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幻の皇女は嫁入り前  作者: 朝日菜
第三章 正当なる皇女
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第二話 思い出の中

「失礼します、一覇いちは兄様」


 控えめな声で、二輝にき紫雷殿しらいでんに入ってきた。その後ろを静かに望三のぞみが歩いている。


「一覇兄様、望三様に何用で?」


「望三には、今日から俺についてもらうことにした」


 言いながら俺は、外交の書類に視線を落とした。そのせいで二輝と望三の表情は見えないが、息を呑む音は聞こえる。


「望三様が一覇兄様に? 何故急に……」


「俺が一番の適任だろう? 二輝は部屋に籠ることが多く、和二かずつぐ四都しとには護衛できるほどの武力がなく、三雲みくも五操いくは戦場に出ずっぱりだ」


 聖五せいごは亜人ではないが、幼い頃から武術をその身に叩き込まれている。この中で常時戦える男は、どう考えても俺と聖五だけだった。


「異論があるのか?」


 視線を上げると、ぐっと二輝が何かに耐えるような――そんな表情をした。


「望三様は、どうお思いですか?」


 ずっと黙っていた望三は、少し驚いた表情で二輝を見上げる。二輝はそんな望三の表情を見もしなかった。


「私は……」


 そして、初めて俺を見た。

 望三はその透き通るような黒目をさらに見開かせる。柔らかそうな頬が薄桃色に変化していった。


「……一覇、様?」


 俺を呼んだその声は、随分と大人びていた。あどけなさを残した望三の声は、もう思い出の中でしか聞けない。


「あぁ」


 そう思いながら俺は答えた。


「いち……」


「望三様は、どうお思いですか?」


 先ほどよりも強い口調で、二輝の声が望三を遮る。望三は自分に背を向けたままの二輝をもう一度見、そして俺を真剣な眼差しで見つめ直した。


「一覇様のご迷惑でないのなら」


 凛とした声だった。

 背筋を伸ばして堂々と言葉にする望三は、もう昔の泣き虫ではない。今はもう、しっかりと自分の意思を持てる女性だった。


「望三はこう言っているが?」


 俺は望三ではなく、二輝に向かって言った。いつの間にか顔を伏せていた二輝は、短く「そうですね」と答える。


「二輝様? 先程からどうなされたのですか? お体の具合でも……」


「平気です、望三様」


 顔を上げた二輝は望三を見て、普段なら見ることのない笑みを見せる。

 俺にはそれが奇妙なもののように見えたが、結局はどうでも良いことだった。が、望三は俺と同じようには思わなかったらしく安堵した。……本当に、〝黒〟の一族はお人好しばかりだな。俺はそんな〝黒〟の血筋が羨ましかった。


「――覇様。一覇様!」


「……なんだ、望三」


 どうやら俺は、少しの間だけ呆けていたらしい。


「……いえ。一覇様がここではないどこかを見ているようで……」


 そして望三は口を閉じた。……だからなんだと言うんだ、望三は。


「一覇兄様が呆けているのはいつものことです。あまり心配なさらないでください」


 二輝も同じことを思ったのか、俺の代わりに説明する。すると、何故か望三は自分を恥じた。


「そっ、そうなのですか! 申し訳ありません……」


 何故恥じる。俺は、獅子王ししおう望三という人間がわからなかった。だが、俺と望三は違う人間だ。性別も容姿も、思想も育ちも違う。だから――


「フッ」


 一瞬だけ、気づけば声に出して笑っていた。


 ――だから、望三のことをもっと知りたい。


 そう思うようになったのはいつ以来だろうか。いや、わからない。


「ハハハッ」


 面白い。見ると、望三と目が合った。望三は目を丸く見開きながらも、次の瞬間には頬を薄桃色に染めて笑っている。

 俺は、四都と七星が望三を見つけた時に言った台詞を思い出す。


 ――まるで、人の感情を持たない死人のようだった。


 義弟妹からそのように言われた望三と、今の望三。

 遥か遠い日のように思える幼き望三と、今の望三。

 第一皇子なってしまった俺と、元第一皇女の望三。


「面白い」


 今度は言葉にした。二輝だけが、今の俺を訝しげに見つめていた。望三だけが、今の俺と一緒に笑っていた。一通り笑い終わった後、普段よりも不機嫌そうな二輝が思い出したように口を開く。


「七星のことですが、護衛は聖五と四都の二人に任せることにしました」


 俺は無言で頷いた。そのことに関してどうこう言うつもりはない。

 二輝は悟ったのか、部屋から出ていった。残された俺は自然と望三と目を合わせる。


「あの、一覇様」


「なんだ」


「……一覇様は、幼き日の私を覚えているのですか?」


 それは、まったく予想していなかった質問だった。

 脳裏には今よりも幼い望三がいて、泣いている。疑問なのは、俺の記憶の中にいる望三がいつも泣いていることだった。


「覚えている」


 望三は一瞬だけ嬉しそうな表情をした。というのも、何故か次の瞬間には表情を曇らせたからだった。


「……その頃の私は、一覇様を……その、困らせていたのですか?」


 言いにくそうに、望三はそう尋ねた。黒色の瞳の中に俺がいて、無表情のまま望三のことを見つめている。


「知らん」


 それは嘘だった。そんなことでさえ、俺は何故か覚えている。


「そのような記憶はない、と?」


 最早それは純粋な疑問ではなかった。裏に何か大切な言葉を秘めて、望三は俺の答えを待っている。それに応えるべきかどうか、俺は珍しく迷っていた。


「お前の記憶はどうなんだ」


 俺の出した答えは、そのどちらでもなかった。望三はそんな俺の言葉に黒色の瞳を潤ませる。


「……そういうの、狡いのです」


 俺からしたら、望三のそれも同じものだと心から思う。それでもそんな言葉は口にせず、俺は無言で口角を上げた。


「俺はそういう人間だ」


 それ以上、望三が俺に何かを聞くことは一切なかった。

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