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幻の皇女は嫁入り前  作者: 朝日菜
第二章 忘却の黒皇女
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第一話 元第一皇女

 ずっと、四都しととの会話が頭から離れなかった。


 獅子王七星ししおうななせ。私と四都の腹違いの妹は、遠い昔に亡くなった。皇族で亡くなったのは七星だけではなく、愛一あいち様と望三のぞみ様も同様に。

 そう考えると、二人のことが頭から離れなくなった。


 先代の皇帝の娘であった私たちの従妹の望三様は、腹違いの兄である愛一様と違って遺体が未だに見つかっていない。が、十年も前に死んだとされてしまったのだ。

 思えば、七星も望三様同様に不可解な死に方だった。愛一様と違って、何故か二人だけ遺体が見つかっていないのは何故なのか。


 一心不乱に書物へと手を伸ばす。書物を漁って何になるのか。自分でもよくわからなかったが、体が勝手に動いていた。

 気づけば月が夜空に浮かび、月明かりが窓から漏れ始める。仕方なく出しっぱなしにしていた書物を片づけると、遠くの方から足音がし始めた。その足音は次第に大きくなり、この部屋へと近づいてくる。


二輝にき兄様ー!」


 まさかとは思ったが、案の定それは四都のものだった。けれど、先ほどの足音は二人分だったような――。


「ほら。大丈夫だから来なよ」


 振り返ると、いつになく嬉しそうな四都と黒い布を深く被った誰かがいた。一瞬彼の従者の都子みやこかと思って、その黒い布から覗く白髪に思考が停止する。


「四都、その者は?」


 四都は自分より背の低い誰かを見下ろした。誰かはゆっくりとその黒い布を取り――その顔を、私に見せた。

 幼さが残るその顔は、真剣で。赤い瞳に、誰にも似ていない独特の白髪を持っていて。


「四都」


「七星だよ」


「……七星?」


 七星と呼ばれた少女は、静かに私のことを見上げていた。少女は、私の記憶の中にいる七星の面影を残して顎を引く。


「七星、この人が二輝兄様。第二皇子で、吸血鬼の四半なんだ。あと、僕たちは七星を入れると九人キョウダイで、五繰いく五鈴いすずの双子以外は全員腹違いだってことも覚えておいて」


「うん、わかった。あ、えっと、はじめましてお兄様」


 はにかんだ七星は、透明感のある月明かりに照らされた。


「はじめまして、じゃないでしょ?」


 それは、呆れた顔の四都によって遮られて。七星は「あっ」と声を出して手で口を塞いだ。


「……確かに、数年前に会ってますけどね」


 私が言うと、七星は瞳に光を入れた。好奇心のような何かが見え隠れしていて、八灼ややと同い年だったはずの七星の幼さが強調されている。

 七星は私を観察するように見て、微笑んだ。


「生きていたんですか」


 思わず思っていたことを口に出す。あまりにも唐突に訪れた出来事を前にして、なかなか言葉にはできなかったが。

 目の前にいる四都は真剣な表情をして、七星は何かに気づいたような表情をする。


「私、何も覚えてないんです」


 はっきりと、七星はそう言った。


「……そうですか」


 私から出てきたのは、それだけだった。

 そのまま、薄暗い自室に沈黙が訪れる。七星はあどけない表情で私と四都を見比べていた。


「七星、そろそろ行こうか」


「あ、うん! 次はどこに行くの?」


「もう寝なさい」


 書物を拾って、埃を払う。もう遅い時間だということは、なんとなくわかっていた。


「はーい」


 七星は黒い布をもう一度顔に巻きつけて、いつでも四都の後についていけるようにする。その従者のような振る舞いを、私は静かに見つめていた。


「七星」


「はい?」


「貴方が宮中ここにいるのなら、自分の正体は隠しておきなさい」


「えっ?」


「そうしなさい」


 七星は多分、考える前に頷いた。そうして四都についていく。七星のすべてを疑うことなく信じる心。それは、昔からだった。




 気づいたら朝になっていた。

 書物を手に取ったまま、ぼんやりと朝日を眺める。寝ていないのはいつものことだから、たいした問題ではないが。


 不意に、不規則な足音が聞こえてきた。

 これは、昨日聞いたことのある足音だ。


 襖の方へと顔を向ける。そこには、黒い布で顔を隠す七星のような人物がいた。


「七星?」


「えっと……二輝お兄様?」


「何か用ですか?」


 足を引きずって、七星は中へと入ってくる。だいぶ片づいた床は歩きやすいのだろう。目の前まで歩いてきた。


「私、今日四都と散歩をするんです」


「散歩?」


「はい!」


 七星が笑顔のまま会話が途切れる。

 生まれた時から、体質のせいなのかなんなのかは知らないが誰かと話すことが苦手だった。人見知りなのか、人嫌いなのか。キョウダイ以外と他愛もない会話をしたことがない私は、なんと言葉を返したらいいのかわからない。なのに、七星は私の言葉を待っている。


「……そうですか」


 ようやく、それだけが言えた。

 七星もそれだけ? と言うような表情をしているが、他になんと言えと。


星那ほしなー? どこにいるんだー?』


「四都が呼んでいますよ」


 星那。それは、七星のここでの呼び名なのだろう。


「あっ、はいっ!」


 七星は黒い布を顔に巻きつけて、ぺこっと私に頭を下げる。足を引きずらせながら出ていった七星の代わりに、武丸たけまるが入ってきた。


「二輝様、今の方は?」


「四都の従者、ということにしておいてください」


 適当に答えたが、私の従者の武丸はそれで納得したようだった。実際、四都は七星を星那と呼んで探していたのだからこれでいいのだろう。


「あれは、また都子さんが発狂しますね」


 拾い癖のある主を持つ従者仲間に同情でもしているのか、武丸は苦笑していた。従者間のコミュニティはよくわからないが、眠気に耐えることに意識を向けていた私は何も答えなかった。


 幻でも見てしまうのではないか。そう思うくらいに長い時間、重たい瞼を必死になって開けながら外交の資料と戦い続ける。

 昨日の朝からずっと自室にいるせいか、いい加減時間感覚がわからなくなりそうだ。たまに様子を見に来る武丸だけが私の頼りで、彼が差し入れをする血液を啜り続ける。


 ばたばたと慌ただしい足音が聞こえてきた。武丸かと思ったが、違う。なら、一体誰なのか。


「二輝兄様!」


 叫びが、私の目を覚まさせた。

 四都は息を切らしていて、資料室の奥にいる私を見上げる。


「何が、あったんですか」


 立ち上がった私はすぐにそう聞いていた。四都がわざわざ私のところに来るほどの〝何か〟があったのだと思った。


「――!」


 四都が言葉を吐いたその時。目が覚める程度では済まない衝撃が、私を襲った。

 それはきっと、〝幻〟なんかじゃないと信じて――縋った。





 私は絶対に忘れない。燃え盛る炎を。降り注ぐ火の粉を。私は、一生忘れない。瞼の裏に焼きついていたそれは、地獄そのものだった。


 目を開けると、いつもとまったく変わらない景色。随分と薄暗い牢屋で、鎖に縛られたまま遠くまで来てしまったかのような感覚に陥る。

 覚えている〝思い出の中の自分〟と、逃げることが絶対にできない〝牢屋の中の自分〟。比べてみると、今の自分がどうしようもなく汚れてしまったように思えた。


 掠れた声はもう出ない。

 枯れた涙はもう出ない。


 笑うことさえ忘れた私は、一人、何もない地下牢で目を閉じた。静寂と暗闇が私を包む。けれど不意に、遠くの方から音が聞こえた。


「…………?」


 おかしい。幻聴まで聞こえるようになってきたのか――そう思って、私は項垂れることしかできなかった。そうすることしかできなかった。


『薄暗いね……』


『まぁ、地下だからね。ここは昔っから何もないし、戻る?』


『ううん。私、ここから先がすっごく気になる!』


『あっ、こら! だからなんでさっきから君は走るんだよ!』


 カンッカンッカンッカンッ。

 終わらない音がここまで響く。


「――ッ!」


 刹那に思った。これは幻聴なんかじゃない、現実なのだと。


 じゃあ、誰が。誰がここに向かっているの。


 カンッ――ようやく止まった足音は、やけに近くから聞こえてきた。


「…………ひと?」


 私はゆっくりと目を開けた。私の目の前、檻の向こう側には白髪の少女が立っている。


「どうして、こんなところ人が?」


 その子は戸惑っているようだった。

 もう一つの足音がして、今度は白髪の青年が目の前に立つ。その子は幽霊でも見るかのような表情をして、口を半開きにさせていた。



「…………の、望三……?」



 震えた唇から乗せられた声は、しっかりと私の耳に届く。もう何年も聞いていないその名前を、青年は震えた声でそう呼んだ。


「なんで、望三が……」


 私は口元の筋肉を動かした。

 私としては笑っているつもりなのだけれど。


「四都? 望三って? 誰?」


 焦ったような少女は〝四都〟と青年の名前を呼ぶ。そうして私は思い出した。そうか、彼はあの小さな男の子だ。



「……安曇あずみの元第一皇女、獅子王望三。数年前の『宮中襲撃事件』以来ずっと行方不明だった〝幻の皇女〟で……七星、ある意味君と同じ境遇の人だよ」



 渇いた唇を四都は舐めた。

 そうか、私はもう皇女ではないのですね。薄々そう思ってはいたけれど。


「七星。君、足は?」


「……う、え、えっと」


「さっき無茶して走ったからでしょ。僕が行くから、君たちはここでお留守番。わかった?」


「……はい」


 四都は、七星を置いて去ってしまった。私は人形のように動かないまま、けれど思考はかなりの速度で動いたまま考える。

 名前。そして、宮中の地下に来れるほどの身分と髪の色。


「……本物の皇女なのですね」


 そう囁いた私に、七星は不思議そうな表情で首を傾げた。


「本物の皇女?」


「……景平かげひら様の娘、私の……」


 私の、と続けようとして口を閉ざした。

 彼女は、既に皇女ではない私のなんなのだろう。


「…………なんでもありません。忘れてください」


「あの、本物とか皇女とか私はよくわかりませんけど!」


 七星が勢いよく檻を握り締めた。顔を近づけて、そして輝く瞳で私を見つめていた。


「必ず、私と四都が貴方を助けますっ!」


 響く叫びは、私の氷の心を溶かした。捕らわれて、きっと国中から忘れ去られた私を、貴方は――……。

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