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罪の味

深夜、娘達が明日の準備も終え寝静まった頃、屋敷のキッチンに佇む一人の影があった。


「ふふふ、ようやくだ」


その影の正体は蒼一であり、その目の前には綺麗に整形されたブロック肉が置かれ、蒼一はそれを見て口角を吊り上げる。

何故皆が寝静まった深夜に、蒼一が一人キッチンに立っているのかというと、トゥリナから説教を小一時間程受けたあの後、トゥリナはそのまま帰らず、ちゃっかり風呂に入ってから帰っていった。

トゥリナの説教+入浴の後に蒼一達が入り、次に娘達の順に風呂を済ませ、その後娘達が明日の準備を済ませてキッチンが空くのを待っていたら、こんな時間になってしまったという訳だ。


「うーん、見事な脂身……これは十頭は確保し過ぎたか?」


蒼一の目の前にある肉の正体はバランツのロース肉であり、蒼一はこれから背脂を切り出し、ラードを作ろうとしていた。

正確に言えば、()脂では無いのでラードとは言い難いのだが、面倒なのでラードという事にしている。


「痩せてるって言われたから、警戒して多めに確保したのが裏目に出たな。まぁ、少ないよりはマシか」


そう独り言を呟きながら、蒼一は包丁を手に持ち、肉から脂身を切り落としていく。

その作業の最中、不意に蒼一の手が一瞬止まった。


「あー、しまったな」


何か失敗でもしたのか、そう呟く蒼一だったが、今行っている作業でミスをしたという訳ではない。


「まぁ、いいか」


蒼一はそう独り言ちると作業を再開し、ソレがやってくるのを待った。

それから暫くしてからの事だ、食堂へと繋がる扉がゆっくりと開き、そこからクラリッサが顔を覗かせた。


「蒼兄、ここに居たんですね」

「ごめん、心配させた?」

「いえ、謝られる程の事では無いですから」


蒼一が先程呟いた"しまった"という言葉、それはクラリッサに一言も告げずに作業をしてたことに関してであった。

蒼一と一緒に寝るのが当たり前になってきているクラリッサ、就寝時間になっても一向に寝室にやって来ない蒼一を心配して屋敷中を探し回り、蒼一はそれを知覚して、自身の失敗に気付き、それが口に漏れたのだ。


「それよりも、お夜食ですか?そういえば、ずっとトゥリナ様と話てられましたし……もし宜しければ私が何かお作りしますが」

「いや、これはそういうのじゃなくて、夜食というか、仕込みかな。バランツから脂を取ってるんだ」

「脂をですか?」

「そう、俺が住んでたところじゃ動物の脂なんか良く料理に使ってたんだけど、こっちじゃそういうのないのかな?」

「申し訳ございません、その、私の知ってる料理に関する知識というのは、一般的な方と比べると少し乏しいもので」


クラリッサのその言葉に、蒼一は何も反応出来なかったが、何が言いたいのかは察する事が出来た。

クラリッサ達は皆、貧しい家庭で育っている。

その為、この世界における一般的な食事でさえ、嘗てのクラリッサ達にとっては手の届かない代物だった。

故に、クラリッサ達にとってその手の料理は、話に聞いただけか、或いはそもそも聞いた事が無いという物まで混じっており、この世界における料理の常識を尋ねる相手としては、不適切であった。


「あ、でも確か、油を取る為だけに狩猟されているモンスターなら居ましたよ」

「へー、そんなモンスターが居るのか」

「はい!植物系のモンスターで、とっても良質な油が取れるのだとか」

「植物系のモンスターか……」


植物系のモンスターから取れる油とは、植物性なのか、それとも動物性なのかと、どうでも良い事柄が蒼一の脳裏を過ぎる。


「ま、どっちでも良いか、そんな事」

「はい?」

「なんでもない、ただの独り言……それよりも」


どうでも良い思考を打ち切り、蒼一は目を逸らしていた現実へと向き直る。


「クラリッサ、包丁扱ってるから、もう少し離れてくれない?」


先程からずっと自身の脇にピッタリと寄り添うように立っているクラリッサに対して、蒼一は包丁を握っている事を理由に離れるよう促すが、クラリッサは離れるどころか更に身体を密着させる。


「ちょっ!?」


体が密着したせいで、クラリッサの柔らかな双球が蒼一の二の腕でむにっと押し潰され、蒼一の左脚を挟み込むようにクラリッサの太腿が絡まる。


「なんで更に密着してるの!?」

「だって……」


混乱する蒼一に対し、クラリッサはボソっと、呟くような声を発した。


「リサって、蒼兄が呼んでくれないから」

「…………リ、リサ、包丁扱ってるし、危ないからさ、離れて、ね?」


蒼一がどぎまぎしながらも言い直すと、クラリッサは逡巡した後に、そっと体を離す。

二の腕と左脚に残るクラリッサの体温と感触に蒼一の心臓は未だに早鐘を打っていたが、表面上は落ち着き払いつつ、蒼一はその体温と感触を振り払うように、目の前の作業に集中する。


「あの、蒼兄、私にも何か手伝える事ってあります?」

「え?んー」


クラリッサのその申し出に、蒼一は考える素振りをする。

風呂に入った後に仕事を押し付けるのも申し訳無いと思ったが、ラード作りなら汚れるのは手先だけだし、何よりこのまま自由にさせておくとまた隙を見てひっついてきそうだと思った蒼一は、クラリッサにも作業を手伝わせる事にした。

そうしてクラリッサが加わった事で作業は倍の速度で進み、予定よりも多くの脂身を取ることが出来た。


「こんだけあれば十分だろ。ク――リサ、保管庫からニンニクとハーブを持ってきてくれ」

「分かりました」


クラリッサが隣の保管庫に材料を取りに行っている間に、蒼一は2つの鍋を用意し、竈の上に置き、それぞれにコップ一杯程の水を入れ、バランツのロースから取って刻んだ脂身を半々で入れて、火を点ける。


「蒼兄、持ってきました」

「ありがと、じゃあちょっと鍋の様子を見ててくれ、水が蒸発しきるまで、脂が跳ねると思うから気を付けてな」


最初はパチパチと静かな音を立て跳ねていた脂も、温度が上がるにつれてその音は激しさを増していく。

しかしそれも水が蒸発するにつれて次第に収まりだした頃合いを見て、蒼一は片方に刻んだニンニクを投入する。


「あれ、片方だけですか?」

「あぁ、リサのおかげで沢山脂身が取れたからな、ニ種類作ろうかと」


当初は一種類だけの予定だったが、想定外に脂身が取れた為に、鍋を2つ用意せねばならず、それならばいっそニ種類作ってしまえと考えた蒼一は、片方は脂身だけのシンプルなラード、もう一つはニンニクと仕上げにハーブを入れたものを作ろうとしていた。


バランツの脂が持つ豊かな香りとニンニクの食欲を刺激する野性味溢れる匂い、揚げられた事で香ばしく立ち上り、胃袋に直撃するその匂いを前に、クラリッサの腹からくぅぅ……と、可愛らしい虫の音が聞こえ、クラリッサが顔を真っ赤に染める。


「はは、夕食が足りなかったのはリサの方だったみたいだな」

「ち、違います!私は別にそんな食いしん坊じゃありません!こんな美味しそうな香り嗅いだら誰だってこうなっちゃいますよ!」

「ん〜?でも俺の腹の虫は鳴ってないけどなぁ」


此処ぞとばかりにクラリッサを弄る蒼一、クラリッサは何も言い返せず、赤面したまま恥ずかし気に顔を俯けていた。

そんなクラリッサの姿を微笑ましく思いつつ、蒼一はお玉を手に取る。

揚げ料理というものが存在しない為か、フライヤーが無かったのでお玉で代用し、ラードから揚げカスを丁寧に取り除いていく。

取った揚げカスは皿の上に除け、その上に塩を振り、ニンニクフレーバーの方には乾燥ハーブも散らす。


「よし、出来た」

「あの、蒼兄、それは?」

「これは揚げカスだよ。脂を取った後に残った脂身のカス、実はこれも美味いんだよ」

「そう、なんですか?」


脂の抜けたカスとは言っても、それでも元は脂の塊、脂が完全に抜けた訳ではないし、立ち上る香りは確かに美味そうだが、クラリッサにとって完全に未知の領域であるだけに、美味いと言われても手を伸ばすには少々躊躇いがあった。

そんなクラリッサを余所に、蒼一はまずシンプルな方の揚げカスを一摘みすると、それを口の中に放り込む。


こんがりきつね色に揚がったそれは、見た目は不格好なクルトンだが、クルトンよりも軽い食感で、サクサクと口の中で崩れ、一度噛めば中に残ったほんのり甘い脂が顔を出す。

表面に適度に振られた塩を顔を出した脂が押し流し、またその塩気がそれ単品では感じ取り難い脂の甘味を引き立てていく。


「んー!昔作って食べた豚の揚げカスよりも美味い!食感も軽くて、脂もそれ程しつこくないし、スナックみたいだ。ニンニクの方はどうだろ」


シンプルな方の味見を終えた蒼一が、今度はニンニクフレーバーの方へと手を伸ばし、そちらの味も見る。

ただニンニクを足しただけと侮るなかれ、刻まれたニンニクが揚げられた事で、ニンニク本来の風味だけでなく、こんがり揚がった香ばしさも風味にプラスされている。

更に最後に散らした乾燥ハーブがニンニクの強烈な風味を中和し、食べやすく仕上げられていた。


「あー、うまい、これをクルトンの代わりにサラダに入れて食べてみたいくらいだ。とはいえ、そんなことしたら直ぐに脂が冷えてベトベトになるだろうけど……やっぱ揚げカスは揚げたてが華だな」


蒼一の言うとおり、揚げカスは冷めれば脂が固まり、ベトベトとしてしまう。

一度冷めた揚げカスは汁物の具材として用いられるが、このサクサクとした食感を楽しめるのは揚げたてのうちだけなのだ。

そうと知ってる蒼一は、次々と揚げカスを胃袋の中へと収めていく。

そんな様子を横で見ていたクラリッサは、最初は躊躇っていたものの、美味しそうに食べる蒼一の姿と揚げカスから立ち上るなんとも言えない香りに誘われ、ついに手を伸ばす。


「んぅ!?」


スナック、ジャンクフード、そんな言葉を知らないクラリッサにとって、それは未知の味だった。

絶対に身体に良くないであろうに、それでも伸びる手を止められない。

もしこれをクラリッサが言葉にするならば――そう、これは罪の味だ。


「蒼兄、これは手が止まりません!」

「だろ!久しぶりの揚げ物は最高だな!」


それから二人は皿に盛られた揚げカスが無くなるまで、ひたすら手を動かし続けるのであった。

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