜて麹付けを行い、塩水を加えてしばしば撹拌し、発酵、熟成させて、絞り、火入れをした濃口醤油がの製法が確立されることとなる。濃口醤油の品質が向上するにつれて江戸方の醤油が一般化していく。


 濃口醤油とほぼ同時期に上方でも淡口醤油の醸造方法が確立される。これは塩水の量や濃度を多くし、醸造期間を短く、加温や火入れの過熱を避けたものである。また、醸造中に練酒などを加えて糖分を補強する事が多い。


 濃口醤油と淡口醤油が生まれて百年ほどの後に、生醤油で醤油もろみを作る再仕込醤油の製法が確立される。


 大麦や米を炊いたり蒸したりしたものを主食とする日本文化において、香味、甘味、旨味、もちろん鹹味(塩辛さ)が含まれる醤油は味噌と合わせて用途が広く、日本における独自の食文化の形成に貢献している。一方で、味付けにとりあえず醤油を用いるという傾向が生まれたことは否めない。


  日本の話を中心にしてきたが、古代ギリシアやローマにも似たような調味料、発酵食品が存在していたとされる。臭みを消すためにハーブや酒を加えたうえで発酵させていたらしい。しかし、キリスト教の広まりやゲルマン民族の流入、西ローマ崩壊によって次第に見られなくなっていく。

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