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三話目 道はけわしいものなのだ

 部活を終えて、家に帰ったのは七時を回っていた。ちょうど親父も帰って来て、いつもの通りの家族三人の夕飯だ。

「ごめんなさい。今日は遅くなったからお惣菜を買ってきたのよ」

「いいよ、なんでも」

 と、テーブルの上を見た。お皿に無造作に盛られたおかずの品々。餃子にとんかつにコロッケ……こってりした酢豚もある。

 風呂から上がってきた親父の、薄くなった頭髪を見ながら、中の血管はつまらんだろうかと心配になった。空腹の俺でさえ主食ばかりのテーブルの皿に、胸が焼けてきそうなのに。

 姉ちゃんはにこりともしないで、親父のグラスになみなみとビールを注いでいる。いつもは明るい家庭をモットーに、一人で喋り捲っている姉ちゃんがむっつりと口を閉じている。今日の我が家は蚊の飛んでいる羽音まで、ビンビン聞こえそうなほど静かだった。

 これはマジでヤバいことになってきた。このまま姉ちゃんが沈没し始めたら、ささやかな幸せが消えてしまいそうな気がする。親父にとっても俺にとっても、姉ちゃんの明るさは一番の救いなのだ。元気のない姉ちゃんを見て、鈍感な親父でさえ狼狽えている。

 勝也のやろう! 男らしく姉ちゃんをモノにすればいいのに。

 無言の食卓に、姉ちゃんの重い溜息が吐かれた。


 実際のところ、姉弟というのはなかなか難しい関係なのだ。同性の兄弟なら、胸ぐらをつかみあってでも本音をぶつけられるだろうけど、姉となるとそうはいかない。もちろん姉は頼りになるし甘えられる存在だけど、性的なことや異性のこと、つまりは「恋」などというこっぱずかしい感情について語ることはタブーだ。特に理香子は奥手もいいところだから、かっちゃんのことを持ち出すだけで膨らませ過ぎた風船のごとく、爆発するのは目に見えている。

 姉弟であっても男と女である限り、かみ合わない歯車なのかもしれない。


 早々にこってりした夕飯を済まして、俺は二階へ上がった。

俺の部屋の半分開いたカーテンから、夜空に鋭角な三日月が見える。すっきり晴れた空に、まるで光を反射する剣のように輝いている。これから秋が深まって、中秋の名月の頃には最後の学園祭がある。一年生の時、ゴウを除く四人で、初めて「ケイオン」として人前で演奏したのが、学園祭だった。今までもにわか作りのバンドが出演したことはあるらしいが、ギンギンのビジュアル系バンドに度肝を抜かれた会場はものすごい盛り上がりようだった。それがきっかけとなって、俺たちはライブハウスにこっそり出演するようになり、本格的にアマバンドとして活動を始めた。いわば学園祭は俺たちの原点だと言える。

 机の隣に立てかけたギターを手に取った。レスポール。二年の夏休みに、プールの監視員と引越し屋のかけもちバイトで手に入れた。中古だけど、素晴らしい名器だ。弾くことは当然好きだが、これを買ってからフォルムの美しさや繊細な造りに感動さえ覚えた。まさにエレキギターに魅せられたのだ。ゆっくりとワックスをかけていると、原木をカットして丁寧に作っていく工程まで頭に浮かぶ。はじめて音を奏でられたとき、創作者はどんな気持ちだっただろう……。どんな人間のもとへ届くかわからない。それでも愛されることを確信して作り続ける。魅せられた人々に応える技術。なんてすごいことなんだろう。

 指でつま弾いた音色は柔らかく、俺の心にしみて行った。


 

 *



「どうしたんだ、リン。おまえが学食に現れるなんてよォ」

 ざわついた学食のテーブルから、ショーが叫んだ。隣に座ったアランも目を見開いている。俺は「ちっ」舌打ちして、厨房の窓口で注文を待っているおばちゃんに「カレー」と言い捨てた。太ったおばちゃんは動きも軽やかに引っ込むと、大盛りのカレーライスをカウンターのトレイに乗せた。そして「うまいよ」と言って、片目をつぶって見せた。勘弁してくれえ。

 ショーとアランのテーブルに座ると、

「姉ちゃんが弁当をつくらなかったんだ」

 と、カレーをスプーンでつつきながら言った。ショーの、からかいたいっていう目がきらきらしている。姉ちゃんの話題は、今やメンバーの☆五つに達しようとしている。

「なんだ? 病気?」

 アランが心配そうに訊く。

「いいや、寝坊したんだ。ここんとこ、ずっと眠れないらしい」

 かっちゃんがあれから現れないことで、姉ちゃんは思い悩んでいるのだと思う。この三日、俺は学食へ通っているのだ。姉ちゃんの性格として、一つのことに集中するタイプだから、それが解決するまで俺と親父は頭の中から追い出される。姉ちゃんの恋煩いは家族にとっては死活問題なのだ。

「理香子姉さん、重症らしいな」

 俺はアランに頷いた。

「なんとか、そのかっちゃんと結びつける方法をマジで実行しないとなァ」

 と、ショーが珍しく真面目な顔で言った。

「うん、近いうちにおまえらに協力してもらうよ」

 アランが顔を寄せて、小声で呟いた。

「周到な作戦が必要だぞ。まずは……」

 俺はカレーを口に放り込みながら、テーブルに身を乗り出す。三人で頭をつつき合せ、作戦を煮詰めた。

 仲間っていうのは頼りになるものだ。


 昼食を終えて、俺たちは体育館裏の芝生に寝転んだ。軽音部をつくってから、だんだんと見た目がフツウじゃなくなってくる俺たちは、自然とここで昼休みを過ごすようになった。不良ぶってるつもりはなかったが、髪やピアスにクラスメートもとっつきにくさは感じていただろうし、やっぱり仲間といるのは心がなごむ。

ぼんやり三人で、薄い雲が流れていく空を見上げていると、

「やっぱり、いたか」

 と、トウヤもやってきた。そして、おかっぱ頭のゴウも、

「せんぱ~い」

 と猫なで声を出して、アランの隣に座りこむ。

 五人でごろりと芝生に寝転がって、さわやかな秋空を眺めるのはとても良い気分だ。姉ちゃんのことも、進路のことも、忘れてしまえる時間だ。みんなで黙ったまま、柔らかな日差しを浴びている。

「ふざけんなよ! てめえっ!」

 突然、男子生徒の声で、静寂が破られた。アランがすっくと半身を起こすと、声のする方へ顔を向ける。ちょうど北側の倉庫のあたりで、何人かがもめているようだ。アランは立ち上がると柱の影から、倉庫の方を見た。

「喧嘩のようだな」

 アランの言葉に、全員起き上って覗き込んだ。

「これっぽっちで許されるとでも思っているのか!」

 一人の生徒が、五人に肩や腹を小突き回されている。悪態をついている茶髪の生徒の手には一万円札が握られている。

「カツアゲされてんじゃね? アイツ」

 トウヤが眉を寄せて、俺を振り返る。食って掛かっている五人は見るからに不良ぶって、制服のブレザーをはだけ、ネクタイもしていない。口を尖らせて、いきがっている。そして背を向けていた弱そうな生徒が振り返った時、俺は「あっ」と声を上げていた。

 柳瀬のカレシ!

 背中を一人に蹴られ、地面にうつぶせに倒れる。もう一人が尻を思いっきり蹴とばした。

「なめんじゃーねーぞ!」

 また、一人が蹴りを入れようとする。

「やめろ! おめーらっ!」

 思わず叫んで飛び出した。アランもショーも、みんな後をついてくる。

「何やってんだ? おまえら、一年か!」

 二王立ちになった俺の横で、アランが睨みつけて言う。

 ケイオンの五人が並ぶと、それは恐ろしいのだろう。五人の一年は一目散に走って逃げた。

 のされた柳瀬のカレシは、よろよろと立ち上がる。

「大丈夫か?」

 俺が手を貸すと体を強張らせたが、こくんと頷いた。

「おまえ、カツアゲされたのか。あいつら、一年だな?」

 アランが彼の顔を覗きこんだ。トウヤも心配そうに背中に手を置くと、言った。

「保健室へ連れてってやろうか? 先生にさア、言った方がいいぞ」

 途端に彼は泥だらけの顔を上げて、叫んだ。

 その時、彼の名札が目に入った。『一年三組 柳瀬幸太』……柳瀬?

「い、いいんです! ありがとうございました」

 柳瀬幸太はぺこりと俺たちにお辞儀をすると、足を引き摺りながら走り去った。

「なんだァ? あいつゥ」

 と、ショーがふてくされた顔をして、舌を鳴らす。

「どっちも一年だな。俺ら、イジメの現場を見てしまったらしい」

 アランは憂鬱な表情で俺の顔を見た。

 

 柳瀬幸太――あいつは柳瀬の弟か。あの大きな目と、真面目そうなツラはよく似ている。間違いない。

 俺は彼が走り去った方向を、黙って見ていた。



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