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幻の皇女は嫁入り前  作者: 朝日菜
第一皇女は亡命中
22/26

第二話 安らげる場所

 泣きながらどれくらい走ったのだろう。

 この場所に来たばかりの私は道に迷ってしまい、人気のないところを選んでしゃがみ込んだ。


「ッ、うく、ひくっ!」


 私がこうしている今だって、国は荒れている。民や兵が死んでいるかもしれない。それは父上も例外ではなく。


「……どうして」


 いくら契約だからと言って、あの安曇あずみが本当に私を守ってくれるのかわからないのに。

 父上は優しすぎた。だからなんで反乱を起こされたのかもわからない。


 わからないことだらけだと今さらながらに気がついた。それは死よりも残酷なような気がした。

 日が傾いているのだけがわかる。そして私はさらに沈んだ。


「大丈夫?」


 優しい、聞いているだけで落ち着けるような青年の声がした。しゃがみ込んでいる私がその人の顔を見ることはなく、身を縮める。


「どこか痛い? 誰か呼ぶ?」


 家人なのか、青年はやけに私の身を案じていた。家人ならば、その優しさは嘘かもしれない。人間……ううん、安曇不信の私は疑ってしまった。

 そっと少年の手が私に触れた。


「触らないで」


 掠れた自分の鼻声が出てきた。


「どこかに行って。放っておいて」


 一人になりたかった私は家人を突き放す。心を落ち着かせたらなんとかして国に帰るから、どこかに行って。放っておいて、と。


「それはできない」


 青年は言った。


「そんなこと、俺にはできない」


 青年は私に触れなかった。そして言葉を並べる。


「女がこんな場所で泣いているのに、放っておけるわけがない」


 泣いていたことがバレていた。私は青年に返す言葉もなかった。


「何かあった?」


「貴方には言いたくありません」


「俺じゃない奴ならいいのか? ……なら、妹たちが適任か」


 色々と呟く青年はしつこい。


「そういう問題ではありません!」


 私は立ち上がって、青年がいない方へと走った。もちろん青年の顔は見ていない。

 青年だとか女性だとか、そういう問題ではなくて。安曇の人間には何も話したくなかったのだ。


「待って」


 慌てた青年が私の後を追う。人気のない廊下には逃げ場がなくて、私はすぐに追いつかれた。けれど、青年が私の体に触れることはなかった。私の行く手を阻んだだけで、本当に何もしてこない。


「ッ!?」


 初めて見た青年は、声の割りには恐ろしいほどに大きな耳が生えていた。獣のような牙。獣が持っている毛むくじゃらの手足。紅い瞳は鋭く尖り、珍しすぎる白髪が人ではないことを強調している。

 けれど、恐ろしさに震える私を見た青年は悲しさに顔を歪ませた。


「ごめん」


 さっと両手で耳を隠す。そのまま他の部位が隠れていないことに気づき、青年は後退した。

 青年も青年で先ほどの威勢の良さはどこに行ったのか、何かに怯えるように唇を噛んだ。その姿に嘘偽りがないことくらい、私にだってわかる。


「私も……ごめんなさい」


 いくら安曇の人間とはいえ、失礼なことをしてしまった。謝ることも、失礼なことをしたのも、全部安曇。だから私からは口にしないと決めていた言葉。

 それを出させた青年は、痛ましく優しい青年だった。


「俺の方こそ……その……」


 青年は私よりも年上に見えるのに、私よりも何かに怯えてしまっている。

 そんな青年に、いくら安曇の人間とはいえ情が湧いてしまった私は自分で言うのもあれだけれど父上の血をしっかりと受け継いでいるような気がした。


「手を」


 私が言っても、青年は両手を――両耳を隠すことを止めなかった。私は自分の手で青年の片手に触れ、彼の本物の獣の手に驚く。

 触らないでと言った相手に触られたせいか、青年は赤目を見開いた。


「心配してくれてありがとうございます」


 隠していた手を取ると、青年の両耳が顕になる。白髪の青年は私よりも十センチほど背が高いけれど、兄がいたらこんな感じなのかなと考えた。


「ありがとう……? 別に、そんなのいらないけど」


 さっきよりもしっかりとした声で青年は言った。


「俺で良かったら話くらいなら聞けるから」


 人気のない廊下。ここで泣いていた私。ここに来た亜人の青年。なんとなく似ていると思ったのは、気の所為なんかじゃないはずだ。

 私の心と青年の心は傷だらけで、傷だらけの二人がここで会ったのは偶然じゃないとさえ思えた。


「……でも貴方は、安曇の国の人間だから」


 安曇の人間に話したって無意味。それに、話したら私の無謀な計画が知られてしまう。


「君は違うの?」


 見たことのない人間がいても違和感がないくらい、この宮中は大きいらしい。さりげなく圧倒的な国力の違いを思い知らされた私は、尚更青年に何も言えなかった。


「もしかして、君が織江おりえ?」


 その問いかけに、わずかに頷くことしかできなかった。


「……そうなんだ。君が」


 青年は私と視線を合わせる。青年は私に名乗るか名乗らないか悩んでいるみたいだったけれど、私はそのどちらでも良かった。


「俺は安曇の第四皇子、獅子王三雲ししおうみくも


 けれど、青年――三雲は自分だけ身分を明かさないのは失礼だと思ったかの、丁寧に名乗った。


「皇子?」


 二輝にきの話が脳裏を過ぎる。忘れやすい私でも、忘れられるわけがない話。


「……貴方が」


 一瞬、突き飛ばしたい衝動にかられた。けれど、目の前に立っているのは傷だらけの第四皇子。私のことを見つけてくれて、一度は心を開いた彼を突き飛ばすことなんてできなかった。


「話はだいたい二輝兄様から聞いている。今は辛いかもしれないけど、この島の未来の為にも耐えてほしい」


「ッ!?」


 頭を下げずに告げた三雲は、やはりあの一覇と二輝の血縁者だった。踏み潰される人間の気持ちがわかっていない。いや、わかっていても仕方のない犠牲だと思って切り捨てている一番の悪だ。

 私が黙ったままでいると、三雲が眉を顰める。なんとも言えない空気が私たちを包み込んで、三雲は息を吐いた。


「……やっぱり、納得は無理?」


「……当たり前です」


「……そっか。でも、俺たちはこの島の為に統一を進めている。ここにいれば、君もいつかわかるよ」


「そんなのわかりたくもないんですよ! そもそも島ってなんなんですか?! どういうことなんですか?!」


「知らない? ここは島国。この島にはもう、安曇と君の国しかない。島の統一を進めなければ、東洋人は近い将来世界に負ける」


「……え? 何、どういうこと……?」


「君も皇族なら知っててもおかしくないはずだけど……。この世界は、安曇と君の国で成り立っているわけじゃない。僕たちは一刻も早く一つになって、僕たち……君たち東洋人のすべての知恵を使って世界と戦わなければいけないんだ。そんな日がいつか来る。これは五鈴いすずの予言にも出てる」


「なんですか、それ……」


 俄には信じ難い話だった。三雲はなんの話をしているの? 一覇と二輝は一体何を企んでいるの?


「すぐにわかってもらうつもりはなけれど、皇族なら目を逸らし続けられるものでもないことくらいは知っていて」


「…………」


 安曇は、彼らは私たちの一二歩先の未来を見ている。わかりたくもないことを知ってしまった。気分が悪い。


「本当に、大丈夫?」


「え?」


 私にそう尋ねた三雲は、まっすぐに私を見下ろしていた。

 下げていた眉も、怯えた瞳も、その表情にはまったくなくて。さっき本人が言ったように、「放っておけない」という心で立っていた。


「俺は一刻も早く納得してほしいけど、織江が泣いていたことに変わりはないから」


「……三雲殿」


 彼は多分、私よりもその根が優しい。一度許してしまった心は三雲の手を簡単に受け入れて、されるがままに触れられた。

 意外に熱くなくて優しい手。本当に一覇や二輝たちの血縁者なのかと疑ってしまう。なんとなく私に似ている三雲は私の頬に軽く触れ、子供を相手にするように頭を撫でた。


「ッ!」


 実際十センチも低い身長の私は、三雲から見たら幼く見えたのかもしれない。泣いていた私は、余計に弱く見えたのかもしれない。

 色々な〝かもしれない〟が混ざってしまったけれど、私はそれを飲み干した。


「……ぅ、あぁっ!」


 よしよしと頭を撫でる三雲に甘える。〝かもしれない〟を飲み干して、私はそれを感情に出した。


 幼く見えたなら幼く見せて、涙を流す。そうすればきっと、尖っていた感情が丸みを帯びてくるはずだから。

 元々私らしくもなかったせいか、今の状況をすんなりと受け入れられた自分がいる。どこか他人事のように感じて、自分を曝け出すことができていた。


「君の味方は俺だけじゃない。全員安曇の人間という立ち位置は変わらないけれど、他のキョウダイにも頼るといいよ」


 今はまだ一人ぼっちのこの国で、その言葉だけが私の唯一の頼りだった。

 そのまま彼の胸の中で散々泣くと、思っていた以上に落ち着いたことに気づく。三雲以外の安曇の人間を信用したわけじゃないけれど、みんながみんな悪い人じゃないことを私は知った。知ってしまった。





 優しい人だっている。それだけでこの国に対する希望もわずかに湧いてきた。


「……頑張らなきゃ」


 用意された部屋で一人呟く。今すぐ国に戻って反乱を止めたかった。けれど私は、心も体も弱っちい。それは昨日痛いほどに思い知ったばかりだった。


(どうしよう)


 考えてもわからない。けれど、何もしないのも嫌。もどかしくてまた涙が出そうになる。ただ焦るだけ焦って自滅しそうで、余計に辛く思えてしまった。

 刹那、何かが後ろの壁にぶつかった。


「……?」


 不審に思って振り返ると、青年が空に浮いてじぃっと私を見つめていた。


「えっ?!」


 手に握られている小石を青年は弄りまわし、私が気づいたことに気づいて「開けろ」と言い放つ。後ろにあったのは壁ではなく木製の窓で、私は柵のようにも見えるその奥の青年を凝視した。

 三雲以外の安曇の人間に心を許していない私が、何者かもわからない青年の言うことなんて聞くわけがない。大きく首を横に振ると、青年はむっとした表情になった。


 ガンッ、ガンッ、と拳で窓を叩かれる。そうして私の予想通り――窓を破壊した。


「ッ!?」


「よぉ、織江」


 長い白髪を一つに纏め、赤い瞳がが強烈な印象を与えてくる不思議な青年。彼はにやっと笑って足を床につけ、片手を上げた。


「だっ、誰ですか!」


 青年は私の台詞を無視して「ふぅん」と舐め回すように観察する。


「お前、全然駄目だな」


 しばらくして、何故かそんなことを言われた。


「だっ、駄目って」


「隣国の皇女が来たっつーから、どんな奴か見に来たら〝これ〟かよ」


 期待外れというような表情で髪を掻く青年が憎らしい。すぐに私に対する興味をなくしたようで、大きな欠伸をぶちかます。

 いきなり侵入されて勝手に期待外れ扱いをされた私は、安曇の人間ということもあって青年をいとも容易く敵視した。失礼な態度に腹が立って、近くにあった器の中に手を入れて柿を投げる。


「おっ。くれんの?」


 笑う青年は柿にかぶりついた。怒らせるどころか喜ばせてしまったみたい。


「出ていってください!」


 柿を早くも食べ終えた青年は、口元を拭って鬱陶しそうに私のことを一瞥した。


「出ていく? 俺が? ハッ、ばっかじゃねぇーの? 俺は安曇の最強皇子なんだぜ? 出てくわけねーだろ」


 そのまま私に近づいて額を弾く。


「あぅっ!」


 その動作が速かったのか、私が鈍かったのかはわからない。けれど、皇子と名乗る青年が敵だってことはよくわかった。


「関係ありません! 出ていってくださいってば!」


 柿しかなかったから柿を何度も投げた。その度に青年は掴んで食べる。食べる速度は私の投げる速度に追いつかなかったけれど、青年が腕に柿を貯めているのを見て私は止めた。


「……つ、強い」


「あひゃひまへはろ。おへは皇子で魔法使いなんひゃへ?」


 青年は柿を口内に放りながら、自慢するわけでもなく普通に喋った。


「――最強に決まってんだろ」


 ただ、ここだけは柿を飲み込んだ直後に言葉にした。それを堂々と言える青年が凄かった。

 皇子はまだわかるけど、魔法使い? だっけ。それはそんなに凄いことなの? 詐欺師じゃなくて?


「さ、最強?」


「信じてねーのかよ」


 いらっと青年は片眉を上げた。相当な自信家なのか、青年は確かに怒っていた。


「最強なんて、そんなの信じるわけ……」


 ……ないじゃないですか。


 そう言い終える前に青年が壁を破壊した。そう思ったのは、青年が大きな杖を持っていたから。


「来いよ」


 その杖を乗り物にして、青年が私の方に手を伸ばす。


「すげーモン見せてやる」


 強い人。ちょっとやそっとじゃ負けない人。その強さは、私がさっきまで欲していた強さだった。


「すげーもん?」


「どうせお前、宮中ばっかにいたんだろ?」


「ッ! ど、どうしてそれを……!」


「見たらわかるんだよ、俺にはな」


 くるくると杖を回した青年は、驚きすぎて呆ける私に向けてさらに強く腕を伸ばす。


「早く」


 急かされて思わず腕を伸ばした。手と手が触れる直前、ふと思い出して動きを止める。


「貴方の名前は?」


五繰いく。聞かねーとわかんねーのかよ」


 五繰は私の手を引いて杖の上に乗せた。あっという間に空中に飛び出し、私は二度目の浮遊感を味わう。


「きゃあっ?!」


 落ちる――! けれど全然落ちなくて、むしろ上昇していることに気がついた。


「わ、わっ!」


 目を瞑って現実から目を逸らす。敵の五繰にしがみつきながら、死なないように必死になる。


「着いたぜ」


 だから、五繰がそう言っても信じなかった。


「目ぇ開けろよ」


「嫌です!」


「落とすぞ」


「ッ!」


 そういう言い方をされると、目を開けることしか道はなかった。そして飛び込んでくる風景に言葉を失う。

 宮中よりもずっとずっと高い空から、朝日で輝く水面や森林、そして民家に心を奪われた。そこで生きる人々の姿も視認でき、私は感動のあまり涙を流す。


「どうだ、すっげぇだろ」


 頷いた。


「この景色を知ってんのは俺だけなんだぜ? 絨毯でもこの高さまでは飛べねぇしよ」


 頷いた。


「これを見てると何もかもをぶっ壊したくなる。実際、その気になればいつでもぶっ壊せるけどな」


 最後に耳を疑った。


「だから俺は最強だ」


 その理論はわからないけれど、自信満々に言う彼が朝日のせいか眩しく見えた。





 私を元の部屋へと戻した五繰は、壊した壁から飛び去ろうとする。私はその背中を呼び止めて、ずっと聞きたかったことを尋ねた。


「私も貴方みたいに強くなれますか?」


 振り向いた五繰は無表情のまま私のことを見下ろしていた。瞳と瞳が交差して、私は唾を飲み込んで、五繰はにやっと口角を上げる。


「あぁ。なれるぜ」


「どうやって?!」


 敵のはずなのに、私は五繰とこのまま別れたくはなかった。


 強くなりたい。その方法が知りたい。敵にそれを乞うことは矛盾していると想うけれど、この際自国の為には仕方がなかった。


「簡単だ」


 五繰はあと一歩下がれば壁から落ちてしまうというところまで下がって、怪しい男の笑みを浮かべる。


「教えてください! 私はどうすれば強くなれるのですか?!」


 五繰は表情を変えないまま、いつの間にか上げていた手を私の方へと再び伸ばした。


「この手をとれば、お前の望み通りになるぜ?」


 それが何を意味しているのかわからなかった。五繰は禍々しい雰囲気をその身に纏い、私は怯んで足を下げる。


「ッ!」


「まっ、魔法の素質があればの話だけどな」


 それでも意を決して手を伸ばした瞬間、五繰が拳を握ると禍々しい雰囲気も消えていった。


「焦らさないでください!」


 五繰の耳に私の言葉が届いたとしても、五繰は聞いていなかったようでどこか楽しげな表情を浮かべて飛び去っていった。

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