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幻の皇女は嫁入り前  作者: 朝日菜
第一章 追放の白皇女
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第二話 生まれつき

 茜色が、僕と僕の見知った家屋が並ぶ村を照らしている。そんな夕日を一瞥して、僕は馬を降りた。首に巻きつけていた布を、今度は顔が見えないように巻きつける。


「はぁ……」


 なんとなく息を吐いた。馬を連れて歩きながら、二輝にき兄様が教えてくれた田畑の向こう側にある家屋へと向かう。行き交う人々は、僕の真横を通り過ぎながら無垢に笑っていた。……あれは、兄妹だろうか。

 夢の中で見た僕と七星ななせ――いや、七星なのかはまだよくわからないけれど、あの頃と同い年くらいに見えた。


「走っちゃ危ないよ」


 女の声が、兄妹が走り去っていった方向から聞こえてくる。言っていることは母親っぽいが、その声は幼さを含んでいた。

 僕は振り返りもせずに歩くけど



「――ナナセお姉ちゃん!」



 子供が、無邪気にその名を呼んだ。

 時間が、本当に一瞬止まってしまった。


「きゃあっ! もぉ〜」


 僕の感情とは裏腹に、楽しげなその声は。幼さを含んだ、その声は。

 ナナセという先入観を無理矢理取っぱらって聞いてみると、記憶の中の何かが目を覚ます。


「……『それくらいがまんよ』」


 気がつけば口がその形に動いていた。僕は僕の声でそう言っていた。

 わざわざこんなところまで来たのに、僕が僕じゃなくなったかのように振り返ることが恐ろしくて。僕は、唇を噛み締めて振り返った。


 茜色の夕日が、二輝兄様や僕、五鈴いすず六七りなたちとは違う白髪を神々しく照らしていた。


「……七星」


 それは、確かに夢の中で見た白髪だった。


「……? ナナセお姉ちゃん、あの変な人、お姉ちゃんの名前呼んでるよ?」


 子供が僕を聡明な瞳で捉えて指差す。七星は首を傾げて、瞳をそっと、子供から僕へと移した。


 赤い瞳が僕の赤い瞳と交差する。そして、僕は迷うことなく巻きつけていた布を取り払った。自分の長い白髪が視界に入って、その奥にいる七星の長い白髪が風によって悪戯に揺れる。


「七星」


 七星は何も答えなかった。いや、答えなかったというよりも答えに迷っているような感じだろうか。


「久しぶり」


 疑問は確信へと変わる。僕はそれをひしひしと感じながら、一歩ずつ七星の方へと近づいていった。


 二輝兄様のように、特別肌が白いわけでも牙が見えるわけでもない。六七のような尾ひれもなければ、八灼ややのような変わった耳もない。

 僕や五鈴のように、どこからどう見ても七星は人間だった。だから僕は、七星に会いたかった。


 五歩歩けば触れられる距離で足を止める。ここから、七星の戸惑っている瞳がよく見えた。


「久し、ぶり……?」


「ま、覚えてないのも仕方ないよね。僕だって、あんな夢を見るまでは忘れてたんだし」


「夢って、なんのことですか?」


 僕は声は出さずに笑う。

 七星はそんな僕を不審そうな目で――だけどどこか期待に満ちたような目で見上げていた。


「いや、こっちの話」


 唯一の自慢である白髪を触りながら俯いて、すぐに上げる。


獅子王ししおう七星。それが君の本当の名前だよ」


 そう告げると、ごくりと七星は唾を飲み込んだ。


「獅子王……」


 呟く七星を見守るように見ていた僕は


「僕の名は獅子王四都しと。君の兄様で、宮中から君を迎えに来た第五皇子だ」


 そう名乗り、彼女の反応を観察する。

 七星はすっかり怯えてしまった兄妹に家に帰るように言い、まっすぐなその瞳で僕に向き直った。


 七星もきっと、普通の人間じゃない。それは、七星があまりにも冷静だったからだ。


 ある日突然訪れた皇族の男が、自分の兄だと名乗ったのに。自分が皇族だと言われたのに。覚えていないなら覚えていないなりの反応があってもおかしくないのに。

 そう思うのに、七星は戸惑いつつも怖いくらいに冷静だった。


「七星」


「はい」


「一緒に帰ろう」


「……はい」





 私の名前はナナセ。それだけは覚えている。


 小さい頃からちょっとだけ体が不自由だった。足が思うように動かない、それが不便だなって思っていた。


『なんで私の足はじょうずに動かないの?』


 前に両親に聞いたことがある。白髪の私とは違って、二人とも黒い髪をした優しい人たちだった。


『それはね、ナナセ。生まれつきだよ』


 お母様はそう言った。

 私はお母様の言うことを疑わなかったけれど、完全に信じたわけでもなかった。不思議なことに、今でもその理由はわからない。


『わかりました、お母様』


 知らぬ間に口はそう動いていた。


『ナナセとナナセのお母さんたちって似てないね』


 ある日、薄々自分でも思っていたことを友達が口を揃えて言い出した。けれど、私はそれをどうしても肯定したくなくてたくさん怒った。怒って、怒って、友達を泣かせて縁を切った。


 どれだけ後悔しただろう。


 けれど私は、それさえも肯定したくなかった。矛盾していることは百も承知だった。


『お父様、お母様』


『どうしたの、ナナセ』


『……私のこと、すき?』


 お父様とお母様は笑って肯定した。

 私は愛されている。それを知ることができたから、似ているとか似てないとかはもうどうでも良くなった。


『変なことを言うのね、今日のナナセは』


 優しいお母様の温かい手が、私の頭をゆっくりと撫でる。その手が不意にぴたっと動きが止まって、顔を上げるとお母様は『どうしましょう』と呟いた。


『お母様? どうしたの?』


『食材を分けてもらいにいくのを忘れていたわ』


『じゃあ私が行ってくるよ』


 まだ十歳にもなっていないけれど、おつかいくらいはできる。どうでも良くなって満足していた私は、上機嫌だったからそう言った。


『あらあら。じゃあ頼むわね、ナナセ』


『うんっ!』


 硬貨を握り締めて、一人家を出る。凸凹とした道を少しだけ不自由な足で歩いていると、一人の若い旅人さんが道の真ん中を静かに見つめているのが視界に入った。

 道に迷ったのかな、と私は思って。思わず、話しかけてしまった。


『旅人さん、どうしたんですか?』


 旅人さんは私を見下ろして、驚いたように目を見開く。私が首を傾げると、旅人さんはおもむろに話をし始めた。


『……昔、この道で女の子が馬に蹴られたんだよ』


 旅人さんはしゃがみ込んで、何故か道の砂に触れる。その手つきは優しくて、さらさらと流れる渇いた砂を見て何故か短く息を吐いた。

 後ろから見ていた私は、その背中の孤独感があまりにも印象的で息を漏らした。


『その女の子が蹴られたのは足だったけれど、あまりにも出血量が酷くてね。今でも鮮明に覚えているよ。その子はね……』


 旅人さんは、顔を上げて私をその瞳に映す。ぞくり、と背中に悪寒が走って


『……その子はね、君とおんなじ白髪だった』


 その台詞を無遠慮に吐いた。


『噂だけど、その子はこの国の第五皇女だったらしいよ。知ってる? この国の皇帝の弟の、〝亜人キョウダイ〟のこと』


 旅人さんは立ち上がって、茜色の夕日を見上げる。

 私は無意識に、本当に無意識に自分の白い髪に触れた。視線は旅人さんの背中から足に移って、傷だらけの足は茜色の夕日に照らされていた。


 旅人さんの話が私の頭の中を駆け巡る。


 恐ろしいくらいに、その蹴られた皇女と私の特徴は良く似ていた。

 話を聞いただけなのに、似ていると思ったのだ。それはきっと、この旅人さんも同じだったから私にあんな話をしたのだろう。


 知りたい。知りたい。知りたい。知りたい。


 その好奇心は止まる気配を見せずに膨らんでいく。


『その子は、今どうしているの?』


 恐怖心もあった。誰かが知りたくないと叫んでいる。けれど、それとはまったく違う感情――前から感じていた違和感が私の奥底で燻っていた好奇心を後押しした。

 矛盾した感情を胸いっぱいに詰め込んで、私は旅人さんを心から頼った。


『この国から出航する前に、死んだと風の噂で聞いたよ。それだけしか、僕は知らない』


 ぷつりと、何かが私の中で切れる。

 あぁ。結局、私とその子は赤の他人なんだ。そもそも私は亜人なんかじゃない。別人なんだ。幼い私はそう思った。


『そう、なんですか』


 俯いてしまった私に向かって、旅人さんは『またね、お嬢さん』と言葉を残してどこかに行ってしまう。私は足を引きずらせながら、おつかいのことだけを考えようと努力した。


 強いて言うなら、その日からだったと思う。


 私のこの好奇心が他の人よりも旺盛になったのは。村の人たちが私の好奇心の大きさを一種の病気だと言って笑うほどに、気になったものには満足するまで手を伸ばす。

 精一杯に手を伸ばして、転んでしまって大怪我をしても構わない。それが、私。


 だから今日、目の前にいる〝獅子王四都〟と名乗る男の子が私を迎えに来たと言っても。私のことを、〝獅子王七星〟と呼んでも――案外すんなり受け入れられた。


 仕事で出かけているお父様とお母様に、置き手紙を残す。こうして私は、彼が乗ってきた馬に跨って慣れ親しんだ村を後にした。


「それにしても、君ってだいぶ変な子だね」


 軽い調子で、手綱を握る彼が言う。


「変……ですか?」


 皇族で兄様だと言う彼に対していまいち距離感を掴めずにいると


「うん。ていうか、敬語禁止。名前も四都でいいから」


 彼――四都はそう言った。


 自分のことを兄様だと言っておいて、妹から呼び捨てにされてもいいのかと思う。そんな気取らない四都にすぐに好印象を持った。


「で、変ってどういう意味?」


「状況の飲み込みが早いってこと。まぁ、その方が助かるしそういう子の方が僕は好きだよ」


 しれっと「好きだよ」と言う四都もだいぶ変わっている。そう思いながら、群青色に変わる空を見上げた。


「薄々……」


「ん? 何?」


 刹那、揺れる四都の長い白髪が私の頬を擽った。


『ちょっ?! くすぐったいよ!』


 そして、誰かの声を聞いた気がした。必死に思い出そうとしていると、四都が苛立った声を出す。


「……薄々、気づいてた」


「気づいてた?」


「昔から、そうなんじゃないかって思わせることが何度かあって。四都に出逢って、やっぱりって思ったの」


 四都は黙って聞いていた。

 月が出始めて、美しいそれは私たちの行く道を照らし出す。


「あれ……?」


 口に出して、不意に疑問が湧いてきた。


「どうしてお母様は、嘘を……」


 私の足のこと。私が馬に跳ねられた皇女なら、どうして生まれつきだなんて嘘をついたのだろう。

 四都は、私の呟きを聞いてなかった。





 四都に連れてこられた宮中は、当然だけど今まで暮らしてきた場所とは大きく異なっていた。好奇心を抑え切れずにいると、馬を従者に預けていた四都が呆れたような声を出す。


「わかってると思うけど、ここ、一応君も暮らしてた場所だからね?」


「あ」


 そうだった。いや、けれど、覚えていない。


「忘れちゃったので」


「全部?」


「……全部」


 四都は怒るだろうか。怒られてもしょうがないと思うけれど。


「……そ。まぁ、仕方ないね」


 四都は一言そう言って、私の手を引いた。


「し、四都?」


「来て。案内してあげるから」


 問答無用って感じで四都は私のことを引っ張って。案内してくれるなら、と思って私もされるがままでいた。

 その背中は、とても大きくて。お父様とお母様にはなかった白髪が、やっぱり私のお兄様なんだなぁって。そう思ったら、嬉しくて泣きそうになった。


「……四都、お兄様」


「ちょっ、だから! 四都でいいって!」


「今だけは、そう呼ばせて」


 そう言うと、四都は仕方ないなぁって感じでふっと笑った。


「まぁ、今だけは許してあげるよ」


 夜空にぽっかりと月が浮かんで、私たちの行く道をまた示す。目の前の建物は私の好奇心を充分に擽らせて、私はこれからの未来に心を踊らせた。

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