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一話目 それは目覚めとともに始まった(2)



 最悪、最低の日は、年に何回か訪れる。

 まさしく今日は俺の厄日だ。町内の外科でかっちゃんにちょん切られた耳たぶを縫ってもらったのだが、カット途中の頭を披露せねばならず、プライドは粉々に砕けた。子供のころから知ってる先生は、「この頭は、今のはやりなのか?」と大笑いしたし、美人の看護師はキャップを取るとぎょっとした後、唇を噛んで笑いを堪えていた。左半分が肩甲骨まで垂れていて、右側は刈り上げ。おまけに頂点はうまく皿が乗る。強烈な痛みにめまいを覚えながら、本気で三階の窓から飛び降りたい気分になった。


「学校には休むって連絡入れたから」

 姉ちゃんが小さく溜息を零すと、かっちゃんはリビングのソファでぐったり寝転ぶ俺に深々と頭を下げた。

「本当にすまん! なんて言ったらいいのか……耳たぶに切れ目を入れてしまうなんて」

「いいのよ、かっちゃん。どうせリンが暴れるか何かしたんでしょ?」

 待てよ! 悪いのはまた俺かよ。俺をちらみしたかっちゃんは、赤い顔をしてしどろもどろだ。

「あ、いいや。リンは何もしてないよ。ちょっと、僕がびっくりして……」

「びっくり?」

 鈍い理香子はきょとんとして訊き返した。俺は数針縫われて、痛む耳に顔をしかめながら、狼狽えているかっちゃんを薄目で観察した。

「あ、いや、リンの頭を見て……」

「ああ、そうね。リンがちっとも切ってくれないから、強硬手段にでたのよ。この子にはちゃんと大学へ行ってほしかったし」

「わかるよ。理香子はリンの親代わりだもんな。よくやってると思う」

「母さんが亡くなった時に誓ったから。家族を守ってゆくって」

「そうだったな。リンはまだ中一で……。この五年、理香子がおばさんの代わりになって支えてきたんだな。自分だって辛かったろうに……本当にすごいと思うよ」

「かっちゃんが、リンのためにがんばれって言ってくれたから。あの時、ファミレスで私の好きないちごパフェ、幾つおごってくれたっけ」

「三個……。でも、気の利いたこと言ってもやれなかった」

「ううん。泣きながら食べてる私を恥ずかしがりもしないで、一緒にいてくれたもの。しょっぱいパフェだったけど、本当に嬉しかったのよ。あの時、頑張らないといけないんだって思ったの」

 二人が同時にふっと笑った。何だか照れくさい展開に、俺は寝たふりを続けた。

 おふくろの死で、悲しんでた姉ちゃんを励ましてくれたのは、確かにかっちゃんだった。姉ちゃんを学校に引っ張って行ってくれたし、休みの日には映画や遊園地やと誘い出してくれてもいた。おばさんに料理や家事を習うことだって、かっちゃんが言い出してくれたんだ。思えば、まるで恋人みたいにくっついていた気がする。

「おかげで、なんとかやってきたわ。これからも家族のために頑張るつもりよ」

 姉ちゃんは明るく胸を張って言った。でも、かっちゃんは急に肩を落とすと、膝に肘をついて両手を組んだ。そして、ぼそぼそと躊躇いがちに姉ちゃんに尋ねた。

「だけど、おまえ……、結婚するんだろ?」

「は? 結婚?」

「熱愛中だって、リンが……」

 理香子は途端に思いっきり噴き出して、笑い始めた。

「やめてよ、かっちゃん! 私は一生結婚なんてしないわよ。勿論熱愛中だなんて、リンの悪いジョークよ!」

「ジョーク?」

「そうよ。大学と主婦業で手一杯だし、男の人なんて……。私みたいな頭でっかちは、男性って敬遠するでしょ?」

「理香子、そんなことないよ」

 かっちゃんはホッとしたのか、微笑んで言った。彼をじっと見ていた姉ちゃんは大きくため息を吐いた。

「いいのよ、わかってるもの。高校卒業前に、思い知ったから」

「え?」

「ずっと好きだった人に、死ぬ覚悟でバレンタインデーにチョコを渡したら、頭でっかちの女とはつき合いたくないって、突き返されたの。確かに私、ガリ勉だったし、退屈な人間だったから。でもその人、小さい時からいつもかばってくれて優しくしてくれたから、へんに誤解しちゃってたのよね。好かれているかもって」

「そ、それって!」

「もう忘れちゃってた?」

「あ、あの時は……」

「ストップ! 慰めて欲しくないの。あなたにだけは」

「り、理香子……」

「でも、感謝してるのよ。おかげで二度と妙な誤解をすることもなかったし、主婦業と勉強に集中できたもの。それにもう大昔の事! そんなことを引き摺るほど、私も子供じゃないから」

 かっちゃんは凍りついている。姉ちゃんが最初で最後に作った、あの犬のうんちのような手作りチョコは、かっちゃんの為だったのか。二人の間にこんな大事件があったなんて。

「理香子、あの日本当は、俺は……」

 かっちゃんは必死の形相で、姉ちゃんに向き合った。

「いいのよ、くだらないことだもの。あなたには甘えて迷惑かけて悪かったと思ってる。でも、大人になって環境も変わったんだし、無理して仲良くしてくれることはないのよ。幼馴染だからって、子どもの頃みたいにお互いに必要ってこともないでしょ?」

 強張ったかっちゃんの顔は次第に蒼褪めていく。必要ないなんて、姉ちゃんらしくない酷い言い方だ。

「さあ、もう店に戻って。お客さんが来てるかもよ。大丈夫、これぐらいのことでリンはめげたりしないから」

 間の悪い沈黙が、リビングを重苦しい空気に変えている。

 しばらくして、かっちゃんは肩を落として立ち上がり、姉ちゃんを見下ろしていたが、

「悪かった……本当に」

 と呟くと、そのまま家を出て行った。

このやばい展開に打つ手もなく、今更起きることも出来ずにいると、

「勝也の大ばかやろう」

 と呟いて、姉ちゃんが洟をすすり出した。泣いているのだ……。

 今まで二人のことは、全く気付かなかった。かっちゃんは家が近所で、小さい時からつるんでた姉の幼馴染。兄みたいに面倒見が良くって、男らしかったかっちゃんのことは、俺も大好きだったけど。

 姉ちゃんはかっちゃんを今も好きなのだろうか……。男として。

 

 夜になって、痛みが和らいだころ、再びかっちゃんの美容院へ行った。

 客はいなくなっていて、ホッとしてカット台に座った。

「本当にすまなかったな。リン」

 かっちゃんは落ち込んだ顔をしていた。おばちゃんが奥の部屋から出てきて、

「倫太郎ちゃん。ごめんなさいね。改めてお詫びに伺うと、お父さんに言っておいてね」

 と、頭を下げた。

「いいよ、おばちゃん。俺も悪かったんだし」

「勝也、きちんとしてあげてよ。ああ、反対の耳に気を付けてね!」

「わかっているから。先に帰ってろって」

 かっちゃんはおばさんが店のドアを閉めるのを確かめてから、

「悪かった……」

 と、再び詫びた。

「もう、いいよ」

 耳に大げさに貼り付けられたガーゼに手を当てると、鏡の中の彼に笑って見せた。かっちゃんはゆっくりと息を吐くと、鋏を動かし始めた。

 金髪が、掛けたケープに落ちる。髪は一センチくらいの短さにカットされ、根元から黒い色が出てきた。まるで金色の粉を振りかけたような奇妙な頭に、泣きたい気分だ。

「染め直すか?」

「いや、面接もあるし、しばらくは黒いままでいるよ」

 そういったものの、明日の学校のことを考えると憂鬱になる。ケイオンのリンは長い金髪をなびかせ、背中にエレキギターを背負っている巷では有名人なのだ。それが突然、野球のヘルメットもOKヘアだなんて、あんまりじゃねーか!

「すぐに伸びるさ。大学、決まったら、また染めてやっからな」

 と、かっちゃんは俺に笑いかけたが、やはり相当に落ち込んでいる。プロにあるまじき耳カットでショックを受けているのはわかるが、俺には姉ちゃんに冷たくされたことが原因だと思えた。姉ちゃんの涙を見てしまった弟としては、確かめなければならない。

「姉ちゃんの作ったチョコ……。くしゃくしゃにしてゴミ箱に突っ込んであった」

 かっちゃんの鋏が止まる。

「聞いてたのか……」

「ああ。でも、わかるよ。姉ちゃんはいい女とは言えないし、ちびでガリベンだったし……」

「違うよ、リン。そういうことじゃないんだ」

 かっちゃんは目を閉じて、俯いた。鋏を持つ手がぶらんと脇に下ろされる。

「理香子のことは……ずっと好きだった。もちろん、チョコは舞い上がるほど嬉しかったんだ。受け取らなかったことを、今でも後悔してる」

「はあ? なんだよそれ! 姉ちゃんは泣いてたぞ!」

 頬を強張らせて奥歯を噛みしめている彼に、俺は振り向いて言った。かっちゃんは息を一つ吐くと、消え入りそうな声で話し出した。

「あの時……、美容学校を決めて、行きたかった大学を諦めた。離婚してから、一人で頑張っていたおふくろを安心させたかったし……。だけど美容師になりたかったわけじゃない。あのときは大学へ行けない落胆の方が大きくて……。なのに理香子は地元でも難関の大学を受験して、自分の道を行くんだと思うと……妬ましかったし……、彼女にコンプレックスも感じた」

「コンプレックス? 意味わかんねーよ!」

「理香子は有名大学へいく……。でも俺は……。彼女には、もっと頭の良い偉い男が似合うと……、そう思ったんだ」

「バカだろ、あんた! 姉ちゃんが男嫌いになったのは、あんたのせいじゃねーのか?」

 俺はかっちゃんの体を揺さぶってやりたくて、振り向き椅子の背をぐっと掴んだ。

「離れてから、理香子がどんなに大事だったかやっと気が付いたよ。未練たらしく、ずっと理香子のことを想っていた……。でも、電話してもそっけないし、ずっとおこっているとは思っていたんだけど……。今日そうではなくて、俺なんか理香子には必要ないんだと思い知ったよ」

 かっちゃんは唇を引き結ぶと、小さく頭を振った。情けないほど消沈している。

「実はな、勤めていた美容院から、戻って来いと言ってもらっているんだ。おふくろもここでは技術が生かせないとわかってくれているし。やっぱりあっちに帰ろうかと思っている」

「はあ? じゃあ、なんで辞めてまで戻って来たんだよ!」

「……理香子に、会いたかった」


 俺は頭の中がごちゃごちゃだった。

 かっちゃんは姉ちゃんをずっと好きだった。でも二十五歳にもなるいい大人が、気持ちも告げないうちに諦めるというガキッぽさに呆れてしまった。何がコンプレックスだ! 姉ちゃんも姉ちゃんだ! たかがチョコくらいで、男を信用できねえっていう極端さは、セラピーもんだろう。


「あら、リン、すごい似合うじゃない。あんたって、意外と男前だったんだ」

 玄関まで走り出てきた姉ちゃんは、とってつけたような慰めの言葉を吐きながら、目を輝かして喜んだ。まあ、姉ちゃんの一番の心配事だった「推薦入試注意事項」を一つクリアしたのだから。

「大丈夫よ。ギターの腕が落ちたわけじゃないんだし、そのうち皆見慣れるから」

 ああ、学校中を大笑いさせた後でな。

「でも、かっちゃん、流石ね。どうなるかと思ったけど、すごくきれいにカットしてくれてる」

 俺のしかめっ面を無視して、姉ちゃんは首を伸ばして頭をぐるりと眺めると、満足げに頷いた。

 親父はダイニングテーブルで新聞を広げていたが、

「おお、見違えたなあ」

 と、大げさに驚いて見せた。口元がひくついているのをみると、姉ちゃんに笑うなとくぎを刺されたことは確かだ。

「耳は大丈夫?」

 姉ちゃんはソファにどんと座った俺の横に立って、心配そうにガーゼにくるまれた耳を見た。

「触るなよ。まだ痛い」

 不機嫌に言うと、差し出した手を引っ込めて俺の隣に座った。何だか、小さい肩を落としている。

 俺は口を尖らせたまま、リモコンを取って目の前のテレビのスイッチを入れた。画面が明るくなると、突然「がはは」と笑い転げるスタジオが映った。つまらねーお笑い番組だ。

「それで……、かっちゃんは落ち込んでた?」

 横目で見ると、姉ちゃんはぼんやりテレビに視線を向けていた。

「ああ、しょげてた。耳切りのショックは当然だけど」

 姉ちゃんが顔を向ける。

「理香子に嫌われているとわかって、死にそうな顔をしてた」

「嫌って当然でしょ? リンをこんな目に……」

「また勤めていた美容院へ戻るそうだ」

「え?」

「理香子に冷たくされたからだと」

「まさか! そんなの関係ないでしょう」

「そうかな? 耳を切られたのだって、姉ちゃんが結婚間近だってからかったからだ。かっちゃんは……」

 俺の言葉を遮るように、理香子はキッと目を吊り上げて早口に言った。

「彼は頭のいい子は苦手だ、一緒にいても退屈だって言ったのよ」

「それは、なんていうかプライドの問題で。何にしても、六年も前の事だろう?」

 俺が溜息交じりに言うと、姉ちゃんは突然ソファから立ち上がった。

「誤解のないように言っとくけど、かっちゃんがどこに行こうが私には関係ない事よ。あんな人の事を、私が気にしていると思う? とんでもないわよ!」

 目を三角にして言い捨てると、姉ちゃんは怒りもあらわにドスドスとリビングを出て行った。

 親父が読んでた新聞から顔を覗かせる。

「理香子、どうかしたのか?」

「しらねーよ!」

 ったく、涙を溜めて怒ることはねーだろ!



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