ウエイトレスさんとメイドさん
メイド喫茶というものが一時期話題を呼び、一つの流行を生み出したことは記憶に新しい。一方で、近世近代において女給さんを眺めたり、話をしたりするために茶店に行くというのは、男女の交際が大っぴらにできない風潮の中で大いに流行していた。芸妓などのような艶やかさはないものの、だからこそ、庶民的で日常空間に存在し得る、あるいは貧しい中でけなげに働く女給さんは芸妓とは違う魅力を持っていたようである。
当時のウエイトレスというのは給料ではなくチップで身を立てていたようで、甲斐甲斐しく世話を焼いたり、話をしたりとサービスを充実させていく。客の側も贔屓のウエイトレスの評判を上げるために毎日通ってみたり、酒をたくさん頼んだりといったことをしていたようである。どこかのアイドルを彷彿とさせるあたり、男というものはいつの時代も変わらない。
そういったお店がフーゾク的なものと結びつくことでキャバクラなどが生まれていき、憩いの場としての価値は薄れていく。歴史的社会的文脈は異なるものの、似たような店が生まれるというのは面白いものである。
さて、メイドさんの話である。家電製品が一般的に普及する以前、日本でも女中というのは中流以上の家庭には必ずと言っていいほど存在していた。大抵は孤児であったり、花嫁修業であったり、あるいは奉公に出てきた者であったりで、今のように職業としての家政婦というのとはやや趣が異なる。
勿論、年季が明けたり嫁に行ったりした後もその家と懇意にさせてもらったり、あるいは乳母やベビーシッターとして再度雇われたりといったこともあったようだ。
彼女たちの立場は様々で下女や婢女のように扱われることもあれば、主従はあるもののほとんど家族の一員として扱われることもある。近世までは家事労働者と侍女で明確に区別されていたようだ。
メイドさんというのは奴隷制度とかかわりが深い。奴隷制度の衰退とともに、家事労働者を雇用する必要が出てきたことによって生まれた職業だからである。古代ローマ帝国では奴隷獲得の場の減少にともない、奴隷の保護がすすめられ、結果として家内奴隷が減少していくことになる。
最初のうちの家事労働者の多くは男性である。男性であれば有事の武力として利用できるためである。例外は、女性の側付きである侍女と洗濯婦。農村において繊維関係の仕事の多くが女性のものであったことと関係があるのかもしれない。また、中世的都市の成立以後も繊維・服飾関係の職種を中心に女性の親方権が認められている。
侍女に関しては、騎士の項での小姓や従者と同じように、より下の階級のものが上位者、有力者に奉公に出すことで成立していた。こういったゲルマン的従士制度の焼き直し、奉公制度というのは中世社会において、基本的な構造である。
家事労働者の家庭内での立ち位置はほぼ「家族」同然である。というのも、この時代の家族が家長を頂点とした実質的な鍋蓋(亠)構造である家父長制をとっており、家長以外は彼に従属しているという意味で同じであったからだ。家計を共にし、同じ釜の飯を食べていればみんな家族である。同じ食卓を囲うことも多かったようだ。
これは貴族などの有力者のみでなく富農においても同じことがいえる。
この構造が解体されるのは、農業の効率化がすすめられ始めたころからである。水車や風車の利用拡大、鉄製農具の広まり、牛から馬への労働力の転換、そして三圃制の成立などにより、人口が増加し、領主層の増加や都市経済、貨幣経済が発達を促した。余剰作物が生まれることで、農村にも貨幣経済が浸透していくことになる。そこからさらに三世紀を要することになるが、輪栽式農業をはじめとした農業のさらなる効率化、再びの人口増加が起きる。都市でも農村でも、金銭による雇用関係を主体としたものへと変化していく。
それまでの地主名主や貴族といった有力者以外にも、商工業を担う中流階級が力をつけ、家事労働者の需要が高まっていくことになる。それと同時に男性労働者や兵士としても需要の高まり、女性労働者は繊維関係の手仕事が都市に奪われる形となって供給が高まる。結果として女性の家事労働者が広まることになる。
また、奉公という家族的関係から雇用‐被雇用の関係へと変わることにより、明確な上下関係が生まれ、また、主家の血縁者が一緒に家事や手仕事を行うということが少なくなる。立場を視覚的に明確にするために、お仕着せといったものも登場するが、大抵の場合は男性は支給、女性は自身で用意するものである。
基本的に女性使用人は低賃金且つ重労働だが、住み込み食事つきであり、客人にサービスをすればチップがもらえるなどの利点もあったようである。むしろ、無ければ成立しないような職だったとも言える。自由民として転職も自由であるため、少しでも良い環境を探して、雇用主を変えるというのはよく見られたようである。




