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道聴塗説  作者: 静梓
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ヴィーナス

 西洋の女性観を考える上で、ヴィーナスを題材とした芸術を見ていくことは重要である。中世後期の西洋では大抵の場合、ヴィーナスの胸はやや控えめに描かれることが多い。これは単純に美意識の問題でもあるだろうが、有力者の女性にとって仕事を行わないことが一種のステータスであったことが原因であろう。


 それに対して使用人、特に乳母などを描いたものは胸が大きく描かれていることが多いのである。セックスアピールであると同時に、授乳を思い起こさせる胸は高貴であるほど小さくあるべきだとされていたのだろう。キリスト教圏ではセクシャルな事象は忌避されていたことも関係しているかもしれない。もちろん、高貴な女性の中で美しいとされていた人物にも、胸が大きかったという話が残っている者もいる。


 また、ヴィーナスを描いた絵画には肉感的なものとスレンダーなものが混在している。こちらも男性側の理想が反映されていないとは言い難いのだが、その時代における美意識の反映と取ることもできる。中世西洋に限らず、明るい中でいたすことは好意的に捉えられない。また、灯りとなるものも少ない。つまり、暗い中でいたすことになる。源氏物語の例を挙げるまでもなく、抱いた翌朝に顔を見て驚くということもあったであろう。暗い中でいたすのだから、男性にとってみれば骨ばっているよりはふくよかで柔らかい方が良く、それに対応する形で女性の美意識がふくよかな方向に行ったと考えられる。


 ボッティチェリやティツィアーノのヴィーナスに対して、ディエゴ・ベラスケスやアレクサンドル・カバネルのヴィーナスはスレンダーであり、ややミロのヴィーナスに近い形になっている。近代に入ると、女性に対する美意識はやせ型へと転換していったのであろう。


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