#102〜本来の姿〜
僕はヘラから手渡されたその白い仮面を手に取った。
「この白い仮面は?」
「これは”巫女の仮面”と呼ばれているもで、巫女の力を受け継いだ際に管理し続ける者とヨトゥンへイムの民から授かるものだそうです。」
「管理し続ける者とヨトゥンへイムの民からの授かり物?」
「はい。イエリアの書、その最後のページには巫女の力を受け継いだ次の巫女の名が記されています。この巫女の仮面は次の巫女の名が記されたその最後のページと次の巫女の魂、そしてヨトゥンへイムの民から集めた魔力を媒体に管理し続ける者が錬金して生み出された物なんです。
巫女の仮面は歴代の巫女によってその形は様々で、その形状は次の巫女となる者の名と魂を象った物になると言われています。」
ヘラから手渡されたその白い仮面は丸みを帯びた普通の仮面で、何か特徴があるとすれば目元部分に外を見る為の穴が空いているくらいで、それ以外は至ってシンプルな作りになっていた。
「この仮面はヨトゥンへイムの巫女であるという証であると同時に、その巫女の魂と力の強さを表すものでもあります。ですが私の仮面は見ての通り、目元に外を見る為だけの穴が空いた真っ白で代わり映えの無いシンプルなものとなっており、このような巫女の仮面は今までに前例が無いそうです…。」
話を聞いた限りではヘラも歴代の巫女同様に同じ儀式を経て誕生しているはず…。
それに前例が無いだけで今回はこういったシンプルな仮面になったのでは?とも思ったが、そう話すヘラの曇った表情を見る限り、その言葉だけで済ます程簡単な話しでは無いようだ。
「管理し続ける者曰く私の仮面がこうなってしまったのには、私の出世とその後に原因があると推測しています。」
「ヘラの出世とその後が原因?」
「はい。本来、巫女の力を受け継ぐ儀式を行う際は聖域であるヨトゥンハイメンで行われます。ですがお父様とお母様が儀式を行った場所は死者の魂が彷徨う場所、ここ死者の国…。そして儀式で最も重要なのは、苗床となる者が食す巫女の心臓が”生ある心臓”だという事です。」
「!!!」
「感の良いお兄様ならもうお気付きでしょう…。巫女の力を継承する際にお父様が食したお母様の心臓…、それは”生ある心臓”では無く”死した心臓”だったのです。」
母さんが第二次多次元大厄災の最中、神柱最高神であるオーディンとその息子であるトールに人質として囚われ、父さんは母さんを助けるべく二人に戦いを挑んだがその奮闘も虚しく、後一歩というところで母さんは父さんの目の前でオーディンによってその命を奪われた…。
そして父さんは母さんを甦らせるべくこの死者の国を訪れたが、そこで母さんは自信を蘇らせるのでは無く”自身の心臓を父さんに食べて欲しい”、つまり”巫女の力を継承する儀式を行いたい”と父さんに願い、父さんは母さんのその願いを聞き入れこの死者の国で儀式に至った…。
つまりそれが意味する事はーーーー。
「私は…本来の手順を経て誕生した巫女では無く、生きているのか死んでいるのかさえ分からない曖昧な存在なんです…。」
そう話すヘラは顔を下に俯き、肩を少し震わせながら僕に顔を見られないよう静かに背を向けた。
「既に命を落としたお母様の”死した心臓”を食べたお父様を苗床として生まれた私は、今のような姿をしていませんでした…。肌の色は今のように白く無く、屍人のように燻んだ色をして肌は爛れ落ちそれは見るに耐えない赤子の姿をしていました……。」
「お嬢様…。」
今まで僕とヘラの事を静かに見守っていたガングレトさんも、僕に背を向け自身の出世について肩を震わせながら話すヘラを心配そうな表情で見ていた。
「なぜ…オーディンが生まれた直後の私をこの死者の国に幽閉したのか……。その理由がこれです……。」
ヘラはそう言うと僕に背を向けたまま自身が着用していた服を静かに脱ぎ始めた。
「ちょっ!?ヘラ!!!」
「お嬢様!!!」
予想外のヘラの行動に僕とガングレトさんは同時に叫んだ。
そしてガングレトさんはその場からすぐさまヘラの元へと駆け寄り、僕はヘラの透き通った白い背中を一瞬視線に捉えたがその後すぐさま視線をヘラから逸らした。
「何をしているのですかお嬢様!!直ぐにお洋服を!!!」
「ガングレト!!!」
「っ!?」
自身の元に駆け寄り地面に崩れ落ちた服を拾おうとしたガングレトを、ヘラはいつにも増して大きな声でガングレトの名を叫びそれを阻止した。
「ガングレト…。私は貴女の事を一番信頼しています。だからこそガングレトとお兄様にも見て欲しいのです。」
「見て欲しいって…一体何を!?」
「私の…”本来の姿”をです……。」
そう言うとヘラは僕とガングレトさんの方を振り向き、悲しさに満ちた笑顔を見せると静かに目を閉じ、胸元を中心に紫色に輝く魔法陣を体全体に幾つか展開し始めた。
展開した魔法陣は、頭部、胸部、腹部、両手、両足、と合わせて七つ展開しており、その魔法陣はまるで機械仕掛けの歯車のように胸部の魔法陣に向かって動き始めた。
そして七つの魔法陣は胸部に展開している魔法陣を中心に一つずつ噛み合わさり、やがて全ての魔法陣が噛み合わさると、そこには人の姿を連想させるような巨大な魔法陣が浮かび上がっており、それからヘラは自分の目の前に展開しているその巨大な魔法陣に向けて片手をかざし、『”魂の解放”』と小さく呟いた。
小さく呟いたその言葉と共に人の姿を連想させるその強大な魔法陣は、まるで割れて崩れ落ちる鏡の破片のように砕け散ると、その砕け散った魔法陣の中から数えきれない程の”魂”が放出され、一瞬にして今居るこの聖堂を包み込んでいった。
「なっ!!ヘラ!!!これは一体!?」
「お嬢様!!!」
徐々に放出されたその魂によって視界は遮られ、僕の視界からヘラの姿が見えなくなってしまった。それから僕とガングレトさんは何度もヘラの名を呼び続けるが、ヘラから返事が返ってくる事は無かった。
それからしばらくして放出された魂が何かを察したように今居るこの聖堂から外に出て行き始めると、徐々に視界が晴れていき目の前にヘラの後ろ姿が見え始めた。
そしてヘラの姿を視界に捉えた僕はヘラに向かって名前を叫ぶも、ヘラは依然、僕とガングレトさんに背を向けたままの状態でその場に立ちすくんでいた。
「お兄様…ガングレト……。これが私の本来の姿です……。」
そして放出された魂が完全にその場から姿を消すと、ヘラはゆっくりと僕とガングレトさんの方へ振り向きその姿を僕達に見せてくれた。
「今までお兄様やガングレトが見ていた私の姿は魂で繕った仮初の私…。そして今目の前に居るこの醜い姿こそ、本来あるべき私の姿なのです…。」
目の前に姿を現したヘラは屍人のように燻んだ肌の色をし、今にも肌が爛れ落ちそうな身体をした弱々しい姿だった。
「追って来たトールの放った一撃によってその身体を雷撃によって撃ち抜かれたお父様は、私を抱き抱えたまま命を落とした事は先程お話ししましたよね? それからトールを追って来たオーディンがその場に駆け付ける間に”ある出来事”が起きました…。」
「ある出来事…?」
「トールの放った一撃によってお父様が命を奪われた瞬間、その出来事がトリガーとなり”眠っていた能力”を無意識に発動し、トールが引き連れて来た複数の兵士の命を一瞬にして奪ってしまいました。」
雷神トールが引き連れる程の実力を持った兵士達の命を一瞬にして奪える程の能力…。
そしてさっきヘラが展開した魔法陣から放出された魂とヘラ本来の姿……。
まさかとは思うが、それらを踏まえて脳内によぎったその能力がもし仮に当たっていたとすれば、
その能力はオーディンにとって脅威になる事は間違いなく、妹のヘラはまさに最強の存在という事になる。
「私が無意識に発動し複数の兵士の命を奪った能力…。それは”生死者関係無く、全ての生命の魂を無条件で奪う”というまさに”死を司る女神”に相応しい能力でした。」
思った通り…。
まさか生きている者だけで無く彷徨う死者の魂、そして全ての生命の魂の無条件で奪う事が出来るとは思っていたよりも想像以上の能力だ…。
「更に自分でも驚いた事に、私は奪った生命の魂を自らの生命エネルギーへと変換し吸収……。つまり奪った生命の魂を食す事で自身の成長を急速に促し、能力の爆発的な向上、更にこの醜い姿を先程までお二人に見せていた仮初の姿へと変化させる事が出来ようになったです。
そしてオーディンが駆け付けた瞬間、私はトールの引き連れた兵士から奪った魂をオーディンとトールの目の前で無意識に食し、赤子から今の姿へと急成長し仮初の姿へと変化させて見せ、その一部始終を見たオーディンは私の存在を危険視し、この死者の国から外の世界に出られないよう呪縛を施し幽閉させたのです。」
「それが…オーディンがヘラをこの死者の国に幽閉した理由……。」
「はい。そしてこの死者の国で”死した心臓”を食し、巫女の力を継承する儀式を行った事で生きているのか死んでいるのか曖昧な存在の私が生まれ、その破滅的な能力を危険視したオーディンによって呪縛を施された事が原因となり、巫女の仮面を錬金する際に私の魂の存在に触れる事が出来ず、イエリアの書の最後のページに記された私の名とヨトゥンへイムの民の魔力だけで管理し続ける者が錬金した結果、このようなシンプルな仮面になってしまったという訳です……。」
オーディンに呪縛を施されこの死者の国に幽閉された理由と、それが原因で自分の巫女の仮面だけが他の歴代の巫女とは違う物になってしまった事について話したヘラは、冷たい目で今にも崩れ落ちてしまいそうな爛れた自分の腕を見ていた。
「それから幽閉された私は、永遠とも言える時の中で自身の中にある歴代の巫女の記憶に触れて巫女の仮面の存在を知り、そのどれもがそれぞれの巫女の特徴を現したような様々な形をしており、私もいつか歴代の巫女達のように自分だけの仮面が欲しいと密かに思うようになり、もし自分だけの巫女の仮面を被る事が出来れば、誰かの希望となるだけでなく、自分の存在意義を証明する事が出来ると思っていました。」
ヘラにとってこの巫女の仮面は自分自身への希望でもあるという事か。
「ですがお兄様と再会してこの巫女の仮面を手渡された時、正直私は手渡されたこの仮面を見て絶望してしまいました。これは私の知っている巫女の仮面でな無い…、この仮面では誰かの希望になるどころか自分の存在意義の証明すら出来ないと……。」
「ヘラ…。」
「ですがお兄様はそんな絶望している私にこう言ってくれたんです。『この仮面が歴代の巫女達と違う物でも、今ヘラが手に持っているその仮面には父さんと母さん、そしてヨトゥンへイムに居る全ての民の想いが詰まったヘラだけの特別な物。例え儀式の手順が違っても、今いる場所から外に出る事が出来なくてもヘラは紛れもなくヨトゥンへイムの巫女で、皆んなヘラの帰りを待っているよ』っと…。」
ヘラはそう話しながら瞳に涙を浮かべていた。
「その言葉を聞いてから私にとってこの仮面は何よりも大切な物で、私の一部になったんです…。それをどうしても私はっーーーーーー!?」
慰めや同情の言葉より気付いた時には身体が勝手に動き出し、僕は弱々しい姿になったヘラの身体をそっと優しく抱きしめていた。
「おっ…お兄様!?こんな…ダメです……。今の私は…とても醜い姿………。」
「そんなの関係無い…。例えどんな姿になってもヘラが僕の大切な妹である事に変わりないよ……。」
「うっ……。うぅ…。おっ…お兄様……。」
「大丈夫だよヘラ。」
「ありがとうございます…お兄様……。私はどうしても…、この事を知っておいて……。」
「うん…。」
今までヘラが心に抱えていた重荷がどれだけ大きな物なのか、それを僕自身の物差しで測る事は出来ない…。ただ一つだけ分かる事は、ヘラは今まで多くの事を誰にも言わず一人で抱えてきたに違いないという事だ。
その重荷を全て僕が代わりに背負い込む事は出来ない。でもせめてその半分を…、その抱えている悩みや苦しさ、悲壮感や絶望をヘラと一緒に背負っていきたい。そして空いた心の半分を温かなもので満たしてあげたいと僕は思った。