早朝_大通
「――――は。」
唐突に、目が醒めた。
何か夢を見ていたような気もするが、まったく思い出せない。
というより、いつの間に寝ていたのかも思い出せない。
枕から頭を上げて、机を見れば、とりあえずのタイムテーブルはできていた。どうやらノルマは達成してから眠ったらしい。なら、充分だ。
そんなこんなで、気づけば、もう祭りの当日だった。
第三回会議は、結局、開かれなかった。
理由は単純、時間がなかったから。
最も余裕がなかったのが、やはり統括担当である碧流で、各担当から報告やら相談やらが上がってくるのに対応していたら、全体で話す時間と必要がなくなっていた、という始末である。
その分というか、そのせいでというか。各担当の仕事はきっちりと仕上がっているはずだ。あとは本日の成果をご覧じろ、というところ。
ただ、成果と言っても、別に売り上げを目的に立ち上げた屋台ではない。学院生としての責任だの、教団からの期待だの、外野からは好き勝手に言われているが、責任者の内心としては、きちんと屋台として成立したものを出せればそれで充分。そういう意味では、もうほとんど満足と言ってもいい心境だった。
そうは言っても、客の足を止めることもできず、山のような売れ残りをひたすら自己消費するだけの打ち上げで終わり、というのは、できれば避けたくもあり。
ぶんぶんぶん、と。
嫌な想像は頭を振って退けて、今日一日が無事終わることを祈る碧流だった。
手早く身支度を整えて、教団の大寺院を目指して、大通りを東へ走る。
夜も明け切らぬ、とまでは言わないが、まだ朝焼けが残るほどの時刻。いつもはまだ寝静まっているはずの泰陽の街も、今日ばかりは別のようだ。
仮装行進用の櫓を立てる者。店頭に祭り用の飾り付けを行う者。早くも屋台の準備を始める者。かと思えば、早々に『本日休業』の札を掲げている店もある。
まだ時間に余裕はあるはずだが、つられて碧流の足も急ぎがちだった。
使用する屋台は大寺院脇の倉庫に保管してあり、今日の早朝に借りられることになっていた。同じ目的なのか、いつもの朝礼者以外にも大寺院を目指す者は多い。
人の流れを縫った先に、目指す倉庫が見えた頃。
集まった人だかりに、頭一つ抜き出た見覚えのある顔が。
「朱真!」
「よう」
少なからず驚きの籠もった声に、軽く手を挙げただけで返す朱真。
当然のような顔をしているが、あれ以降も話す時間はほとんど取れていない。
担当割も、時間割も、何一つ伝えられていないのに、なぜ、ここにいるのか。
正直、昨夜も、いないものとしてスケジュールを組んだくらいだった。
「……早かったんですね」
「朝は慣れているからな。借りておいたぞ」
軽い皮肉は届きもせず。
朱真がぽん、と一つ叩いたのは、大きな車輪のついた屋台だった。
今は荷物の乗らない大八車のような姿をしているが、屋根をつけて、焜炉と網を設置して、飾り板で車輪を隠せば、立派な屋台に早変わりだ。
見ると、そういった資材もすでに屋台の上に固定されているようで。
「では、行くか」
てきぱきと移動を開始する朱真。
なぜ、その手際の良さを、今まで発揮してくれなかったのだろうか。
がらがら、と。朱真が引く屋台の素を碧流が後ろから支えて行く。
碧流たちが割り当てられた場所は、大通りと屋台通りを繋ぐ一本の路地だった。
普段ならただ通り過ぎるだけの道だが、今日は違う。この路地こそが、祭り全体の売り上げを左右する砦である、と言っても過言ではない。
多くの観光客が目当てにするのは、大通りで行われる名物の仮装行進だ。しかし祭りの売り上げのほとんどは、屋台通りに並ぶ屋台によってもたらされる。つまり、仮装行進目当ての観光客を、いかにして屋台通りへと引き込むかが肝要であり、その呼び込み役にして、切り込み隊長こそが、ここに店を構える屋台なのだ。
その責任は重大なのだ、と、わざわざ、後になってから蒲星に聞かされたのだが、忙しかった碧流は話半分にしか聞いていなかった。
ただ、改めてそういう目で見てみると、あながちただの冗談でもない気もしてくる。もちろん路地はここだけではないし、本当だとしても、今さらできることは何もないのだけれども。
碧流が無駄に緊張を新たにして現地へ着くと、今度は青華が待っていた。
「おはようございます。早くから、すみません」
屋台越しに頭を下げる碧流に、青華がいつものように目礼を返す。
青華には、屋台の組み立ての協力を頼んでいた。なにせ屋根を立てるとなると、碧流の身長では頼りない。朱真はあてにならなかったし。
屋台を所定の位置に合わせて停める。と、その脇に、何やら板が置かれているのに気が付いた。
「あれ。それ、なんですか?」
屋台の資材なら、今押してきたはず。
疑問顔の碧流に、なぜか青華はおどおどと。
「あ、いや、これは、だな。勝手に、作ってはみたのだが、もちろんダメならダメで、焚き付けにでもしてくれてばいい、のだが――――」
「……はい。いいから、早く見せてください」
こういう時の青華の対処にもずいぶんと慣れてきた。
びしっと言われて、青華がしぶしぶとその板を掲げて見せる。
「看板、なんだが」
『皇統学院 うまいものや』
濃い目に下地を塗られた板に流々と書かれた文字は、輪郭を深く、中の線はふっくらと丸く盛り上がるように彫り込まれ、文字自体は金色に塗られていた。外枠も同様の金。
「ダメなんて、とんでもない! いいじゃないですか、すごく!」
本来、金色は央香国の皇家にまつわるものにしか使えない色なのだが、我々は皇統学院の学院生として屋台を出している。無許可だが、使う資格は充分だろうし、何より他の屋台にはないインパクトがあった。
重厚感のある看板に、ぼんやりした店名。そのギャップも個人的には好きだ。
うつむいたままの青華は、なおも自分の荷物をごそごそしながら。
「そうか、大丈夫か。なら、ついでに品書きも作ってみたんだ」
そう言って差し出されたのは、腰ほどの高さの自立する立て看板と、接客時に使用するお品書きの板。デザインは看板と揃えられており、商品名と値段の他、簡単なおすすめポイントも書かれている。
「ああ、ありがとうございます! 要りますよね、こういうの」
申請やら手続きやらに追われて、すっかり失念していた。
昨日まで『青華、何してるんだろう?』とか考えていたのだが、まさかこんな気の利かせ方をしてくれていたとは。
「助かりましたよ。それにしても、これ全部、ほんとに青華が作ったんですか?」
デザインにしろ、仕上げにしろ、ぱっと見、素人仕事には見えない。
褒め倒されて、青華はますます縮こまっていきつつ。
「あ、ああ。その、朱真に言われて、だが」
「え、朱真に?」
碧流の視線が、ぶん、と朱真へ向けられる。
一人、先に屋台から資材を下ろしていた朱真は、やはり平然と。
「看板がなければ、学院生がやってることも伝わらんだろう。青華の字が上手いのは何かの講義で見知っていたが、彫り物までしてくるとは思わなかったな」
まったく、ごもっともなことを仰せになった。
「あ、すまない。手伝おう」
看板やらお品書きやらを置いて、青華が屋台に駆け寄る。
もちろん碧流もそれに続いた、のだが。
なんだろう。
普段ぐだぐだのくせに、いざやる段になると、やるべきことをきっちりこなせる人間が、こんなにもムカつくことがあるのだ、と。碧流は初めて知った。




