昼_食堂
「邪魔しても、いいだろうか?」
そんな声が掛けられたのは、碧流が、今週の限定メニューである坦々排骨麺に、いざ挑もうとした、その瞬間で。
ちょっとした不満を押し隠し、顔をあげた先には。
「珍しいですね、黄希さん、杏怜さん。今日はお二人だけですか?」
学院一の美男美女の取り合わせが燦然と煌めいていた。
「オレたちとて、常に四人で行動しているわけではない」
苦笑まじりにそう言うと、黄希が碧流の向かいに腰を下ろす。
杏怜もその隣の椅子を引きながら。
「橙琳も蒲星も、お祭りの後片付けで、それぞれ忙しいんですって」
少し拗ねたように。
そう言う杏怜だって、ヒマなはずはないのだが。
祭りが終わってまだ数日。人々の頭はようやくお祭りムードから解放された頃だが、泰陽の街にはまだそこここにその残滓が残っている。
そういったものの撤収や清掃を指揮するのも、教団内での蒲星の仕事だ。
橙琳の方は、その後に起こった件で、だろう。
「それよりもだ、碧流。遅くなってしまったが、礼を言わせてくれ。色々と世話になった。感謝する。ありがとう」
皇太子に頭を下げられる。それも、学院の、食堂で。
「ちょ、ちょっと、黄希。人目に着きますよ!」
慌てて、周りを気にしてしまう小市民、碧流。
しかし頭を上げた黄希は泰然自若と。
「誰だろうと、世話を受ければ、頭を下げ、謝意を口にするべきだ。そこに立場も肩書きもない。違うか?」
「……違いません、が」
わかってはいるのだが、そうはできないからこその小市民。
「と、とにかく。僕は世話なんてしてませんから、お気遣いなく」
動揺もそのままに取り繕う。
周りがざわつきもしなかったことには一安心だ。
黄希は鷹揚に笑いながら。
「お前はそう言うだろうとは思っていた。続きは食べながらで話そう」
そう言うと、いただきます、と頭を下げる。
王公の一族が食事の前に頭を下げている印象はなかったが。
朱真が、座るやいなやラーメンをすすりあげていたのを思い出す。
育ちの問題か、個人の資質の差か。流族の碧流には、わからない。
「ともかく、お前が抱えていた難問を解決してくれたのは事実だ」
思わず考え込んでいた碧流に。
「泰陰の問題に、筋道をつけてくれたのだろう」
そう言えば大層だが、碧流にそんなつもりはさらさらない。
「筋道どころか、取っ掛かりの端緒を見つけただけですよ」
「充分だ。物事は動き出せば早いものだからな」
謙遜のつもりもなかったが、即座に切り返されれば、結果そう聞こえてしまう。
そこで、黄希がにやりと笑い。
「道に迷っていた少女を、お家に帰して上げた、とも聞いている」
「多少、ねじ曲がっていますね。枝葉もついていそうです」
碧流が苦笑を返した。
そんなメルヘンチックな話ではなかったはずだ。
「少ない目撃証言と相手の特徴から居場所を特定すると、相手の行動を先読みした適切な人員配置で、安全確実に確保した、とか」
おお、まるで名探偵だ。
「居場所を特定したのは雪祈ですよ。あとはみんなががんばってくれたおかげです。元々、僕らの屋台から始まった話ですし」
最初は、聞かなかったことにするつもりだったし。
「その屋台についても、と。まぁ、それはいいか。蒲星の領分だ」
黄希は自治会役員ではないのか、それとも全く経緯を聞いていないのか。
気を取り直した黄希は話を戻して。
「向こうの話を、やけに親身になって、じっくりと聞いてやったそうじゃないか」
碧流は、あの家に残っていた、啓と向き合った時のことを思い出す。
なんの座具も敷かず、木床に正座をして、背筋を伸ばして。
どれだけの間、誰を待っていたのか。
「あれは。僕にはもうすることがなくて、時間があったからですよ」
呑まれるように、話を聞かされた。それだけだった。
「話を聞いて、橙琳さんに報告しただけですし」
碧流が聞くべき話ではないと思ったから、すべてを聞いて、橙琳に報告した。
あの時の啓に、もう一度同じように話をしろ、とは言えなかった。
「リーダーの女、というのは、見込みはあるのか?」
「見込みなんて、僕が言うのもおこがましいですが。見た限りでは、周りは心酔しているようですね。あと、決断力に優れているようです。啓という方の話によれば、ですが」
まず、語り口や言葉の端々から、啓の学院生にも引けを取らない見識を思い知り、次いで、その見識で滔々と語られる嬢の魅力を聞いた。
「決断力、か」
思うところがあるのか、同じくリーダーとなるべき黄希が呟く。
「その男の言葉は信用できるのか?」
「はい。持ち上げ過ぎ、という面はあるかもしれませんけど、嬢を持ち上げた分だけ、自分を低く見る風がありますから、組織全体としては差し引きゼロでしょう」
あの瞳で嘘がつけるなら、彼はあんなところにはいないだろう。
少なくとも、あんな風に待ちはしない。
「ふむ、似たようなことを、橙琳も言っていたな」
「確か、嬢さんの言葉のはずよ」
黄希と杏怜が頭を寄せて、ぼそぼそと。聞こえてるから。
でも、碧流の感じた印象が嬢と同じであるなら、間違いはないのだろう。
「実際、建設中の排水溝なんかもしっかりしてましたし」
「え、いつ見に行ったんですか?」
つらっと話す碧流に、聞き役だった杏怜が驚く。
それもそうだろう。当日にそんな余裕はなかったのだし。
「一昨日です。話に出てきて、気になったので」
へぇ〜、と意外そうに呟く杏怜。
「学院生が用もなく泰陰に立ち入るのは勧められないが」
一応、という義務感で、黄希が釘を刺してから。
「しっかりしていたか」
やはり彼らの仕事に興味はあるらしい。
とはいえ、さすがに皇太子の泰陰視察は大事になり過ぎるだろう。
その分、碧流は詳細に語る。
「はい。岱が指揮をして。子どもや老人なんかの、港や鉱山の仕事が厳しい人を中心として、少しずつ掘っていました。仕事は速くはありませんが、丁寧でしたよ」
「なるほどな。そういう仕事ができるなら、まず問題はないだろう」
黄希が納得顔で頷いた。
それを受けて、今度は杏怜が話し役に回る。
「嬢、という方。私もお会いしましたよ。東征国の出身だとか」
それは、碧流も聞いてはいなかった。
「あの夜の話を聞きたがっていたので、知っている限りをお教えしておきました。全部、碧流という方の筋書きだった、って」
ぶふぉ。
危うく、その秀麗なお顔に、坦々スープを吹きかけるところだった。
「……僕の、ですか?」
「でしょう。泰陰に乗り込む前の、蒲星に連絡を頼んだ時点で、彼らが舟で逃げた先の着岸点まで予測していたんですから」
「それは、あくまでも可能性の一つとして、、、」
しかし、杏怜は、なんでもお見通し、という風に指を立てて。
「そこに『貸し』の件まで持ち出して蒲星と教団員まで狩り出したのですから、決して少ない可能性だとは思ってなかったのでしょう? そしたら、案の定ですし」
まぁ。否定することでもないが、ここで胸を張ってしまうと、実際に危険を犯してくれたみんなに心苦しいような気もして。
「……橙琳さんが来ることは完全に予想外でしたよ」
負け惜しみのように言ってみる。それも。
「それこそ、誤差の範疇でしょう。橙琳がいなければ、碧流が代わったのでしょうし。話を通すのが先になるか、後になるかだけですよね」
これまた一笑に付されて。
伏せる碧流の瞳を、珍しく、杏怜が悪戯っぽく覗き込んだ。
「嬢さん、碧流に興味を持ってましたよ」
一瞬怯むも、碧流もすぐに笑いに変えて。
「はは。でも、僕も会ってみたくなりました。一度会えば、すぐに買いかぶりだって気づくでしょう」
「またそんなことを。でも、碧流さんのことは覚えてらっしゃいましたよ」
「僕を?」
これは。また、意外な話。
泰陰では、直接対峙はしなかったと思うが。
訝しむ碧流に、杏怜はにっこり微笑んで。
「はい。お店でのことを。難癖付けてやろうとしたのに、ぐうの音も出ないほどきっちりと謝られた、って」
「ああ、あれですか」
遅れて納得する碧流。
こっちが顔を知っているんだから、向こうが覚えていても不思議はない。
謝りっぷりを覚えられても。と、思わず苦笑が漏れるが。
「あのガキの筋書きなら、納得した、って、言ってましたから」
「……ガキ、て」
冷静に凄む声と、蒼く燃えるような瞳を思い出す。
どんな興味を持たれているのやら。
泰陰には迂闊に近寄らないでおこうと、心に刻む碧流であった。
慌てたり、照れたり、冷や汗をかいたり。
そんな内に、昼休みは終わりを告げる。
表に出せないことも多いが、碧流の貢献は評価されるようにしておく。
と、皇太子から勿体無いお言葉を頂いて。
お店のことは、学院からも教団からも、表立って評価されるようにするから。
と、自治会役員からも有難いお言葉を頂いて。
その日の午後。
碧流は、初めて、講義をサボった。
今回の件について、しっかりと咀嚼する時間が欲しくなったから。
初めての屋台。人混みと喧騒。伝わってきた音、見られなかった行進。
流族の使命、学院生としての責任、教団からの期待。
仲間のこと、四神のこと、泰陰のこと。
とりとめもなく。
そうやって、あの日を思い出すことで。
まだ、祭りを終わらせたくないだけだったんだ、と。
碧流も、いつしか、気づいていた。
澄み渡る秋空の下、街路樹からの紅黄の落ち葉を踏みしめながら。




