朝_自治会室
学院生自治会。
学院生が自分たちで学院内部の問題や課題を解決するための組織であり、その役員は主に他薦により選ばれて、学院生全員の投票により決定される。学院生を代表する学院生、選ばれし学院生たちの集まりこそが、学院生自治会なのだった。
そして、一般には自治会と呼ばれる彼らが、その活動を行うために用意された部屋こそが、この自治会室である。その、開けるどころか、触ったこともない自治会室の扉の前に、碧流は一人、立っていた。
中が見えない、想像もできない部屋に入るのって、こんなにも緊張するものか。
あの、あまりに真剣な朱真の表情に、事情を問い詰めることもできずに了承してしまった自分を呪いつつ、そぉっと扉を叩く。ごくささやかに、ノックが響いた。
「――――はい、どうぞ」
返ってきたのは、いかにも自治会らしい、正しさに溢れているような声だった。というか、意外と聞き覚えもあるような。
「失礼します」
ともかく、返事があってはやむを得ない。おずおずと扉を開く。
開けた先、中にいたのは、やはり見覚えのある一組の男女。
「おや、碧流じゃないか。これは珍しい」
驚きながら出迎えてくれたのは、学内で四神と称えられる有名人の一人である、蒲星だった。確かに、すでに裁判員としてもデビューしていると聞く蒲星ならば、これ以上相応しい人材もいない。
四神と言えば、本来であれば碧流には雲の上の存在とも言える方々のはずだが、とある講義で知己を得て以降、皇太子に友だち宣言をされたり、突発的に発生した模擬戦で争うなど、なかなかに濃ゆい付き合いをしてきていた。
「とりあえず、中へどうぞ」
わざわざ椅子を引いて勧めてくれたのも、同じく四神の一人のゆるふわ美人、杏怜 (キョウレイ) だった。見た目通りに、虫も殺さぬ慈愛溢れた女性だが、これで行政、特に経済面では無双の知識と知恵を持っているのだから油断はできない。
「あ、どうも。すみません」
顔馴染みが相手で、多少は気も楽になったものの、環境起因の緊張は解けない。変わらず恐縮しきりながらも、ひとまずは勧められた席に落ち着く。
「ひょっとして、紅兎 (コウト) の件だったろうか?」
「え、紅兎?」
蒲星に予想外の話を振られて、思わず聞き返す。
それだけで、こちらから説明するまでもなく事情は把握されてしまったのか、杏怜は苦笑混じりの微笑みで。
「朱真に来てもらえるようお願いしていたのだけれど」
「……ああ、朱真に。それなら、たぶんその件です」
そう言えば、朱真があんな顔をするのは、紅兎が噛んでいる時しかない。
褐色紅髮の孔 (ク) 族という南須国の部族出身である紅兎は、この春から学院へと通う学院生だった。南須国の公子である朱真の屋敷の居候でもある。碧流は、そして蒲星や杏怜も、夏に起きたとあるイベントで顔を合わせていた。
紅兎絡みで何らかの問題が起きて、身元引受人である朱真が呼び出されたが、面倒を嫌った朱真が碧流に押しつけた、という図。うむ、なぜ気づかなかったか。
「事情はどこまで?」
やっぱり苦笑混じりに、正面に座った蒲星が問う。
碧流は力なく首を横に振って。
「すみません。一から、お願いしてもいいですか」
そんな碧流の反応に、顔を見合わせた二人が呆れたように頷き合った。
これでは完全に使いっ走りだ。いや、それ以下なんだけれども。
杏怜が斜向かいに座ったのを合図に、蒲星は表情を改めて話し始める。
「怪盗串娘、というのを知っているか?」
怪盗、串娘。
ネーミングは最悪だが、何となく思い出されるイメージはある。
「フードのついたマントに身を包んだ怪盗、と言うか、ただのスリなんだが。春から夏の頃に、屋台通りを騒がせていたようだ」
「ああ、それなら。まぁ、聞いたことはあります。見た、と言うか」
当たりだった。それにしても、そんな通り名で呼ばれていたのか。
曰く。屋台通りを食べ歩くほろ酔い加減の人たちの、手にした串揚げ、饅頭やらを、駆け抜けざまにスリ取って、取り押さえようと飛びかかるおじさま方をすり抜けて、屋根へ登って高笑う。それが怪盗串娘、だそうな。
いつしか怪盗と呼ばれた彼女だったが、そうは言っても被害は日に一つか二つ。屋台通りの常連たちにはその捕物自体が風物詩扱いされてしまうような、なんだか微笑ましいものでもあったのだ。ただそれも、夏頃には鳴りを潜めてしまった。
碧流がつい誤魔化すような口調になってしまったのには理由がある。
その串娘を捕まえたのが、通りすがりの碧流だったからであり、その正体こそが、件の紅兎だったから。串娘が現れなくなったのも、その際に碧流が紅兎の誤解を一つ解いたことで、犯行の理由がなくなったからだった。
しかし、どんな理由があるにせよ、そしてもう二度としないと誓ったにせよ、犯罪者の隠匿に違いはない。その上、よく思い出してみれば、大した理由でもないし、二度としないと誓ってもいない。流族からの使命を考えるまでもなく、裁判官でもある蒲星には、とてもじゃないが知られるわけにはいかない事情だった。
もちろんその辺りは大っぴらにはされていない。幸い、どうやら蒲星も知らないようだ。そこについては、碧流も内心、ひと息つく。
ちなみに、串娘が消えた理由については、屋台通り界隈でも様々な憶測が飛んでいたらしく、『一本くらいくれてやりゃあ良かったんだ』と漏らすおじさまを、碧流も何度か見たことがある。やっぱり寂しいのか。
ともあれ、二度と聞こえるはずのなかった怪盗の名を、ここでまた聞くということは。
「それが昨日、再び現れた」
やっぱりか。
気づかれない程度に、小さく肩を落とす碧流。しかも。
「そして、簡単に捕まった」
……おい、怪盗。
どうせなら、せめて逃げ切れよ。と、理不尽な怒りを覚える。
だが、話は予想外の方向へと流れ出し。
「捕まったのは良いのだが、捕まえた主人が妙な気を回してくれたものでね」
珍しく、蒲星が眉根を寄せた。
捕まえたのは狙われた屋台の主人で、前回やられてから密かに温めて来た罠が効を奏した、ということだった。だとしたら、随分と温め続けていたものだが。
しかし捕まえたとはいえ、そこは町の風物詩、警備兵へ突き出すのも寝覚めが悪い。試しに二、三聞き出してみると、どうやら学院生だということなので、せめて学院へとしょっぴくことに。そこで引き渡されたのが、自治会役員だった。
かくして、怪盗の対処方法が学院生の自治会に任されるという、なんともおかしな状況となったわけだ。
そこで、重々しく、蒲星が本日最大の事実を告げる。
「実はね、何を隠そう、その怪盗串娘の正体が、紅兎だったんだ」
「……はぁ」
ぐちゃぐちゃの頭で、つい緩い反応を返してしまい。
「――――あ。え? ええっ! そ、そうだったんですか!?」
慌てて、知らなかった体を取り繕う碧流。
そんな下手な演技にも気づかず、蒲星は苦々しげに顔をしかめて。
「本来なら、学院としても、学院生の犯罪は見過ごせない。しかし紅兎は南須国出身だ。どうしても国際問題という形になる。こんな、小さなことで――――」
苦渋の表情のままそこまで呟き、思い直したように咳払いを一つ。
「いや、大きい、小さいは関係ないんだが。ともかく、様々な要因から、これを表沙汰にするのは得策ではない、という判断が下された」
「蒲星と私との間でね」
にこやかに注釈を加える杏怜。
それって、めんどくさいから内々に済ませちゃおうぜ、っていうことですよね。
「かと言って、無条件で無罪放免、という訳には当然行かない。そのため、身元引受人も含めて、今後の対応を協議しようと考えていたのだが――――」
そこで、蒲星の眉が開いた。
「さて、どうすればいいだろうね、身元引受代理人?」
あ。丸投げされた。
「え、えっと、どうすればいいかと訊かれましても」
「君は、正当なる身元引受人たる朱真が寄越した、責任ある代理人だよ」
うわぁ、追い詰められてる。
ちらりと横を見るが、杏怜は鉄壁の笑顔のまま。助けてくれる気はないらしい。
とりあえず、記憶を掘り起こして、対処方法を絞り出す。
「普通なら、こういう場合、奉仕活動、とかするんですかね?」
「こんなケースに普通も何もないがね」
苦渋の提案をぶった切られる。言葉を失う碧流。
そこへ差し伸べられる、月使のように柔らかな声。
「奉仕活動と言えば、公共の場所の清掃や、公共施設内での作業補助などでしょうか。後は、公的なイベントへの積極的な参加、っていうのもありますねぇ」
なんだろう。最後の案だけ、口調がすごく強かったような。
「公的なイベントと言えば、もうすぐ、収穫祭、が始まるな」
なんだろう。このどこかに書いてあるかのような台詞は。
「収穫祭の主催は嵩泰教団なんですよ。そういえば蒲星、教団で何か困ったことがあるって、言ってなかった?」
大僧正の息子である蒲星に問いかけながら、視線は碧流へぐいぐいと流してくる杏怜。そうか。そういう筋書きか。
「蒲星。何か困りごとがあるなら、紅兎に、それを手伝わせるというのはどうでしょうか。お祭りの手伝いなら充分に、紅兎の、奉仕活動と言えるかと」
渋々と流れに乗った碧流の言葉を受けて、蒲星は大仰に。
「おお。碧流が手伝ってくれるなら助かる」
「いや、紅兎が……」
負けじとあんなに『紅兎』を強調したのに!
しかし、もはや流れは止まらない。
「実は、出店予定だった屋台が一つ急遽取り止めになってしまってね。場所が場所だけに空きにもしづらくて困っていたんだ。ぜひそこへの出店を頼みたい」
「は?」
いやいやいやいや、屋台って。出店て。
杏怜も、ぽむ、と一つ手を打って。
「あぁ、あの一等地が空いちゃった、って言っていたヤツよね。もしあそこが空いたら、一大事だったものねぇ」
きっちりと掛けられる重圧。
邪魔する虫は顔色一つ変えずに殺す方だった、この女性。
「学院からの祭りへの参加、というのも、常々考えていたことだった。そういう意味では、これはいい機会だったとも言えるな」
完全なるそちら都合で、ひとしきり頷く蒲星。
「それも、碧流なら安心よね。紅兎も含めて、頼もしいお友だちがたくさんいるもの」
杏怜。それはひょっとして夏の意趣返しというやつですか?
「わからないことがあったらなんでも言って欲しい。早めに言ってくれればなんでも対応するよ。私は教団で出店関係の担当をしているからね」
だから、わからないことも何も。
「初めてですものね。わからなくて当然。恥ずかしがらずに、なんでも聞いてしまった方がいいわ。私だってわからないもの」
そもそも恥ずかしくなんてないし、それで共感を得ようったってダメだぞ。
「大丈夫、私が一から指導しよう。誰しも最初は初めてだ。ちっとも恥じることなんかじゃない」
だから、恥じてはいない。いないが、この雰囲気が大嫌いだ。
様々な反論も、愚痴も、恨み言も。代わる代わる繰り出される説得の言葉に潰されて、結局、碧流の口から外に出ることはなく。
外堀をがっちりきっちり埋め尽くされた碧流は、一講目の時間丸々を使って、蒲星から祭りの屋台出店講座を受けることとなったとさ。
めでたくなし、めでたくなし。