第一話 二人一緒
望三と七星。
歳が八つも離れている、似たような人生を辿った安曇の元第一皇女と元第五皇女が昨日と一昨日姿を現した。
これは、なんの偶然だ。むしろ必然とさえ思えた。
顔を伏せて黙考する。が、俺が考えたところで今回の件の全貌がわかるはずもない。
「二輝、望三と七星は」
「自室に。……一覇兄様、二人をどうなさるおつもりですか?」
相変わらず暗い表情の二輝は、何故か俺に判断を求めている。その瞳の奥に何か譲れないものを宿しながら、二輝は牙で唇を噛み締めた。
「別にどうもしない。今はな」
「今は?」
二輝が目を細める。俺は頷き、目の前に正座する二輝の血色の瞳を見た。
「『宮中襲撃事件』以降行方不明だったはずの望三。馬に蹴られて死んだはずの七星。……事故と片づけるには不審な点も多いだろう」
「では、一覇兄様は事件だと?」
「知らん」
二輝は無言で頭を抱えた。事故であろうと事件であろうと、俺には関係のない話だ。過ぎた話を蒸し返す気にはならない。
「二輝。望三と七星には、俺たちと同じ生活をさせておけ。四都には星那とかいう名前を呼ばせることも禁止させろ」
「それは何故ですか、一覇兄様。事件だった場合、二人が生きていると宮中の人間に知られれば……」
「知られれば、二人は殺されるのか?」
二輝の無言は、肯定だった。
ならばそうだな。こうすればいい。
「あの二人の側には必ず、俺たちキョウダイの誰かがついていればいいだけの話だろう」
二輝は元から細い目を見開いて、「そうですね」と同意した。
「二人の話はこれで終わりだ」
そうして二輝は、踵を返して紫雷殿から出ていった。俺はそれを目で追って、視線を逸らす。
昨日四都が俺に会わせてきた七星も、わざわざ見に行った部屋で眠っていた望三も、当然だが最後に見た日よりも大きくなっていた。
特に、望三。実四を見て、望三が成長したらこうなるのかと何度も思っていた。が、実際は実四よりも二つ年上の姉である望三だ。
実四よりも大人びていて、むしろ実四が成長したら望三になるのかと思った。
「……望三」
昔は「望三様」と呼んで敬語まで使っていたが、今は「様」も敬語もなく接することができる立場にいる。
十年前、『宮中襲撃事件』があったあの日。俺たちキョウダイはそれぞれの従者に誘導されて地下へと避難していたが、望三らの実父であり先代の皇帝だった幸民様が犠牲になった。そして、彼の長男の愛一様も炎の渦に飲み込まれて死んでしまった。
次の皇帝には俺たちの実父であり幸民様の異母弟である景平が選ばれ、第一皇子は繰り下げとなり俺になった。
立場が逆転した俺たち従兄妹だったが、元より純粋な東洋人との子供である幸民様と、どこかの国の戦闘民族との間にできた景平との支持率は大幅に違う。
幸民様の子供は、全員母が異なるとはいえ東洋人であることに変わりはない。が、異国の血が混じった景平の子供は、亜人か魔女の子供しかいないのも痛手だった。
巷で〝亜人キョウダイ〟と呼ばれていても仕方がないほど、俺たちの血は汚れている。だが、平民の間の評判はどうであれ宮中で一番の力を持っているのは景平であり俺たちバケモノキョウダイだ。
和二にも、実四にも、聖五にも、長い間〝兄様〟として頭を下げられている。
それがいいことなのかどうなのか、俺はなんとなくわかっていた。
*
南庭で朝の鍛練をしていた俺は、従兄にあたる二輝に呼ばれて木刀を振る手を止めた。二輝は真顔で、高い位置から俺のことを見下ろしている。
「……なんですか」
二輝が俺を呼ぶことは、とてつもなく珍しいことだった。
「聖五は望三様のことを覚えていますか?」
望三。懐かしい響きをしたその名前は、俺のお姉様の名前だった。
「覚えています。……当然でしょう」
彼女だって、俺の大事なお姉様なのだから。
「なら七星は」
「……七星?」
名前からして親族であるということはわかる。思い出そうとして、俺はすぐにそうすることができた。
「……覚えてますよ」
二輝は短く、「そうですか」と答えた。聞いておいてその反応をするのかと、不満に思っても口には出さなかった。
秋風が吹いた。少し肌寒い風はしばらくしておさまって
「聖五。今日から貴方が七星の護衛をしてください」
そうして新たな風を呼んだ。
「護衛? …………七星のですか?」
「えぇ、そうですよ」
二輝は表情を変えない。俺は開いた口が塞がらなかった。この人は死んだ人間をどう護衛しろと言うんだ、と。
「それと、望三様は――」
そのまま発せられた二輝の言葉は、信じられないものだった。
「お姉様が生きている……? 二輝様、一体何をおっしゃるのですか!」
語尾が急に荒くなった。この人は俺を混乱させてどうしたいのだろう。とにかく俺は、昔から吸血鬼である二輝のことが信じられなくて反発した。
「会いに行きますか。そして、その目で七星を……望三様を見ますか?」
だが、それが嘘だと断言できなかった。
幼い頃共に過ごしていたあの七星と、ずっと愛してくれたお姉様に会える? ここは、『宮中襲撃事件』の続きなのか?
そう疑って、疑って、疑っていた。けれどもし、もしそれが本当なら――俺は『宮中襲撃事件』にだって希望はあるのだと心から思えた。
*
二輝に連れてこられた部屋は、今は誰も使ってないはずの空き部屋だった。俺は不審な目で目の前に立つ二輝を見上げる。
「望三様、入りますよ」
『はい、どうぞ』
刹那、どくんと心の臓が跳ねた。顔は見えなくても、この声は忘れもしない大切な人の声で。徐々に開けられる扉の向こうにいた人は、俺のお姉様その人であった。
「聖五……聖五なのですね」
お姉様は、大きく成長した俺を見ても俺が聖五だとわかってくれた。二輝は、嘘なんか吐いていなかった。ずっと真実を言っていたんだ。
実四お姉様が俺の希望なのだとすると、
望三お姉様は俺の奇跡なのだと思った。
視界が滲む。俺は泣いていた。
「……お姉様」
泣いてはいけない。せっかくの再会なのに、情けない自分の泣き顔をお姉様に見られたくなんかなかった。
自力で涙を引っ込める。お姉様は気づいていたのだろう、だけど何も言わずに佇んでいた。
「聖五、こちらに来てください。貴方のことを、もっと私に見せてほしいのです」
迷わなかった。
俺はあっという間にお姉様の傍まで行き、お姉様の顔を穴が開くまで見つめようとする。お姉様は、そんな俺の想いなんて知らずに俺のことを抱き締めていた。
「聖五……! ずっと、会いたかったのです」
「……俺もです、お姉様」
お姉様の懐かしい匂いがする。
お姉様の匂いは俺のことを落ち着かせていた。
いつまでそうしていたんだろう。
俺たち以外の音なんて聞こえなかったし、聞くつもりもなかった。お姉様は俺を離さなくて、俺はそれが嬉しかった。
「望三様、そろそろ」
「……あ、はい」
温かさが遠退く。
二輝が恨めしい。
「聖五」
「なんですか」
「貴方の〝相棒〟が待ってますよ」
二輝を睨もうとして、俺が見たのは。初めて――いや、久しぶりに見た美しい白髪だった。白髪をぴょこんと頭上で一つに結んで、つり目がちなその紅い瞳が俺のことを見つめている。
――カッ
彼女はわざとらしく靴の踵を鳴らして歩いた。
「お久しぶりです」
七星は瞳と同じ紅色の唇をふんわりと動かした。その微笑みに俺は目を惹きつけられて、何も言えなくなる。
「聖五、彼女が七星です。貴方は今日から彼女と共に行動してもらいます」
「行動を共に? 護衛だけではなかったのですか、二輝様」
「七星の命を狙う者から七星を守る――ただそれだけのことです」
二輝は自分の扇を開いて圧をかけた。七星は表情を少し強ばらせて、怯えたような――そんな表情を俺に見せる。
「聖五、私からもお願いします。七星を守ってほしいのです」
振り向くと、お姉様が深々と頭を下げていた。
「お姉様、そんな、止めてください」
お姉様を止めると、お姉様もまた表情を強ばらせていた。
「俺だって男です。そんなの、頼まれなくてもやりますよ」
だから俺は、この部屋にいる全員に聞こえるように声を張った。七星を守ることができなくて、この先一体誰を守り何ができると言うのだろう。
七星を見ると、七星はそっぽを向いていた。二輝はパチンと扇を畳み、無言で頷く。
「ふふ。聖五は頼もしく成長したのですね」
お姉様だけが嬉しそうに笑っていた。その姿は誰よりも綺麗だった。
「行きましょう、七星」
俺はお姉様と二輝を残して、七星と部屋を出る。が、七星はひょこひょこと歩いていて俺との間に距離を生じさせていた。
「もしかして、足が悪いんですか」
ぴくんと、七星の結われた髪が動く。
「じ、実は……」
「そういうのは先に言ってください。肩を貸しますから」
「えっ?! いやいや、そんなの悪いです!」
七星は、ぶんぶんと手を大袈裟に振った。
意外と謙虚な姿勢に驚き、〝亜人キョウダイ〟への偏見を抱いていたことに気づく。彼らは全員、強引で我が強いバケモノだと思っていたのに。
「俺はだいじ……」
「星那ー!」
バタバタと音を立てて走ってきたのは、俺の従兄の四都だった。四都も強引で我が強いが、〝亜人キョウダイ〟の中では一番の出来損ないだ。
「四都……!」
七星は大きな目を見開いて、腹違いの兄である四都のことを呼び捨てで呼んだ。
「も〜、朝からどこに行ってたの? 探したじゃ……って、聖五。いたんだ?」
四都は俺を見て、ほんの少し驚いた表情を見せる。
「なんでほし……七星が聖五と一緒にいるの?」
自分のモノを盗られた時と同じような表情をする四都は、誰が見ても怒っていた。七星もそれに気づいたようだが、理由まではわからなかったようだ。
「二輝様から聞いていませんか? 俺が七星の護衛をすることになった件を」
静かに、四都の元々大きな目がさらに見開かれる。そして不機嫌そうに顔を顰めた。
「本当に二輝兄様がそう言ったの?」
普段よりも低い声で俺のことを睨む四都に、俺は軽く「そうですよ」とだけ答える。
四都はそれでも納得がいかなかったようで、俺たちが出てきたばかりの部屋の襖を開けた。そこには、今の今まで談笑していたお姉様と二輝がいた。
「四都、入る時は一言……」
「一覇兄様が望三を自分の元に連れて来いだってさぁ」
二輝の説教をあからさまに無視して、四都は一覇の伝言を伝える。その内容に、二輝は先ほどの四都同様に驚いていた。
……本当に、どうして亜人はそうなのだろう。
周りをちゃんと見ているようで、いつも自分勝手な行動ばかり起こしている。話の内容に唯一ついていけてない七星は、ぎゅう、と俺の服の袖を掴んだ。
「……わかりました。望三様、行きましょう」
「は、はい」
お姉様は立ち上がり、二輝の後についていく。そんな二輝が腹違いの弟である四都の傍らを通る際
「それと、あれはどういうことなのか説明してくれる?」
そう問われて、足を止めた。
四都が指差す方向には俺と七星がいて、二輝は赤目に俺たちを映す。
「七星を守る為の護衛だそうですよ。実際七星は一度殺されかけてますからね」
「なら、僕でもいいじゃん?」
瞬間、二輝は四都を一瞥した。
「貴方は武人ではないでしょう?」
理由はそれだけで充分。二輝は言葉の裏にその言葉を隠して言った。なら俺は、武人だから今こうしてここにいるのか。
四都にとっても、そして俺にとっても理解しがたい理由だった。
「……意味わかんない」
案の定、四都はなおも反論しようとする。だが、それは四都にしては珍しいほうだった。あの四都が、二輝にこれほどまでに逆らおうとした様を俺は一度も見たことがない。
「貴方には他にもやるべきことがあるはずですよ」
二輝も一歩も譲らない。
「あの」
そんな時に口を開いたのがお姉様だった。
「二人一緒というのは駄目なのですか?」
こてんと首を傾げて、お姉様はそう提案する。七星以外の全員が唖然とした表情で姉君のことを見つめていた。
お姉様は恥ずかしそうに身を縮めて、頬を薄桃色に染めながら上目使いで二輝を見つめる。そんなお姉様に二輝が負けた。
「…………わかりました。四都、聖五。七星を頼みましたよ」
二輝は足早にその場から去ろうとする。が、お姉様がついてきていないのを感じて振り返った。
「行きますよ、望三様」
「あ、はい……!」
お姉様は俺を見て微笑み、そして二輝について行った。残された俺と七星、そして四都はその後ろ姿を無言で見送る。
「よくわかんないけど、要するに君の存在がバレたってこと?」
「うん、そうみたい?」
「じゃ、君を星那って呼ぶ必要は無くなったんだね」
ぽん、と四都が七星の頭を撫でる。そして何故か俺のことを睨みつけた。