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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

死ぬ気で氷皇の竜を籠絡した、死ぬほど執着された。

掲載日:2026/10/21

 

―――…数日前から足先の感覚が無い。


 高山に空いた洞穴のような場所で、俺は逆さ吊りにされていた。滴った水滴が氷柱となるように、俺の身体はあと1ヶ月もしない内に立派な氷像となるに違いない。


…そして、そんな絶体絶命な俺の視線の先には。


―――雪のように真っ白な、体長6mほどの竜。


 雪といえば、空からしんしんと降る雪には人の目に見えないだけで不純物が混じっていると聞いた事がある。

 けれども目の前に居たソレの白色は不純物という言葉が似合わないほどの、氷漬けの洞窟という景色の中ですら体色が浮く程に違和感のある綺麗な『純白』だった。




 話の発端は、開拓軍に割り振られたことだった。


 この竜が住む島は周囲30kmが純粋な氷の大地に包まれており、国はこの竜を危険な存在だと認識していると同時に、とても有益な開拓予定地として十年以上前から軍による開拓を続けているらしい。

 俺はそんな開拓軍のひとつに居た訳で、竜に対抗するため数千人規模の軍隊と何台もの攻城兵器も投入された。


……その結果は見ての通りなのだが。


(残る対抗手段は、携帯型の銃器にサバイバルナイフ一本…)





 最初は脚を覆う氷を砕いて逃げられないかと考えた。

 しかし体温の奪われる状況下で宙吊りの上半身を足先まで持ち上げて長時間氷を削る作業は想像以上に辛く、従軍訓練を数ヶ月かじった程度ではどうにもならなかった。




 次に、氷が無理なら脚の方をと考えた。

……解っている。寒さで頭がおかしくなっていると。それでもこんな極寒の地で身動きも取れない状況下よりはマシだと思えて、そんな思考が頭に過ぎる程だった。ナイフで脚を地道に切るなんて想像でもしたくもない。

 仮に両脚を無くして脱出したところで、島から脱出するかいつか来るかもしれない軍と接触するのはほぼ不可能に近いに違いない。


 結局、まともな方法はひとつも思いつかなかった。






 竜は気まぐれのようにこちらを見て、ときどき餌を与える。

 翼の骨か何かに空いた管のような空洞から滴る液を俺に飲ませたのだ。それはかじかんだ舌でも感じるほど冷たく、しかし辛うじてこの永久凍土でも意識を保ち続けられるほど栄養のある食事だった。


 溺れそうになりながら液体を飲む俺を見て、竜は女の笑い声のようなものをあげる。それから洞窟の中に百は数のありそうな氷像を眺めて、また笑うのだ。


(…俺もいつか、ああなるのか……)


 ぼんやりと、氷像を眺めながら考える。

 氷像は透明なガラスのように中が透き通っていて、閉じ込められた人や動物はそこで生きているのと変わらないような姿をしている。


(たぶん、竜が俺に食べ物を与えるのもアレと同じように、生きた状態から氷像を造るために違いない。)


 脚の膝まで氷漬けとなった俺は、まるで『標本』みたいだと想像した。

 そういえば生きた虫なんかを標本にするときはこんな風に冷凍してから作業に入るんだっけ。そうなると人類で初めて標本の気持ちを知ってる人間に……はならないか、すぐそこに標本の先輩達が居るから。









―――…そして、脇の下辺りまで体を氷が覆った頃。


 普通なら生きている方が不思議なぐらいの状況下で、俺は竜の後ろ姿を見つめた。


(……どうせ死ぬなら、やってみるか。)


 俺は一週間近く後ろ手に隠していたソレを取り出すと、竜に向けた。本来ならもう少し時間が欲しかったものだが、そんな猶予が無いことは明白だった。




―――…キュキュイーーー。


 洞窟の中にその音が響いた瞬間ぴょこりと、竜の頭が跳ねるように動く。


―――…キュキュイーーーーーー。


 もう一度同じように音を鳴らすと、明らかに動揺した様子で竜がこちらに振り向いた。


(…どうだ?)


 俺の手の中にあったのは、携帯用の銃器を分解した銃身やトリガーと、足りないパーツを氷塊から削り出し組み合わせた即興の『笛』だった。

 銃身の中に空気を送り込み、トリガーの押し込み具合の強弱で音程を調整する。そうやって奏でた音は、ここに捕らえられてから竜がこぼしていた鳴き声のような音のうちのひとつ。


 竜はこちらを不思議そうに眺めるので、俺はその竜が洞窟の中で奏でていた鳴き声を真似て笛の音を鳴らしてみる。

 すると竜は吐息が感じられるほど顔を近付け、すんすんと匂いを確かめるように鼻を鳴らし、縦長の瞳孔を細めてこちらを直視する。


 その日、気が向いたのか竜は俺にいつもの冷たい液体を飲ませた。その量は心做しか今までよりも多かったような気がした。








―――…それから数日、俺は死ぬ気で竜の動向を観察した。


 竜が日常的に使用する音。特定の時間に発する音。決まって何かの音の間に挟まって発せられる音。こちらを見ている時に使う音。


(確信に近い感覚がある、この竜は『言語』を持っている。)


 口癖。挨拶。助詞。名詞。

 竜の発する音を注意深く観察するほど、それは規則性を持った言語に近い意味を持っていることが解る。




―――…ピー…キュイキュイ。


 そして、ソレは確かに竜を動かした。

 俺が奏でた音に対して、竜は返事のような数秒に渡る音を返して来たのだ。まだ意味は分からない、けれど微かな意思疎通と理解の糸口が俺には見えていた。その音が竜の口ではなく、背に生えた筒のような空洞の空いた翼から出ていることも。




 そして。


―――…ぱきり。


 それが竜が牙を使って氷を噛み砕く音だと理解するまでに、少しの時間が掛かった。体の大部分が氷漬けとなった俺を天井から軽々と齧り取った竜は、そのまま洞窟の地面に転がしたのだ。


(…………。)


 何日振りか、あるいは何週間振りの地面だった。

 その何週間前の地面にしても足が埋まるほどの雪の上で、洞窟の地べたはそれよりも余程快適な冷たさをしている。


 俺は竜が何を考えてこうしたのかは分からないが、笛で音を返す。それを聴いた竜はただ背を向けたまま伸びをするように翼を拡げて洞窟の外のどこかへと飛んで行く姿を見送った。










―――…それから数ヶ月、体を覆う氷の溶けた俺は比較的自由に過ごす事を許されるようになっていた。


 一歩外に出れば天国か地獄と繋がっている外と違って、竜が巣穴にしている洞窟は水滴が凍るまでに時間を要するくらいには温度が安定している。


 時々ここと外を行き来する竜は動物を狩って連れてくるようになった。

 どうやら食べろという意味らしい。俺は銃から取り出して残していた火打石を用いて枯れ葉で火を起こし、久しぶりの固形食を味わうに至った。




 ああ、それから。

 竜との音による意思疎通は、ある程度の域まで到達した。


 完全に言語として理解できたわけでは無い。しかし、おおよその喋りや意図した音程を日常用語なら人の言葉に翻訳できる程度…と言えば良いだろうか。例えば……


「今日は吹雪が強い、外に出るな」

「狼の群れが出た。食べる?」

「この氷像はXXXXで手に入れた。人の群れが爆発する鳥の玩具で遊んでくれたときのもの」


 この『XXXX』は他の会話では出てこないため、恐らく遠方の地名だと思われる。

…こんな風に頻出する言葉ならある程度聞き、分からない単語もある程度文体から推測し、こちらからも笛で会話として返すことができるようになった。


「XXXXって何なんだ?」


 俺が拳銃を分解改造した片手サイズの笛で音を真似てそう返すと、竜は両翼の空洞を器用に使って返事をする。


「XXXXはここよりもう少し暑い場所。4ヒツジぐらい遠い」


 4ヒツジと言われてもこちらには距離なのか時間なのかも全くピンと来ないのだが、温度差という話からそこそこ大きい単位だということは確かだった。


(けれど、ここからが本番だ…)


 竜は気まぐれで俺を殺せてしまう存在であることに変わりはない。

 会話はあくまでも俺が交渉テーブルにつく為の最低限のスキルであり、この竜に気まぐれで殺されないぐらいに気に入られなければならないのだ。

 それはいわば篭絡。俺は死ぬ気でこの氷皇の竜を籠絡しなければ、生きる道さえ無いのだ……―――








―――ここでの暮らしは、意外にも悪くない。


 外が死と隣り合わせになっているほど寒いことを除けば、生きていくのに充分な生態系が形成されている。


「………。」


…いやもうひとつだけ問題はある、それは俺がここに居る元凶となった竜だ。


「なあ…██」


「何?」


―――その名前は██。名前と言っても会話が風の音なので、固有名詞を人の言葉で翻訳するのは少し難しい。


「……なんで俺が洞窟から出ると着いてくるんだ?」


「お前、逃げる動物と似た動きで外に行く。だから逃げないよう見張ってる」


「逃げる訳ないだろ。第一こんな海に囲まれた場所からどうやって逃げるって言うんだ…今日はただ木を切っていくつか薪を持って帰ろうとしていた、ただそれだけだ」


―――…図星だった。


 竜が籠絡できなければ、せめて竜に殺されない時間稼ぎをしつつ脱出の準備を進める必要がある…しかし。

 外で作業をしている間の白い竜はちょこんと前脚を揃えて座り、いつもこちらの動きを見ている。何をするでもなく、効率よく作業をするための段取りを呟きながら考えるこちらを、ただジッと見つめ続けている。


 俺は作業をひと休みして休憩する間、退屈じゃないのかと聞いてみた。


「…暇じゃないのか?」


「██が暇そうに見えるなら、お前が面白いことをするべき」


「危険な作業もあるから無理だ。暇なら手伝ってくれ」


「嫌だ。」


「じゃあ背中に乗せてくれ、雪に足が取られてここまで歩くだけでもかなり疲れるんだ」


「嫌。」


 この竜はときに俺が従属していた開拓軍の、お偉いさんのところで飼われていた猫と似ている。

 身勝手で軍律をひとつかふたつしか守らない。なのに軍の参謀長よりもよほど偉い。気ままに厄災を撒き散らし1日や2日では済まない損害を出した時にも、軍法会議で満場一致の無罪を勝ち取った。

 誇ったように自らが狩ってきた獲物を見せてくるところまでソックリだ。





「………。」


…とは言え、この竜が外に出る俺に着いてくることは必ずしも悪いことだけでは無い。

 だいたい週に一度ほど、この永久凍土でたくましく生きている肉食動物に襲われる。そんな時にいつもはこちらの作業を眺めるだけの竜がその並外れた身体能力を発揮する。


―――…女性の笑う声と似た、隙間風のような音色。


 それは俺が軍の一員として初めてこの永久凍土に訪れた時にも聴いた事があるものだった。

 竜は戦いのとき、巨大な身体を自ら覆うように両翼から吹雪を巻き起こすようで、普段の会話とは違って音そのものに意味は無い。

 しかし数瞬の停滞の後、その中から軍隊を壊滅させた『悪魔』が現れるのだ。


―――…竜の全身を覆う、鋭く尖った蒼鎧。


 改めて間近で竜の変貌ぶりを見ることで、その『氷の鎧』が人間の定義する『氷』とは全く別物なのだと想像した。


 竜はどういった方法かは解らないが、氷を自在に作り出すことでその身体を保護したり、時には武器にもする。

 竜は4mはあろうかと言うクマの牙を全く恐れず、クマが口を大きく開いた瞬間に自らの氷の鎧で覆われた腕を突っ込むと、そのまま近くにあった木へとその肉食動物を叩き付ける。


 その勢いで木は殆ど根元から手折られ、氷製の篭手には綺麗な一筋の赤い液体が模様のように凍り付いていた。

 戦いが終わると氷の鎧はたった一瞬にして融解し、竜の鱗と呼ぶにはいささか滑らか過ぎる、一滴の血すら着いていない白い肢体が露わになると██はそれを誇るようにこう言った。


「護ってやったぞ、礼はまだ?」


 そんな感じの意味の音を何度も繰り返す竜に、人はこんなものと戦おうとしていたのかと改めて思いながらも感謝をする。


「言葉だけの礼は要らない、このクマで美味しい料理を作れ。

 この前やっていた火を使ったヤツ(くんせい)とかいうやつはまあまあ美味しかったからアレが良い…あ、でも料理は洞窟の外でやれ。洞窟に臭いが移るのは嫌だし、なにより氷像が溶けそうになる」


「……。」


 礼はまだかと繰り返すから渋々言っただけなのに、言ったら言ったでこれなのだからタチが悪い。










―――…竜の考えることは良く分からない。


(なるべく早く、ここから脱出する準備を済ませないと)


 その結論は、笛によるコミュニケーションが取れるようになってからも大きく変わらなかった。


「どうして俺を氷像にするのを止めたんだ?」


「面白そうだったから。」


「面白そうって?」


「説明する気はない。でもお前が当てられたら『そうだ』と言う、そうすれば暇潰しになる」


 竜がそう言っていた答えは今の所見つからない。

 けれど俺がどこに行こうと必ず竜は着いてくるし、言葉は通じてもその意図までは見えてこない。

 洞窟で作業を始めるとその様子を何をするでもなくずっと見ている、正直じっとり視線を向けられる俺はまるでネズミになった気分だ。


(そういえば…)


 一度だけ、体調を崩したことがあった。

 もう少しで終わるからと雪の降る外で作業を続けたことが祟ったのだと考えられる。


(普段が氷点下なので、そこに雪が降ったくらいなら多少無理しても大丈夫だと考えていた…)


 はっきり言って洞窟の中で高熱に蝕まれる間の記憶は殆ど無い。どれぐらいうなされていたのか、体温がどこまで酷かったとか。

 覚えているのはいつものように竜がこちらを見下ろして何かを言っていた事と、俺が氷像にされそうだった時に竜が翼から飲ませてきた冷たい液体を流し込まれたことぐらいだった。



…それとこれは体調が戻ってから認識した事実だが、どうやら熱で倒れていた間に笛が壊れていたらしい。

 熱に伏せっている間も俺は竜に対して笛で何かを伝えていた筈だが、その行動は全くの無意味だったのだから。


 けれどそんなこちらの事情なんて知らないと言う風に、竜は病み上がりの俺の目の前にどこかから拾ってきた拳銃や攻城兵器の残骸の山を積上げてこう言った。


「新しい笛を作れ。」


 返事の出来ないこちらに一方的に告げた竜の姿は、彼の風向きのような気まぐれだとしか思えなかった。

 新しく作り直した、今度は氷による部品を必要としない笛の音色を聴いて竜は『音色が結構違う、前よりは良い感じだ』と、何かの観点で評価を下していた。







―――そんな永遠の停滞にも思えた生活は、不意に変化を迎えた。


「2ヒツジ離れた場所に行ってくる、日が落ちるよりは先に帰ってくると思う」


「え?」


「? 人の言葉じゃ解らない、どうした?」


 思わず口から出た疑問の声に、竜はそう言う。

 俺がこの洞窟に来てからこれまで、竜が1日中単独行動することは殆ど無かった。あるにしてもそれは、俺が逆さ吊りにされていた頃の話だ。


「いや、わかった」


「そのうち戻る」


 あんなに見張ることに執着していた竜が気の変わったように洞窟から飛び立ち、洞窟には静寂が訪れる。


(██が居なくなると、ここって案外広く感じるんだな…)


 そんな環境に、俺は不安を覚えた。

 もちろん竜が居ないことで野生動物に襲われるかもしれないと考えた訳じゃない。


―――なるべく早くここを脱出しないと。


 ずっと前から自身の中にあった、嫌な予感が現実味を帯び初めていたからだ。


(あの竜が笛に興味を持っている間はなんとか氷像にされたり喰われずに済む。けれどそれはいつまで続く?

…あの竜が気まぐれで興味を失った瞬間、この奇跡的なバランスで続いている共同生活は終わるんじゃないか?)


 竜の単独行動はこちらへの興味が薄れ始めている、そんな予感がしたのだ。


(早く脱出用の舟を完成させないと……)


 竜の気まぐれが終わらない内に、俺はこの永久凍土から脱出するしか無い。それがどれだけ困難な事であったとしても。












 幸運なことなのか、その日から竜は別行動で外に出ることが増えるようになった。

 何の変化があったのかは解らない。竜自身なのか、それとも環境なのか。竜はどれくらい離れた距離の場所に行くかだけを伝えて、朝早くに居なくなる。

 お陰で洞窟から離れた場所で舟を作る作業は着々と進んでいる。


 最初はいつもの気まぐれかと思った。

 けれどどうやらただの気まぐれではない。それが解ったのは、竜が夜遅くに洞窟へと帰ってきた日のことだった。


「人間、起きているか?」


「…今日は遅かったな、何か問題があったのか?」


「いいや、むしろ今日は良いことがあった」


「どんな?」


「教えられない。」


「どうしてだ?」


「その良いことが起きるまで、もう少し時間が必要だから」


「……?」


「今日の人間は何してたの?」


「お、俺も教えられない。」


「じゃあこっちも教えない」


 俺は自分が竜の言語を聞き間違えているのかと思った。

 竜は良いことがあったと言った筈なのに、その良いことはこれから起こると言ったように聞こえたのだから。まさか未来が見える訳でもあるまい。


(それとも俺を連れてきた時みたいなあくどい何かを考えているんじゃないだろうな…)


 そんなこちらの疑問はついぞ解消されることなく、竜は洞窟の中で身体を丸くするとこちらに視線を向けて話し掛けてきた。


「お前、こっちこい。」


「どうしてだ?」


「寝る」


―――…寝る。


 ただそれだけを意味する音が、ひどく意外性を保ったまま頭に入ってくる。

 寝る、睡眠を取る。そう言われて思考の追い付かなかった俺が何かの返答を行うよりも早く、竜の次の言葉が差し向けられた。


「断るな。私はお前の脚を氷で固めて逃げられなくしてから傍に置いたって良いんだ」


「………。」


 あくまでも妥協しているという態度を崩さない竜の言葉に、こちらから切り出せる交渉カードはひとつだって存在しなかった。これ以上機嫌を損ねたりする訳にはいかない。

 俺は意を決して翼から吹雪を起こせるような竜の丸まった体と尻尾の間に、おそるおそる寝転んだ。


(冷たい…。けれど不思議と寒くはない、ひんやりとした感触に包まれているのが心地いい…。しっとりとした感触…、すべすべしていて、やっぱり不思議だ……人肌とは違う。

 人肌とは全く違うのに、鼓動の音が聴こえてくる……)


 巡る思考、それは██からの話し声によって終わりを迎える。


「おとぎ話をしてやろう、お前が眠れるように。返事はできないだろうからしなくていい」


 釈然としない██の語り始めに、俺はただ呆然とその音色に耳を傾けた。


「いまは昔、ある島に竜は居た。竜は巨大であらゆるものは竜を恐れた。

 竜を恐れないのは人間だけだった。人間だけはむかしから金属のついた長い棒や石ころを飛ばす玩具を持ってきては竜と遊んだ。

 竜にとってそれが人の狩りであると気付いたのは随分と時間の経った頃だったが、それでも竜にとって人間は竜を恐れない唯一の生き物だった―――………」


 竜は御伽話と言っていたが、俺には笛を使った音楽のようにも聴こえた。ゆったりとしたペースの音は全身に染み渡るように心地よく、俺は話の結末も分からないまま、丸くなった竜の懐でいつの間にか眠りについていた。











―――…朝。


「う…ぅああ……」


 俺は噛み締めるように欠伸をした。

 こんな風にしっかりと眠ったのはいつぶりだろう。すっかりこの極寒の地に慣れたと思っていたが、それはこの極限の状況においてただ生存に不可欠な最低限の睡眠時間を確保していただけに過ぎなかったらしい。


「人間、起きたか」


「起きた」


 竜は先に起きていたらしく、俺は昨晩と変わらず竜の懐に収まっていた。


「人間、今日はお前も一緒に出かける」


「どこに?」


「決めていない」


「決めていない?」


 ██の訳の分からない返答に、俺はまた聞き間違えたかと思って同じ音程を繰り返す。すると██からはこんな言葉が返ってきたのだ。


「竜の翼なら一番高い山の上でも、一番花の多い草原でも、世界の果てだって8ヒツジもあれば行ける。だから空を飛びながら見つけたものを見て決める」


 そんな事をいきなり言われてもと考えかけて…竜の続けた言葉に俺は自分の耳を疑った。


「最後かもしれないから」


 竜が変わったことを言うのは珍しくない。

 では、その言葉のなにがいつもと何が違ったのか?


 それは強いて言うなら…。


(…音色に元気がない?)


 一瞬そんな事を考えて、いやまさかと思い直す。

 少し前にだって竜は大型の熊を簡単にのしていたじゃないか、元気がないと言うよりも有り余っている。


「人間、出かける時間がなくなる。朝ごはんの用意を早くしろ、あとは行きたい場所を考えておけ」


「あ、ああ…」


 ██の催促に、思考は打ち切られる。

 行ってみたい場所、そんな事を考える余裕なんて無かった。強いて言えばこの氷の大地の外だが、それは少し意味が違う。行ってみたい場所か…。






 そして、いつものようにご飯を済ませた後。

 洞窟の外で██はその翼を地面に広げるようにして待っていた。


「何してるんだ?」


「お前を乗せる為に翼を下ろしている。解らない?」


「あんなに背中に乗せるのを嫌がっていたのに?」


「お前が空を飛べるなら乗せなくても良かった。はやく乗れ、いつまでそこに突っ立っている気だ」


 俺は竜の翼から背中へと登る。██の翼は音や吹雪を作り出すせいか、一般的に想像する翼よりも骨がしっかりとしていて空洞のあるぶん太い。俺が足を掛けても微動だにしなかった。


「そこじゃない」


「え?」


「首の方まで登ってこい、空を飛ぶから角を掴んでいないと危険。」


 竜の背中に乗った俺に、そんな声が掛けられる。

 俺が竜の背中から見上げると██はその細身な首をもたげ、背後のこちらを見ていた。その後頭部には氷柱のような滑らかさと鋭さを兼ね備えた立派なツノが二本。

 俺がそこに登るや否や、竜は翼を広げて一気に飛び上がった…────








────…その日、俺たちは様々なものを見て回った。


 なにかの本で読んだ高原の花畑に、浅瀬にぽつんと空洞のように深穴の空いた海とそれを囲む砂浜。


「あの海の穴はどうなっている?」


「海底の地中にあった洞窟か何かが崩れたせいで、そこだけ水深が深くなっているんだ。」


 そんな景色を見る度に俺は██と会話した。

 その日の██はまるで普段の気まぐれが嘘のように素直で、様々な疑問をこっちに投げ掛けてくる。


「あれは人間の街だろう、あの大きなのは何だ?」


「大きいのって言うと、お城かな」


「他のとなにが違う?」


「なにが違うって言われると少し難しいな…」


 竜の言語で王様だとか偉い人といったものを意味する言葉がすぐには思い当たらず、少ししてから俺はこう説明した。


「あー、あの場所には群れのリーダーが住んでいる。狼みたいな動物の中でどうするかを決める奴、人間の中のそれだ」


「ではあっちの遠山にひとつだけある建物は?」


「あれはたぶん、山奥にあるし修道院か何かじゃないか? 氷みたいな壁(ステンドグラス)っぽいものもあるし」


「氷みたいな壁とは? 氷ではないのか?」


「どう説明したら良いかな…色の着いた半透明で溶けない氷と近い。修道院では会話ができなくても重要なおとぎ話を理解できるように、その色付きの溶けない氷で絵を描いてあるんだ」


「見てみたい」


「いや…それは流石に無理かなあ…。中から見ないと光で綺麗に映らないんだ」





 そんな何気ない会話を、夜まで繰り返した。

 ██の背に乗って、たった一日なのに色んなものを見て回った。噴火した直後の火山からマグマの溢れる様子を空から眺めたり、竜よりも背丈の高い木々に光るキノコが並ぶ森だったり、海でイルカの群れを探してみたり。


(なんか…まるで走馬灯みたいな一日だったな……)


 眼下で夕日が雲海を赤く照らす様を眺めながら、俺はなんとなく今日一日の思い出をそう纏めかけて、縁起でもないと顔を横に振る。


(せめてデート…でも無いよなぁ……。ただの散歩と言うには豪華すぎる気もするし……)


「今日は楽しい一日だった」


 山の峰に降り立った██がそう音を鳴らした言葉に、俺は同じ音色を奏で返す。そして俺はこう言葉を続けた。


「また、こうして背中に乗せて遊びに行こう」


 隣にいる██を見上げると竜は静かにこちらへと首だけを傾けて向き直り、それから真っ白な翼をアコーディオンのようにゆっくりと拡げて吹奏する。


「今日みたいに気が向いたら。」


「そうか」


 やはり今日の出来事は、竜の気まぐれだったらしい。

 それでも人間とは全く違ったこの存在と俺は少しだけ分かり合えた気がして、それはそれで悪くなかったと思ったんだ。















―――……そして次の日、それは起きた。





「…? なんだ……?」


 俺が意識を覚ますと、洞窟には誰も居なかった。

 ██が洞窟に居ない。それ自体は可能性として有り得ないことではない、最近の██は朝早くからどこかに行っていたからだ。


(胸騒ぎがする…)


 それは、最近の竜はなにか色々と違和感があったからだ。

 俺は洞窟の外に██は居ないか探しに行こうとした…。


―――…ズドン!!


 俺が洞窟から飛び出したとき、そんな音と共に何か大きなものが落下した。


「起きたか、人間」


「は!?呑気に挨拶している場合か、何やってるんだよ…!?」


 俺はその光景を目の前にして、少し前の心配も忘れてそう叫んだ。


―――…真っ白な一面の雪に滴る、竜の鮮血。


 それが██の頭から落ちてきたものだと理解するのはすぐだった。

 だって、その血が流れる先には、██の二本のツノが根元から折れて落ちていたのだから。


 何をしているんだ、その言葉は俺の本心そのものだった。明らかにさっきのは、この竜が自分から何かに思いっきりぶつかった音だとしか思えない。


「何をしてたか答えろよ…!?」


「驚かせたか、でも何でもない。」


「そうじゃなくて……!」


「元々お前にツノをやろうと考えていたんだ。ひとつはお前の国の狼のリーダーとやらに、もうひとつがお前の分だ」


「は…?」


 俺は、██のそんな言葉に頭の中が真っ白になった。


「俺は…っ、お前は……っ」


 わなわなと唇が怒りで震えていた。

 目の奥が言葉の濁流に呑み込まれ、言いたい事が浮かんでは別の言語に塗り潰される。そんな中でようやく出てきた言葉が、ソレでしか無かった。


「……っそ…!」


「…?」


「そんな事をして俺が喜ぶと思ってるなら、それは大きな間違いだ!!俺はお前のツノが欲しいなんて一度も言ったことはないだろっ!?

 そんな血塗れの姿を見せられてプレゼントとか言われて喜ぶようなヤツなんかいる訳が無いッ!!それともお前にとって俺はそんな人でなしのようにでも見えていたって言うのか……!?」


 そんな言葉の数々で息切れとなった後、██を見上げる。

 すると竜は俺をみて意表を突かれたと言わんばかりに目を丸くしていた。


「心配してるの?…ごめん、そういうつもりじゃ無かったんだけど」


「え…? ああ…そうか……」


 そこまでしてようやく、笛を使っていない俺は竜に言葉が通じていないという当たり前の事実に気付く。勝手に独り相撲をしていたのだ、俺は。

 けれど俺のただならない態度は伝わっていたらしく、竜はこちらを安心させるようにこう言った。


「シカだってツノは抜け落ちる、お前は少し血が流れただけで騒ぎ過ぎだ」


「……。」


 未だ釈然としないまま、しかしツノの生えていた根元から血を流す竜の平然とした姿を見上げる。


「…とりあえず洞窟の中に戻れ。たしか包帯ぐらいなら使うかもしれないと取ってあるはずだ」


 俺は竜の頭に登り、巨大な竜の流血を抑えるには小さ過ぎる包帯で両腕を血塗れにしながらもなんとか処置を終わらせホッと息をつく。

 その間は竜もじっとして居たが、けれどその心配やら怒りは次の瞬間に吹き飛んだ。


「ねえ人間」


「なんだ?」


「私に隠した舟でどこに行くつもりだったの?」


「………っ。」


 俺は、██の問い詰めるような音色に口を噤んでしまった。

 どう答えるべきか。そう困っているうちに竜の翼から出てきた音色は、予想していたどれとも違うものだった。


「あんな小舟で海を渡るのは危ないよ。私が飛んだ方が早いし、危険も無い。」


「は…?」


「ツノを人間のリーダーに送れと言ったのは、それをすれば竜を討伐した証になるから。だからお前はツノを手渡せばいい」


「でも、それじゃあ…」


「私にこのツノはもう要らないものだから。残ったもう一本は好きにすればいい」


「なあ。昨日の言葉もだが、お前は何を考えているんだ…?」


 ██が抜け落ちたという二本の角をただ見つめている。俺にはその言葉の意味が上手く理解できなかった。そして竜もその意味を語ることをしなかった。


「そんな事より、人間はあんな小舟で海を渡れると思っていたの?」


「……」


「だとすればやっぱり人間はバカだね、昔から私に勝てないのにずっと挑んでくるところも一緒。」


 それはただの風の音だったが、██の様子からは間違いない嘲笑の意図が含まれていた。それからチラリとこちらを見下ろして、それからもう一度翼を鳴らした。


「中でもお前はずっとバカ、何も分かっていない。」


「二度もそう言う必要は無いだろ」


「ある。お前はバカだと理解していないバカだからバカと言ってあげなきゃバカがバカだって自覚できないでしょ?」


「お、お前……っ!!」


 竜の弱味を見つけたと言わんばかりに繰り返した煽りに言葉を失ってしまった俺の視線の先で、竜のまだ血の流れるツノの根元から一瞬にしてつららのようにまっすぐな氷がツノのように伸びる。


「それ、治った訳じゃない…よな…?」


「でも血を止めるだけならこれで充分。だからお前は騒ぎ過ぎのバカだって言った」


「………。」


 竜の至極真っ当な指摘に、言葉を失う。なんだかずっと自分が空回りしていた事に、どっと疲れのようなものが込み上げたんだ。


「人間」


「なんだ…?」


 すっかり気の抜けて笛でぴょろぴょろと返事を返した俺に、██はこう音を鳴らす。


「今日ご飯を食べたらお前を巣に帰すつもり」


「巣って…」


「お前がここに来る前に居たところ」


 竜の中で何か気が変わったのだろうと思った、或いは退屈しのぎそのものに飽きたのか。

 けれど、俺の当初の『竜を籠絡する目的』は結果的に達成されたと言っていい。この竜は人が軍勢を束ねて攻めてきても容易に蹴散らしてしまう。そんな存在と同居して数ヶ月を生き延びたどころか、最後には空を飛んで元いた場所に帰してくれると言うのだから。
















―――…故郷に戻って、半年の時が経とうとしていた。


 氷皇の竜のツノを持って帰ってきた一般兵を国は英雄と讃え、かつて竜の居た島では開拓軍を中心に巨大な港湾都市が築かれようとしている。


 開拓軍が島で駐屯地を設営するにあたって、竜を討伐した俺にも声が掛かったが、その誘いを俺は断った。

 あんな寒い場所でまたサバイバルをするのは御免だし、あの竜と再会して殺し合いになるかもしれないのは更に嫌だ。幸い、毎月のように来る開拓軍の報せで竜を見たという報告は無い。俺の心配事はすっかり杞憂となっていた。


(杞憂……)


 俺は、竜の背に乗って世界を回った一日を思い返していた。あのとき最後かもしれないと言っていた竜はどこに行ってしまったのだろう。また出掛けようと言った言葉に、気が向いたらと返事を返してくれたと言うのに。

 そんな過去を思い描くよう振り返った視線の先には、透き通るような水色の横笛が一本。それはあの竜に貰ったツノから削り出した笛だった。


(あの笛、削るのにも苦労したんだよな…。こっちの言う事を聴く気が無いというか、そんな所まであの竜と似なくても良いのに)


 そんな笛を削る苦労も、極寒の地で竜と暮らした月日も。今では良い思い出のひとつだ。


「……。」


……思い出。頭の中に浮かべたそのひと言が引っ掛かり、俺は壁に掛けていた横笛を手に取る。

 その笛の音色は不思議なことに竜の翼から聴こえた音と良く似ていた。そもそも竜の翼がツノと同じ骨で出来ていたというのもあるかもしれないが、それにしたってサイズ感が違いすぎる。

 なのにその笛の音は不思議とあの竜を思い起こす、こうして演奏に集中していなければ眠ってしまいそうになるほど落ち着くもので。


「……、雪だ…」


 演奏している内に、いつの間にか窓の外では雪が降っていた。

 季節外れの雪を珍しく思いつつも、俺は演奏を続ける。冷たい風が頬を撫でるのを懐かしく思いながら、いつかの時に竜が聞かせてくれたおとぎ話だという音色を。




―――…コンコン。


 そんな時だった。笛の音を遮って扉を叩く音が家の中に響いたのは。

 笛を吹く手が止まり、俺は扉越しに声を掛ける。すると戸の向こうからはこんな声が聞こえて来た。


「とても綺麗な笛の演奏ですね」


「え? ああ…外まで響いていましたか? 吹雪なので聴いている人がいたとは思わなくて…」


 吹雪の中でも透き通るような女の声だった。

 俺が玄関の戸を少しだけ開くと、その隙間からは真っ白な髪の少女の姿があった。白無垢のような着物と笠を身に纏った、つり目がちの美人。


「突然の吹雪で道に迷ってしまって。無理を承知でお頼み申し上げるのですが、どうか一晩だけこちらに泊めては頂けませんか?」


 外は雪が積もっていて、普通なら白はその景色に溶けてしまう。なのにその女性の輪郭は雪に埋もれるどころか、その純白の景色の中で浮いて見えるほどだった。


 その姿はまるであの竜を思い出させたが…しかし。


「泊めて、頂けますよね?」


「い、いえ…!お帰り下さい…っ!」


 俺は当初その女性を受け入れるつもりだったが、断らざるを得なかった。

 意地悪をしたい訳じゃ無い。だが俺が戸を少し開いた瞬間からその女の手は扉を掴み、死者のように白い手が強引に戸を開こうと力を込めていたのだ。


(っこ、コイツ…ッ!!)


 ソイツは常人の女とは思えないほど力が強かった。

 多少鈍ったとは言え、軍隊で訓練していた成人男性が本気で扉を閉めようとしても腕力で拮抗し、戸はがたがたと猛吹雪に吹かれても鳴らないような音で自らに掛けられる力に震えている。


「…ええい、執拗いッ!!」


 そして、女性のさっきまでとは別物の怒声が響いた瞬間。

 強引に開かれる扉を掴んだ自身の腕に引かれ、身体がつんのめる。つぎの瞬間には異様な腕力で後ろへと押し飛ばされ、宙を舞う。

 俺は後頭部や背中に迫る衝撃を予期し、咄嗟に目を瞑った。


「人間が私を締め出そうとするのが悪い、そうだろう?」


 どうやら地面に倒れこんだこちらを糾弾する女性に、俺は目を開けて反論しようとした。




―――…笛のような筒が並んだ、真っ白な翼膜。



 反論の言葉が喉元まで出かかった瞬間、俺は言葉を失った。

 女性は俺が片手に持っていた水色の笛を一方的に奪い取ると、それを興味深そうに眺めている。

 

「笛の演奏を綺麗だと言ったが、少し訂正する。

 この笛は元々私のツノなのだから良い音色がするのは当然だろう……然しだ。

 人が好意でくれてやったツノを使って、人が好意で話してやった昔話を吹聴するのは…酷い恩知らずだと断言せざるを得ないな?」


 思い出を振り返るような言葉は彼女の翼に覚えた予感を確信に変えるには充分すぎるものだった。

 人の家に押し入り、家主に馬乗りとなっている状況にも関わらず、悠々とそんな事を喋り続ける態度…それはあの時の竜に他ならない。


「お、お前……」


「何だ?」


「死んだはずじゃ…?」


「私が死ぬ?…何故?」


「だって、お前は俺を送り返す直前に、色んな場所を見回ったとき『最後かもしれない』って…」


 自身の震える声を抑えながら言った『お前』という言葉に、その白髪の美女はこてんと首を傾げる。俺は少し前の心配だとかを忘れ、言い掛かりのように彼女を問いただしていた。


「ああ、最期だろう。この小さな身体でお前を背中に乗せて飛ぶのは恐らく厳しいからな」


 しかしそんなこちらの皮肉などどこ吹く風といった様子で彼女はケロリとそう言ってのける。


「お、お前…ッ!俺は……ッ!!」


「ハッ、なんだ人間。いつぞや私がツノをくれてやった時のような顔をして?」


 俺は色んな言葉を呑み込んだのを解っててそう言ったのか、少女は嘲笑うような笑顔を浮かべる。彼女は元が竜だったとは思えないほど表情豊かに嘲り笑っていた。

 しかし彼女は少ししてその笑みを潜め、こう言葉を続けたのだ。


「お前はコレをただの笛だと思っているようだが。だとすればお前は全く何も解っていない…そうだろう?」


「どういう意味だ、ただの笛じゃないのか…?」


 竜の少し前までとは別人のように真面目くさった表情と声色に、意味も分からず言葉を繰り返す。


「いつだったか、お前に『なぜ氷像にするのを止めたのか』と聞かれたな。

 あの時の私は面白そうだからお前の答えが聴きたいと言った、当てられたら答えるともな。あのときから舟で脱出しようとしていた、愚かなお前のことだから忘れているだろうが…」


「ひと言多いぞ。それに忘れてた訳じゃない」


 こちらの上に馬乗りで乗ったまま会話を続ける、竜の言語を使っていた時に増して辛辣な語彙に磨きのかかった竜に、暗に話を早くしろと言う。

 すると竜は『はあ』と、やれやれといった様子で溜め息を吐いてからその口を再び開いた。


「そうか? だとすればお前はやはり何も分かっていないな。

……氷像にしかけたお前が、私にとっては初めての『会話相手』だったのだ」


「…?」


「生憎、私の生涯で翼を使って会話する竜と言うのは見たことも聞いた事もない。

 私以外は滅んでしまったのか、そんな物は元々居なかったのか。何れにせよこの翼でしか言葉を話せない私はこの広大な世界においてすら、たった独りぼっちだったのだよ」


 竜だった少女はどこか遠くを見つめながら、そう語る。


「お前に解れとは言わん。だが私にとって、あの不格好な笛で奏でられた言葉がどれだけ嬉しいものだったか…。

 私が狩ってきた獲物を食べるといった返事、何気ない日常会話。お前の要求を断って顔が曇る仕草さえ、私には喜ばしい出来事だった。

 まるで、真っ白な世界にお前という存在だけが、突然と色を持って現れたような感覚だったのだからな?」


 遠くを見つめていた竜の銀色の瞳がこちらに向けられると細められ、そして悪戯っぽく笑う。


「私のテリトリーに攻めてきたお前を氷像にするのを止めてやった理由とは、まあそんな所だ。今はそれよりも重要な話がある」


「それよりも、って…」


 彼女は話の最後をあっけらかんと終わらせ、代わりに重要な話があると変に人間臭い話の切り出し方をした。


「お前は人の身でありながら、竜の言葉を理解し会話までして見せた。それは私にとって、お前が世界の他の全てと比べても決して価値を損なわない存在意義(レゾンデートル)を持っている証明だった。

 だが、お前のその行為によって、私もひとつ学んだ教訓がある」


 さっきまでの人を揶揄って嘲笑うような██の姿はなく、そこにはこちらを真っ直ぐに見つめる一人の少女が居た。


「お前は、世界でたった独りだと思い込んでいた私の世界に過程はどうあれ踏み込んで来た。

 それは私を救うと同時に、長い間お前のような存在と分かり合う努力すらしていなかったと、そう私に教えてくれた…そこからどう努力すべきかもな。

 この姿と声(・)こそがその成果だ、どうだ人間?」


 竜だった少女は自身の胸に手を当て、その姿を誇示するように胸を張る。


「それで人になったのか…?というかなれるものなのか?」


「だから『努力』と言ったのだろう」


 努力のひと言でどうにかなるような変化とは思えないが、俺は理解できる気もしないのでそれ以上の追及は止めておくことにした。


「…とは言えだ。いくら愚かで察しの悪い人間とて、ここまで来ればこの私が何を言いたいかも解るだろう?」


「え?」


 思わず口をついて出た疑問の声に、目の前の少女の表情が固まる。彼女の口は小さくも半開きで、呆れていると言うよりも信じられないといった風に。

 彼女が何を言いたいかは知らないが、俺はそれがとても心外な気分だった。


「……解らないか?」


「いや解らないが…」


「ふふふ、人間?…この姿となって手に入れた玲瓏な私の声が聴きたいからと、解らないフリをするのは得策と言えないぞ?」


「……??」


 最初は冗談のようにも聞こえた竜の言葉だが、こちらが無言で考える時間が過ぎ去って行くほど、その表情からは余裕のようなものが消えていった。

…そして、痺れを切らしたのか竜はとつぜん大声をあげた。


「解らないのなら私の方から言ってやろう…!





………すー…っ、ふぅーーー……。



…いいか? 私はな……っ、私はだな……!!」


 俺は竜が途端に黙りこくる様子を静かに見守る。

 白い頬を真っ赤に染めあげ、俺の顔を見てはどこかに視線を逸らし、両手の人差し指の先を合わせて何かのおまじないのような動きをしている。

 そして、喉になにかが詰まったような彼女が言葉を発する瞬間は遂に訪れた。


「私は…っ、お前の事を特別だと思っているっ!竜だとかは関係ない、私にとってかけがえのない存在だからこそお前を手に入れると決めたっ!!私はお前のことが好きだという事だっ!!

…っぜえ……!はあ……っどうだ! これでようやくお前に伝わったか!?」


 息を切らす竜の姿、それは少なくとも彼女が人になる前には見せたことの無い姿だった。

 それどころか、俺はとんでもない勘違いをしていた。俺が生きるためこの竜を籠絡するつもりで始めた笛による会話は、知らず知らずの内に彼女を孤独な世界から救っていたのだから。


『まるで真っ白な世界にお前という存在だけが、突然と色を持って現れたような感覚だった。』


 彼女のその言葉が全てだったんだと思う。

 ずっと世界で独りだった。それがどういったものなのかはきっと彼女自身にしか分からない気持ちに違いない…だから。


「お前の気持ちは分かった。けど、お前の言葉に答えることは出来ない。」


「…何故だ?」


「はっきり言ってお前の気持ちを受け入れられるほど、俺はお前のことを異性として意識してきたつもりが無い。だけどお前の気持ちは多分ウソじゃないと思う、だから…―――









―――…で、保留中の返事は決まったか人間?」


「まだだ」


 視界の端にゆらゆらと揺れる尻尾の方から飛んできた言葉に、俺は素っ気なく答える。竜のその問い掛けはもう十回目を超えていた。


「というかなんでお前がここに居るんだ、エイヴァリ(・・・・・)」


「前に住んでいた場所は人間が煩いし、それに人の家というものは奪ってはならないのだろう?」


「当たり前だ!!」


「ならここに居る他ない、毎度帰るのも面倒だからな」


 コイツは…エイヴァリは再会のあと、俺の家に勝手に住み着いた。

 理由を問い詰めると彼女はすっかりこなれた言葉で言い訳をつらつら並べるのだが、俺にはどうもその言葉を本気で言っているようには見えない。


「…お前、ホントは帰るつもり無いだろ?」


「当たり前だ。なんの為に入り浸っていると思っている」


 視界の端で揺れていた白い尾がぴたりと止まり、エイヴァリは素足でひたひたと近付いてくる。

 その姿はシャツ一枚の上からエプロンを身に着けた汚れや安全を気にしているのか居ないのかよく分からない薄着で、目のやり場に困る俺は彼女にこう言った。


「せめてもう一枚服を着てくれないか。あと勝手に人の服を着るな」


「ここは暑い。暑いが、あの寒さではお前の身体が持たんから仕方あるまい。サイズもゆったりで通気性がいいしな。

……それにだ、お前も存外満更でもなさそうじゃないか。少し前まで私が料理に集中しているからと視線を…」


「向けていないっ」


「そうか?…まあ良い、それよりも料理ができたぞ。今回は自信作だ」


 そう言って彼女が見せたのは、真っ白な皿に盛り付けられた卵焼き。彼女の卵焼きは丁寧に巻かれて形も良く、朝日に照らされ綺麗な真黄色で輝いているように見えた。


「この前に比べて随分シンプルな料理なんだな?」


「凝った代物だけが美味しい料理の工夫じゃあるまい?」


 間近で真っ白な細い首筋を傾げて微笑むエイヴァリの姿は紛れもない美人で、思わず息を呑んでしまう。

 菜箸で卵焼きのひと切れをつまみ、こちらに食べさせようとする仕草にはすっかり人間らしさが滲んでいた。


「『あーん』だ。人間の番は手料理を振る舞うとき、こう言うのだろう?」


「別に全員がそっむ…!?」


 口を開いた瞬間、押し込むように入ってきた卵焼きに驚きつつも、それを味わう。俺はそこで更に驚くこととなった。


(お、美味しい…!!)


 生地がふんわりしてて、卵の味が濃い。

 どんな工夫をしたのかは分からないが、濃厚な黄身の味わいが美味しいことだけは確かだ。


「どうだ、美味しいだろう?」


「ああ…結構甘いけど、クドくは無い」


「お前の同僚も美味しいと言っていたよ」


「え?」


 俺がエイヴァリの顔を見上げると彼女はフッと笑い声を吹き出し、それからこっちを見下ろしてこう言った。


「冗談だ…嫉妬したか?」


「い、いや…」


「そうか、残念だ。お前が私の告白をいつまでも保留していては、こちらも気が変わらないとも限らないと…そう言ってやるつもりだったのだが。」


 エイヴァリの言うほど残念そうにも見えない後ろ姿を見送りつつ、俺は途中で止まっていた卵焼きの感想を伝えようとする。


「にしても美味しい卵焼きだな。いつも買ってる卵は特に拘りのない廉価ひ…ん……?」


 そこまで口にしかけて、ふと不思議に思う。

 そういえば卵は今度買わなければと思っていたことを思い出したのだ。冷蔵庫に在庫は残ってなかったはず。


「エイヴァリ、わざわざ卵を買って来たのか?」


 俺はエイヴァリにそう話しかけながら冷蔵庫の扉を開くも、そこに余った卵は入っていない。


「お前…なんの卵を使って卵焼きを作ったんだ…?」


 俺が少し震えた声で隣にいるエイヴァリを見ると、そこにはこちらを愉しげに揶揄って遊ぶ時の彼女の顔が。


「企業秘密と言うやつだ。お前が私の告白を受け入れてくれると言うなら、今すぐにでも教えてやらなくもないが…どうする?」


「………、…はあ。俺がそんな事で答えたりする訳がないって解ってて言ってるよな?」


「いや? ダメ元だろうと試してみるのがいまの私の心情だ。少なくとも私にそれを教えてくれたのは、お前だろう?」


 そう言ってエイヴァリは心の底から嬉しそうに笑う。その姿がどうやってもこっちの毒気を抜くほどあどけなくて、俺は怒る気も失せて料理に戻ったエイヴァリの横顔を眺めていた。









「…まあ、こうしてお前の返事を待つのも吝かではない。然しこの私が簡単に諦めると思うなよ?

 私を籠絡した責任はしかと取ってもらう。孤独な竜の氷を溶かしてしまったのだからな…?」


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