朝_大通
空は広く、晴れ渡っていた。
夏の青は薄れていたが、天は高く、どこまでも澄み切っているように見える。
大通りの街路樹もすっかり紅や黄に染まり、嵩山 (スウザン) から産出される石材で造られた泰陽 (タイヨウ) の赤い街並みによく似合った。季節の移ろいにつれ、目に映る果物や野菜も、秋のものへと変わっている。
この街で暮らす、初めての季節。ずいぶんと住み慣れた、とは感じつつも、たまにこうして風景に目をやると、また少し新鮮な気持ちが帰ってきた。
碧流 (ヘキル) は大きく伸びをする。
歩きながらこういうことができるくらいには、自分の街と思えるようになってきていた。街を見渡せば、気に入った店もいくつか目につくし、着慣れなかった泰皇 (タイコウ) 国の装束もようやく似合ってきた気がする。
学院入学当初の緊張感こそ薄れてしまったが、それでも日々惰性で過ごすには程遠く。学べば学ぶほど、足りない自分に気がついて、焦ることもしばしばだった。
「よう」
通学途中に声を掛けられるような友にも巡り合えて。
「おはようございます。朱真 (シュシン)」
声で判断して挨拶を返すと、代わりに黄色い果実が飛んできた。
慌てて、顔の前で受けとめる。握れる程度には硬い果物でよかった。
「仕事の終わりにもらってな。二つは食えん」
朱真は手にした同じ果実を、服の裾で軽く磨いてから、かぶりつく。
碧流も同じようにしてかじりついた。少し硬い皮を破ると、甘い果汁が溢れ出す。これも央香 (オウコウ) 国の秋の味覚だ。
「今日も祭りの準備ですか。精が出ますね」
「鍛錬がつまらんからな。身体を動かさんとなまって困る」
バキバキと鳴らしながら、首を回し、腕を回す。
人並み優れて長い身体も手足も、そういう意味では厄介なのだろうか。だとすれば、一際小柄な碧流には恐らく一生わからない類の悩みだ。
学院での鍛錬は央軍風が中心なので、央軍に関わることのない朱真や碧流には興味がわかない。なので最近の朱真は、数日後に迫った祭りの準備の手伝いを毎朝行なっていた。他の街からの物資を運んだり、櫓の部品を組み立てたり。ほとんどは力仕事だから、朱真ならば良い戦力として、さぞ歓迎されていることだろう。
「規律だの礼法だのと、面倒なことを言われる講義よりはよっぽどマシだ」
というのが、朱真の主張。その上、こうしたおまけがつく日もあった。
泰陽で祭りといえば秋の収穫祭を指す。泰陽の民衆が一年で最も楽しみにするイベントでもある。
皇太子である黄希 (コウキ) や嵩泰 (スウタイ) 教の大僧正の息子である蒲星 (ホセイ) に言わせれば、年の代わり目に行う歳祀 (サイシ) や嵩泰半島の統一皇である泰皇を祀る泰祭 (タイサイ) の方が重要な祭りなのだろうが、それらは民衆にはあまり関係がない。それよりも、民衆も参加できる賑やかな仮装行進のある収穫祭の方が遥かに人気なのだそうだ。
街のあちこちでは、もう着々とその準備が進められている。仮装行進の参加者を煽る天人役が登る高櫓も、すでに大通りに沿って幾つか組み上げられていた。
「収穫祭では、仮装行進の他に何があるんですか?」
碧流は世俗のことに疎い。まだ学外に知り合いはほとんどなく、学内でも世間話をするような友人は数少ないため、学問以外の知識が増えていかないのだ。その辺りは、最近の碧流の悩みタネであり、課題の一つでもあった。
その数少ない世間話の相手であり、泰陽暮らしの一年先輩である朱真は、早くも食べ終わった果実の芯を手近なゴミ箱へと放る。
「何というほどのこともないな。寺が飯やら酒やらを振る舞うが、大して美味くはない。それなら屋台通りを巡った方がいいだろうな。普段とは違うものも並ぶし、美味くて安い」
無料の振る舞いに興味を持たないあたりは生活に余裕のある公子らしいが、最後にしっかり『安い』をアピールポイントとする庶民派感覚も持ち合わせているのが朱真だ。その辺りが碧流にはおもしろい。
屋台通りとは、碧流にも馴染みの、大通りから一本南へずれた通りの通称だ。祭りでなくとも、夕方になれば毎日屋台が出ている。馬車が通らない分、道の中ほどまでもテーブルと椅子を並べて、仕事帰りの泰陽の民の喉と腹を満たしている。
碧流も学院帰りによく通るが、貧しい流 (ル) 族に無駄遣いできるような金はない。そのため、いつも薫りと雰囲気だけを楽しんで通り過ぎるのだが。それでも、普段と違う、と言われば気になるし、美味くて安いとなればなおのことだ。
朱真の祭り屋台アピールはなおも詳細に続く。
「まず屋台の数がかなり増えるな。いつもの屋台も値段や量を祭り仕様にしてくるし、この日にしか出ない屋台もある。普段は手の出ないような飴細工や、口に入らないような菓子だとかだな。収穫祭だけに、採れたての果物や野菜もあったか」
珍しく、朱真の口数が多い。それだけでも祭りの興奮が伝わってくるようだ。
普段はきつく締めている財布の紐も、その日くらいは緩めてもいいのだろうか。
こちらまで楽しくなり、早くも祭り用のお小遣いの額を計算し始めたところで。
「屋台通りと言えば、昨日は行ったか?」
唐突に話がずれて、碧流の思考が上滑る。
昨日。昨日はいつも通りに講義を受けて、いつもと変わらず下校したから。
「通るだけは通りましたけど。何も食べてはいませんよ?」
いつものように、空いた小腹を抱えながら眺めるだけで通り過ぎた。
見れば、朱真はいつしか苦虫を噛み潰したような顔になっており。
「その様子では、今回は碧流は噛んでないようだな」
と独りごちた。
滅多に見せない深刻な表情に、つられて碧流の意識も引き締まる。
「なんですか? またトラブルでも?」
不安を抱きつつも、訊いてみる。自分に力になれることがあるならば。
しかし、続く朱真の言葉は意外なものだった。
「碧流。すまないが、学院に着いたら、自治会室へ顔を出してくれないか?」