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道聴塗説  作者: 静梓
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「人」と「人間」

言語学入門及び言語学概説より。意味論。

 「人」と「人間」という語がある。


 普段――と言っても、日常で頻出する単語ではないが――何となく使い分けているが、その使い分けについて少し突っ込んで考えてみることにする。


 まず、「人」は和語であり、「人間」は漢語である。日本語の基本的性質として和語よりも漢語の方が改まった言い方に感じるというものがある。つまり、「人間」はやや改まった言い方であり、「人」はやや砕けた言い方と言うことができる。ただし、「ヒト」とカナ表記する場合にはホモサピエンスの和名であるためかなり硬い印象を受ける。


 さて、とある辞書を引くと、「人」は一般的・生物学的に見た場合の人間、「人間」は人同士の関わり合いから見た人と書いてあった。


 はて、と思う。


 確かに「人間(閒)万事塞翁之馬」「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」というように、「人間」は元々「世間・人間界」を表していた語である。しかし、「人の噂も七十五日」という言葉もある。この時の「人」は同じく「世間」を意味している。


 また、「政界に人なし」というように人材をいう場合は「人」を用いる。人材は「人同士の関わり合いから見た人」に当てはまるように思う。


 生物学的に、というのは「ヒト」というカタカナ表記のことだろう。


 「あの人」というように特定の個人を指すときも「人」を使う。「あの人間」とはなかなか使えない。使うとすれば、人間以外の生物の存在が前提となるときだろうか。そう考えると、生物学的に、とまでいかなくとも他の動物と区別する場合にも「人間」というのは使えそうである。同じような使い方をする場合に「人類」というものがあるが、少し堅苦しく、示す対象が大きいように感じる。


 「人間の滅亡」「人の滅亡」「人類の滅亡」と並べると分かりやすいかもしれない。一番目も微妙だが、二番目はもっと変に感じる。ただし、「~は皆平等」や「~は皆兄弟」と続ける場合にはどれも違和感なく当てはまる。


 さて、「他人事」と書いて「ひとごと」の音を当てるように、「ひと」というのは「他人」の意を内包している。そこから「人様に笑われる」や「人の話を聞きなさい」という使われ方ができたのだろう。前者は抽象的な「他人」の意の「人」を擬人化して敬称を付けたもので、不特定多数の他人、つまり「世間」の意として用いている。後者は目の前にいる他者、つまり「自分」を意味する。


 「人が良い」や「人間ができている」という使い方もある。どちらも「人格・人柄」の意である。


 主観的意味も交えて言うならば、「人」は「個人」「他人」といった性質をもち、「人間」は「他の生物と比較した場合の人」「傍観者的視点から見た人」という性質を持つ。日常で使う機会が多いのは「人」であろうが、「人間」の方が指し示す領域自体は広い。ただし、包摂の関係にあるわけではない。

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