あるいみのはなし
言語学入門及び言語学概説より。意味論。
一口に意味と言っても色々な意味がある。
まず、辞書に載っているような一般性を持っている意味。辞書的意味や客観的意味と呼ばれるものだ。この意味は現実に存在するものではなく現実世界の写しのようなもので、その単語で表されるモノの共通の特徴や性質をまとめたものに過ぎない。いわば、単語が語彙として持つ意味である。
次に、会話や文中に現れる単語はその文脈に応じて限定的な意味を持つことがある。これが文脈的意味である。例えば「あ、鳥!」と言う場合には目の前の特定の鳥を示すし、授業中に教師が「そこ!」と言えば「そこの生徒はきちんと授業に参加しなさい」という意味になる。また、慣用句などは句で意味が成立しているため、単語としての意味が薄れることもある。
また、単語そのものでは意味を持たないものもある。「てにをは」などがその代表で、これは文章を成立させる働きをもっている。もちろん「わたしは」と「わたしが」では多少ニュアンスが変わるように全く意味を持っていないわけではない。同時に、述語になり得る語は文章を成立させる働きも持っている。これらをひっくるめて文法的意味という。
さて、複数の単語がよく似た意味を持つ場合、それらの単語は類似の関係にあると言い、類似の関係にある単語のグループを類義語という。特に類義語の中で意味領域が完全に重なる場合は同義語と呼ぶ場合がある。ただし、語形が違う以上、個人個人の受けるニュアンスが若干異なる場合も多く、完全な同義語というのは稀である。
この類義語における個々人の言語感覚に由来するニュアンスや語感を主観的意味という。状況や場面によって使い分けが生じることもある。また、類義語における共通した意味特徴を中核的意味や明示的意味と呼ぶこともあり、それに対する語として中核的意味を取り巻くニュアンスを周辺的意味や暗示的意味と呼ぶ。
類義語の話が出たので対義語の話をしておくことにする。対義語にはいくつかの種類があるが、同一の意味領域に存在し、その内部でそれぞれの持つ意味特徴が相互に対立・対応する関係にある語群であるというのは共通である。例を挙げると、「ある」と「ない」の対極・相補の関係、「右」と「左」の両極の関係、「大きい」と「小さい」の程度・比較の関係、「上り坂」と「下り坂」の同一の対照を視点を変えて表現した反照の関係、「先生」と「生徒」の相互を前提とした関係、「寝る」と「起きる」の可逆変化の関係、「出る」と「入る」の位置・方向変化の関係、などがある。また、「朝」「昼」「晩」や「春」「夏」「秋」「冬」、「松」「竹」「梅」も対義語の一種である。