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幻の皇女は嫁入り前  作者: 朝日菜
第七章 空色の優しさ
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第一話 些細な優しさ

 安曇あずみの為に生きていく。そう決めてから私は、与えられた量以上の仕事をこなすようになっていた。


「失礼いたします」


「あぁ、二輝にき様」


 書物を束ねて持ってきた二輝様は、私の手元を見て眉を顰める。


望三のぞみ様、私はそんなに多くの仕事を任せた記憶はありませんが?」


 それは、どこか私を叱るような口調だった。


「……そう、ですね。これは他の方の仕事なのです」


「押しつけられたのですか」


「いいえ、とんでもない。これは私が手伝うと言って引き受けたものなのです。ですから、皆様のことは叱らないでください」


 すると、二輝様は何故かますます眉を顰めてしまった。


「何故そのようなことをするのです」


「何故と聞かれましても……。私だって安曇の役に、一覇いちは様のお役に立ちたいと心から願っているからなのです」


 そうすることしか、今の私が宮中で生き残る道はない。だから、私は――。


「仮に望三様が安曇の役に立てなかったとしても、貴方の居場所はありますよ」


 ぼり、と二輝様が後頭部を掻いた。その瞳には呆れのようなものが含まれていて、私は何も言えなくなる。


「もしも本当に居場所がなくなってしまったのなら、私の側にいればいい」


 扇を取り出して口元を隠した二輝様は、さらにこうも言った。


「無理は禁物ですよ」


 静かに瞑目し、二輝様は書物を私に預けないまま部屋を去ろうとする。


「お待ちください二輝様! その書物は……」


「私がやっておきます。貴方は気分転換でもしていてください」


 私よりも二輝様の方が気分転換は必要なはずなのに。だから私は無意識の内に手を伸ばした。


「望三様?」


「お待ちください。二輝様だって気分転換が必要なはずなのです」


「貴方は寝ていないでしょう」


「それはお互い様なのです」


 私は二輝様の瞳を覗く。目の下のクマはその証拠だった。私が袖を掴んで離さない二輝様のそれは、祖父が純血の吸血鬼にあたる二輝様の特徴ではない。


「二輝様が気分転換をなさらないのなら、私もしません。さぁさぁ、どうするのです?」


 私は二輝様から扇を奪い、自分自身の口元を隠した。そうして少しだけ眠たそうに瞼を動かした。


「……一応聞いておきますが、それは私の真似ですか?」


「ご名答なのです、二輝様」


 私が笑うと、二輝様は本当に渋々と折れた。けれど、不快ではない表情を浮かべてくれている。


「ふふ、私の勝ちなのです」


「なんの勝負なんですか、それ」


 二輝様に扇を返して歩き出す。振り向くと、二輝様がついてきてくれた。


「こうして二輝様とお出かけをするのは初めてですかね?」


 私が尋ねると二輝様は宙を見つめ、次に私に視線を移して頷いた。


「えぇ、私も初めてと記憶してますね。望三様とこうしていられることが今でも信じられません」


「そうですか?」


「そうですよ。昔は会うことさえ許されず、今は死んだはずの貴方がここにいる。これが信じられますか?」


「私は信じるのです。信じられないと思っていたのは私だって同じですから」


 確かに、昔は会うことさえあまりなかった。安曇を取り囲む広大な海の果てからやってきた戦闘民族との間にできた景平かげひら様は、自分の母親と同じ異国の者である亜人のことを好んで妻に娶っていた。そんな彼らの子供たちを私たちの異なる母たちは実子に会わせることを嫌がり、私たち従兄弟は同じ宮中で暮らしていながらも遠い遠い存在であった。

 そして私は、少し前までは牢の外に出ることさえ叶わない存在でもあったのだ。


「それでも、私は今ここにいます。これは真実なのです」


 二輝様は私の言葉に耳を傾け、静かに微笑んでいた。そんな中聞こえてきた慌ただしい足音は武丸たけまるさんのもので、廊下の奥から険しい表情でこちらの方に向かっている。


「どうやら、気分転換はもう終わりのようですね」


 そう、目付きを変えた二輝様は廊下の奥へと走っていった。


 何があったんでしょう。


 私は不安になって一覇様を探しに踵を返す。二輝様の後を追ったって、今の私ができることはきっとない。……一覇様。せめて、一覇様なら。

 一覇様に会って、結局私に何ができるのかはわからない。何もできないのかもしれない。それでもこうして走り回れる時間があるから、私は走った。


 本当に何もしないよりも、惨めでも走り回って私ができることをする。後者は少ない確率だけど、私はそれが最善だと信じた。


「一覇様……!」


 お願い、見つかって――!


 そう祈ってまだ走る。早くも悲鳴を上げる体に鞭を打った。


「一覇様をお探しですか? 望三様」


 そんな私の目の前に現れたのは、志麻しまさんだった。


「……は、はい! 一覇様はどちらに」


「案内いたしますね。私についてきてください」


 安堵し、私は大きく頷いた。良かった、これで一覇様に会える。そうして案内された部屋には誰もいなかった。


「し、志麻さん? 一覇様はこちらにいないようですけれど……」


「はい。知っています」


 腹部に鋭い痛みが走った。志麻さんに殴られた私は膝をつき、口を布で塞がれる。


「……ッ! ッ! ……ッ!」


 必死で抵抗するけれど、私は彼女には敵わなかった。


「悪く思わないでください、望三様。我が一族の使命は――獅子王七星ししおうななせ及び、獅子王望三の暗殺なのですから」


 静かに語られた内容を、私は薄れる意識の中で聞いていた。息ができないことがわかる。手足は先ほど走ったせいで、最早使い物にならなかった。

 悔し涙さえ出てこない。私が護衛される理由を今さらながらに痛感して、私は目を閉じた。それは、抵抗できないと悟ったから。


「……ッ!」


 刹那、彼女が私を離した。


「あらあら、勘違いしないでくださいね。必ず仕留めてあげますから」


 力を入れていなかった私は床に倒れ、逃げる足音だけを聞く。それとは別の足音に気づいていた。


「――望三!」


 張りのある低い声で理解した。彼女は一覇様が来ていることに気づいて逃げたんだろう。確かに彼女では一覇様には敵わない。それは私にもわかっていた。


「お姉様ッ!」


 一覇様と実四みよしが私に駆け寄る。一覇様が私の体を起こし、実四は恐怖を張りつけた表情で私の顔を覗き込んだ。


「実四、お前は志麻を追え!」


「承知いたしました、一覇様!」


 待って、実四では荷が重いはずです。引き止めようにも声が出なくて、腕さえ言うことを聞かなかった。


「俺の声が聞こえるか」


 出せない声の代わりにまばたきをした。一覇様は理解してくれたらしく、頷いて私を抱き上げる。


「七星が何者かに襲われた」


 冷静に、今、この宮中で何が起きているのかを語る。七星も襲われたと聞いて、私はいても経ってもいられなくなった。


「お前を襲ったのは志麻で間違いないな?」


 その問いにもう一度まばたきをした。一覇様は険しい表情をして黙る。この人は今、この現状をどうにかしようと考えている。その姿勢を見せつけられ、結局足を引っ張った自分が情けなく思えた。


 ごめんなさい――


「……七星は無事、なのですか?」


 ――そう言う暇があったら戦え。


 一覇様はまばたき一つせず私に視線を移して動く。


「七星は出血が酷いが致命傷ではない。傷痕は残るだろうが無事だと聞いている」


 心が痛んだ。自分よりも年下の少女が、自分よりも傷ついている。それが悲しくて許せなかった。


「他人のことよりも自分の心配をしろ。お前はどうだ?」


「……私、ですか?」


 一覇様が私を心配してくれている。当然なんだろうけど、そんな些細な優しさに引き込まれそうになった。

 私は何もなかったかのように微笑む。死人のように生きていた過去も、まだ痛む腹部も忘れ去って微笑んだ。


「私は平気なのですよ、一覇様」


 これが私なりの戦いだった。


「ですが、一覇様を探し回ったせいで全身筋肉痛なのです」


「またか。鍛えろ」


「うぅ、そうします」


 一覇様に支えてもらいながら部屋から出る。一覇様に連れていかれるまま、目的地も知らずに進む。


「そういえば一覇様、何故実四にあのような命を」


 七星が重傷になるほどの事態が起こっているにも関わらず、辺りは異様に静かだった。そんな静けさが逆に恐ろしく、つい咎めるような口調で尋ねてしまう。


「心配するな。実四は聖五せいごと共に武術をその身に叩き込んだ強い女だ。お前が思っているほどに弱くはない」


 それは、小さな衝撃だった。


「ぶ、武術を?」


 声が震える。信じられなかった。あの心優しき実四が、皇族でありながらも武人になろうとしていることが。


「知らなかったか。……無理もないな」


「知らないのです。そんな、そんなに強いのですか?」


「実四は三雲みくもに一度勝った。その実力は確かだ」


 一覇様は驚きのあまり声も出せない私を見下ろす。一覇様の瞳は綺麗で、曇りなんてなくて、真実だと言っていた。


「……なら、私は本当によわっちぃのですね」


 聖五だって子供じゃない。お兄様のように強くなっているとは思っていたけれど、実四のことは本当に私を驚かせていた。


「だから鍛えろと言っただろう」


 俺が守る、なんて格好いい台詞は一覇様の口からは出なかった。それでも、言ったら言ったで似合わないようにも思える。だからせめて、一覇様の盾になれるように鍛えよう。そう思った。

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