私があなたを殺すまで
「僕を殺してくれませんか」
お城のバルコニーで涼んでいると突然人が降ってきて、そういわれた。
よく自分を殺しに来る暗殺者達のような格好をしているけど、真逆のことを言っているよくわからない輩だ。
お城の三階にあるバルコニーの手すりにしゃがみこんで、月を背に空の両手をぶらりと垂らしている。
じーっとして動かない。目つきと体格からおそらく男。
一国の王女たる自分の身に危険が差し迫っているのだから、逃げるか声を上げるかした方がいいだろうか。
自分が死んでも悲しむ人はいないとだろうけど、いろんな人に迷惑がかかるし、この国が混乱してしまうかもしれない。
目の前の男は一切動かず、黒く沈んだ瞳がこちらを射抜いている。
彼が手を伸ばせば私に届いてしまいそうな近さ。
隠し持っているかもしれない短剣かなにかでブスリと刺されればひとたまりもないだろう。
「あなたはどうして殺してほしいの?」
けれど、自分の命や王国のことなんてどうだってよかった。
ちょうど退屈していたところだったし、暇つぶしにおしゃべりでもしよう。
両手の指をがっしり組んで、手のひらを天に押し上げてうぅーっと伸びをする。
なんていう風に平然を装ってはみるけれど、たった今も鋭い刃に首元を晒しているような恐怖で心臓がばくばくしているところだ。
それでもやっぱり何よりも、沢山いる衛兵の警備を抜けてここまで来て、自分を殺して欲しいなんてことを言う理由が気になって仕方がない。
本当に暗殺したいなら声なんてかけずに殺せばいいのだから、暗殺するための嘘をついたとも思えない。
同じことが繰り返される既定路線の人生の中、いきなりこんな狂気じみた不確定要素が発生したのだから少しは楽しんでもいいだろう。
彼はおもむろに口を開けて、ひっそりとした口調で言った。
「たくさんの人を殺しました」
怖すぎる告白。
闇に溶け込むような静かで冷えた黒い瞳がそれを嘘ではないと確信させる。
心臓が縮こまってからまた元に戻って、バクバクバクと鼓動を速めた。
逃げておけばよかったのかもしれない、そう思った、思ったのだけれど。
なんだろう、この感じは。
「僕を、殺してください」
もう一度、そう言われた。
体がぞっと冷えるくらいに影に染まった瞳で、淡々とした声にどこか切々たる響きをもって言われた。
何かを願うような、何かを諦めたような、深くて濃い哀愁が伝わってくる。
「あなたはなぜ人を殺したの?」
「僕は—————————」
ビィイイイイイイイイイイイイ、とけたたましい警笛の音が鳴った。
『侵入者だぁああああああ!!!!!!!』
遠くから聞こえたのは、お城の護衛隊長の野太い声。
少し安心したけれど、なんだろう。
(残念なのかな)
こんな風に思う自分はかなり狂っているのかもしれない。
けどまあいいや。
「あの、今は逃げて、明日もう一度来てくれない?」
瞳が見開かれ、こちらを凝視する。
少しの間固まったあと彼は小さくうなづき、バッと薄い残像を残して姿を消した。
何拍か空いて、
「はぁああああああぁ~~」
張り詰めていた神経がふわっと緩み、安堵の息が漏れた。
一人になったバルコニーで胸に手を当てる。
心臓が徐々におとなしくなっていくのがわかった。
城下はやかましい音と光であふれかえっていた。
本当の暗殺者が来ていたらそんなの手遅れじゃない、と少し呆れる。
さて、彼は明日来てくれるだろうか。その前に今晩捕まらないだろうか。
不思議で不気味な期待を胸に抱えながら、平凡な毎日に面白いことが起きたなぁと心の中で微笑む。
(明日が来るのが楽しみだなぁ)
これは一人の男の子と女の子の、ちょっとおかしな話。
私が彼を殺すまでの———長くて短い物語だ。