第二話 消えない傷
「七星!」
「はひっ?!」
廊下を歩いていると、後ろから聖五に声をかけられた。私は日記を服の中に隠し、慌てて振り向く。そこには、安堵の表情を浮かべる聖五がいた。
「探しましたよ、七星」
「探した? ど、どうして?」
「俺が貴方の護衛だからです。先ほど一人でどこかに行った後、四都様も俺も慌てて七星を探したんですよ?」
咎めるような口調ではなかった。聖五は本当に安心しきっていて、私は聖五と四都に心配をかけたんだと思い知る。
「……ごめん。ちょっと、一人になりたくて」
聖五にはこの気持ち、わからないかなと一瞬思った。けれど聖五は小さく頷いて
「突然でしたからね。……そう簡単に、心の整理はつけられないはずだ」
半ば自分に言い聞かせるように呟いた。
「戻りましょう」
「……うん」
私は一歩歩き出して、聖五の服の袖を掴む。悲しくないはずなのに、生みのお母様のことが気になって気になって仕方がない。そして田舎に残してきた育ての親と、見つけてしまった日記への好奇心。
驚くほどにぐちゃぐちゃとした感情の波が、私を不安定にさせていた。
「聖五」
「なんですか?」
「私のこと、覚えてた?」
せめてこれだけは知りたかった。四都のことも八灼のことも覚えていない私は、本当にここで暮らしていたのかなって思って。せめて存在を肯定されたかった。
「覚えています」
聖五は、何故か表情を曇らせた。
「……どうして、そんな顔をするの?」
聖五は唇を噛んで私の前を歩く。その背中は震えているように見えた。
「七星は覚えていないようですが、本当は俺は、七星に合わせる顔がないんです」
「……どうして?」
聖五は振り返って私を見つめた。弱々しい微笑みをたたえながら、聖五は唇をゆっくりと動かした。
「ある日、俺は風邪を引いて寝込んでしまったんです」
私は頷く。覚えてはいないけれど、聖五の瞳がそれを物語っていた。
「一番仲の良かった七星は俺の身を案じて、たった一人で安曇のとある町にしか咲かない薬草を取りに行きました」
ピリ、と自分の中の記憶が疼いた。自分の頭は、育った故郷にしか咲かない薬草を私に見せる。
「まさか」
聖五は、そのまさかですとでも言うように俯いた。
「――七星はその日、馬に跳ねられて死にました」
心臓が跳ねる。
「俺はそれを聞いて、何度も何度も死のうと……そう思っては死にきれなかった」
「……駄目、駄目だよ…………死んだら駄目」
気づけば私は、そう口走って涙を流していた。聖五が悔やんでいる姿は私の記憶を刺し続ける。
「俺はただの風邪だった。なのに七星、貴方は無茶をして帰って来なかった」
なんとなく、聖五の今までの発言の根底が見えた気がした。
「貴方が偽物だとは思わない。けれど、俺の記憶の中にいる七星だとも思わない。それでも俺は、七星にもう二度と俺の前から姿を消さないと……約束をしてほしい」
こくん、と私は頷く。
「……ごめんね、覚えてなくて。約束するよ」
育った故郷で死んだ皇女のその裏に隠された真実を知って、私は初めて不自由な足のことを好きになれた気がした。
「ありがとう」
その言葉を境に、聖五がはっと表情を固まらせた。
「聖五?」
「すみません、つい……!」
そう言われて気づく。聖五が途中から敬語を忘れていたということに。つい、というのは幼少期のことを思い出していたから出た台詞なのだろうか。
そう思うと、嬉しくもあり残念でもあった。
「敬語は使わないでよ。私の方が年下だし」
〝家族〟という単語は、何故か出てこなかった。忘れていたわけじゃないけれど、口が言うことを許さなかった。
「そうだな……」
「うん」
「……一つだけ」
「何?」
その時、泣きそうな瞳が私を捉えて
「……俺のこと、許してくれるだろうか」
切実にそう問うた。
「許すとか許さないとか止めてよ。私、聖五のこと責めてないよ?」
私は小さく微笑む。聖五は安堵はしなかったものの、肩の荷が下りたような表情を見せてくれた。
「部屋に戻ろう?」
足を動かす。痛みなのかわからない感覚が足にはあって、それは違和感のようだったが最早それが普通となっていた。
「そうだな」
隠した日記が服の中にあることをさりげなく確認し、私は聖五と共に歩く。
穏やかな時間だったと思う。幼い頃の私たちもそうだったのだろうか、と不意に思って。あまり過去のことは考えないようにしようと私は決めた。
*
自室に戻ると、四都が私の茵に座って頬を膨らませていた。その奥では八灼が興味深げに窓の外を見つめている。
「四都? 八灼?」
この際、勝手に部屋に入られたことは無視だ。
「遅いんだけど? いつまで僕を待たせる気?」
「ご、ごめんなさい」
「これは四都様が勝手に怒っているだけであって、七星は謝らなくても……」
「ちょっと。何勝手に分析してるの」
茵から下りた四都は聖五の胸ぐらに掴みかかる。聖五は聖五で四都のことを挑発させるような表情をし、何度目かの喧嘩を始めた。
八灼に視線を向けると、八灼はその瞳に私を映して眉を下げる。
「八灼?」
八灼と私は互いに距離を縮める。あと二メートルというところで八灼の方が立ち止まり、私もそうした。
「さっきは、その、ごめんなさい。満彦が無神経なことを……」
おずおずと、八灼は口元を隠して謝罪する。
「い、いいんですそんなことは……!」
「そんなことじゃないわ!」
口元を隠すのを止め、八灼は叫ぶように訴えた。
そのおかげで四都と聖五の喧嘩が止まり、全員が八灼に注目する。
「親は…………。親は、身分が違っても親なのよ」
八灼のお母様は、多分竜族の半獣人だ。亜人である竜族は国によっては王族として崇められているらしいけれど、この国ではそうではない。それでも私は、お母様の身分を気にしてあんな態度をとっていたわけではなかった。
「いいんですよ」
今度はハッキリとそう答えた。
「私には育ての親がいます。私にとっては、生みの親よりも育ての親の方が大切なんです」
八灼は口をぽかんと開けて、そして頷く。
「……そこまで言うならわかったわ。でも、七星ちゃん。これだけは言わせてくれる?」
私は、少しだけ鋭くなった八灼の竜族の瞳にたじろいだ。八灼は息を吸い込んで、自身の緊張を部屋中に充満させる。
「私には敬語を使わないでほしいの。だって変でしょ? 私たち半年しか離れていない同い年のキョウダイなのに」
前のめりになって八灼が言った。
「だから、聖五にいさまや四都にいさまにしているように接してほしいの!」
目に見えてわかるほど八灼の顔は真っ赤になって、それだけで八灼の気持ちが真摯に伝わる。
「……だ、駄目かしら?」
八灼の鋭かった瞳が不安げに揺らいだ。
「だ、駄目なんかじゃない……! 全然!」
そうではなくて、さっき私が聖五に言った台詞とほとんど同じだったことに驚いただけだった。
「ほ、本当に?!」
ぱぁ、と八灼の表情が急激に華やぐ。
「良かったじゃん、八灼」
四都は目を細めて笑っていた。それは妹を見る目そのもので、私には一度も見せたことのない表情だった。それが不思議だった。
「はい、四都にいさま!」
八灼は私と違って四都のことを〝四都にいさま〟と呼んでいる。それも、私にとってはなんだか変に映っていた。
どうして? そう思っても答えを知っているのは、あの日私に名前で呼べと言った四都のみだった。
「これからよろしくね、七星ちゃん」
「こちらこそよろしくね」
私たちは互いの顔を見て笑う。四都は私たちが会うのは初めてかもしれないと言っていたけれど、流れる血のせいか、まったくそんな気はしなかった。
聖五は自分が風邪を引いた時に私が薬草を取りに行ったと言っていて、私が死んだことに対して消えない傷を負ってしまった。刹那、私は強烈な違和感を覚える。
どうして私は死んだことになっていたのだろう、と。