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『淡海三船(おうみのみふね)論』

作者: 高島啓市

狙った訳ではないが文字数2222の小品となる。

淡海三船(722―785)とは辞書を繙くに、弘文天皇の曾孫であり、大学頭兼文章博士・刑部卿。

詩文に優れ大学者として世に聞こえた。

皇祖神武天皇から第四十九代光仁天皇までの漢風諡号を撰定した、と大まかに記述してある。

文章博士の特権であろうか、彼に何ゆえその大権が与えられたのかは知るよしもない。

彼が生まれた時の天皇は元正天皇であり、薨去のみぎりの天皇は桓武天皇であった。

唐突だが、皇統は今危機にある。

日本の王統を乱したのは先述した通り弘文天皇(明治天皇が追号する前は大友皇子)の曾孫であった淡海三船の政略であり、漢字の持つ呪力に期待をかけたものであった。即ち自らの素性を知るにつけ皇統を天武系から天智系へと取り戻すべく一身を賭して一働きしたのである。『ぶ・む』の文字は『ぶ・む』に通じ、更に勝負事において負けにも通ずるものである。

三船は誰にも疑われないように初代に神武と諡号し、天武系を絶やす為に直近に仕えた新しい順位より聖武(聖無、即ち聖君で無し)、文武(文無、即ち文無し)、天武(天無、即ち天子で無し、天子に非ず)と神武以下、武の諡号を五天皇に与えたのが三船の策略であった。

三船の思惑通り天武系が称徳孝謙皇帝を最後に潰えると天智天皇第七皇子施基(志貴)親王の第六皇子白壁(709―781)が宝亀元年(770)に即位し、政治を正した後、在位十一年で崩御。

光仁天皇と諡号したまでは良かった。

しかし、皇統の真の衰えは三船の預かり知らぬ光仁天皇の第一(第二?)皇子山部が諡号されて桓武天皇と称されたことに端を発する。

和風に諡号されて柏原天皇かしわばらのみかどとなる。

ちなみに桓武天皇の次代である平城天皇の諡号は「へいぜい」であるが、和風に呼称すると「ならのみかど」となる。

室町時代の後柏原天皇の次代の天皇は後奈良天皇即ち「ごなら」と正称される天皇である。

平城京が決して「へいじょうきょう」ばかりではなく「ならのみやこ」でもあることを教導してくれる事象であろう。

漢風に対する和風の呼称はしばしば無視されてきた。桓武天皇の諡号に関する問題は平安京への遷都に対する抵抗勢力を鎮める為に新都の恒久たらんことを内外に知らしめることを望んだのだと三船ならば思ったであろう。

更に初代神武より偏諱を得て桓武天皇か。

三船の罠にはまった天皇は以下後醍醐天皇を除き現れず。

ここで漢字の呪力を思い出してみよう。

桓武とは冠無と当て字が効き平安遷都を実現させたは良いが統治を委任した形の藤原氏の摂関政治を許し、暫しの院政のあと、自らの臣籍に下った平氏の覇道をも許し京の都は荒れ果て、清盛の時代に福原遷都を一時的に許すなど皇家において正に王冠を無くす事態を招いたこと三船知らなかったとはいえ、一名の仕業にてこの責は問われなければならない。

その後の鎌倉を首府とする武家政権を許したのは源平争乱の際に神器の内の一つである天叢雲剣を回収出来なかった源義経を捕縛するべく全国に守護・地頭を捕任したことであり、武家とは無家(無くす家)とも解釈可能。

しかし、武家の棟梁は皇胤を名乗り鎌倉室町幕政期においては征夷大将軍を首領とした軍事政権であり、京都朝廷とほど良く折り合いをつけねば政権運営はおぼつかないものだったのである。

その後の歴史は皆の知る通り戦国時代を終らせた信長・秀吉・家康の覇業を経て武家は表舞台より去ることとなる。やはり、武家は格式を無くすべくして無くしたのであり武芸なるものも下火となるのは必至であろう。

三船の思惑とは別に皇統は二千六百七十年以上も続くこととなる。

思えば、後醍醐天皇建武(建無)の中興に敗れたが、明治天皇の勅裁を以て南朝こそ正統であることを臣民に諭すこととなる。

大日本帝国憲法に謳われた万世一系の偶像化の歴史が太平洋戦争の敗戦により否定される結果となったことは三船の読み筋にはなかったことであろう。

三船は慎重さに欠けていたのである。

初代に神武(神で無し、仁で無し)の諡号、容易く認められたものか想像もつかないが。

問題はむしろ、これからである。皇位継承の有資格男子の数は現在七名であり、このまま今の皇室典範に従うならば、必ず後世に禍根を残すこととなろう。

女性宮家の創設など昨今耳にするようになったが慎重な議論が待たれるところである。

やはり、日本国民として一夫一妻制のもと男女の別なく、王権は引き継がれるべきであろうこと時代の趨勢かと思われる。

現人神として天皇の神格化は天武天皇を嚆矢とする。三船にとりそのことを終わらせるまでに昭和二十年八月十五日を経る必要があった。

天武天皇の即位から千二百七十二年ほどの年数をかけた計算となる。

漢字の呪力が勝ったのだ。敗戦のち勝利の唱和、GDP費アメリカに次ぎ世界第二位に昇りつめたことなど今や昔の物語に過ぎない。


古い辞典を繙くに『へいせい』の項目を調べると平静、兵制、平生、そして弊政の語句を見いだす。

【弊政】悪い政治。悪政。漢字やはり侮るべからず。三船の知るところならばあり得ぬ元号。

暗い世相はそのまま時代を反映してこの平成の御代に大災厄をもたらしてしまった。

国難は一代の元号で決まるものなのか、思えば今上陛下が在位中にも関わらず改元せよとの警告を発した識者がおわした。

その御方の勇気と矜持は称えられこそすれ決しておとしめてはならない。


「国敗れて山河【無】し」これ三船からの遺言であること日本人は知るべきである。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 通常の観点では考えられない自論を繰り広げている。 [気になる点] 勉強不足なのかわかりませんが、少しでも調べればわかるのに間違いを突き進んでる点です。 [一言] 淡海三船が漢風諡号を撰進し…
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