表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻の皇女は嫁入り前  作者: 朝日菜
第六章 その血の色は
12/26

第二話 紅色の赤さ

 朝食をとった後、服を着替えてきた四都しと聖五せいごと一緒に散歩をする。秋の空は高くて、私は真っ赤な落葉を拾った。


「そんなの拾ってどうするの?」


「だって、綺麗だから。四都は綺麗なの好きじゃないの?」


「それは論外」


「え〜……」


 私は仕方なく落葉を落とす。ひらひらと舞うように、落葉は地面に吸い込まれていった。


「俺は好きだぞ」


「本当っ?」


「君、兄の目の前でよく七星ななせに手ぇ出せるね」


「はぁっ?! するわけないでしょう! 貴方の一族と一緒にしないでいただきたい!」


 青白いそれから一転、真っ赤に染まった聖五が四都の頬を強く引っ張る。悲しいことだけれど、この光景に見慣れてしまった私は小さくため息をついた。


「二人とも、喧嘩するなら護衛を変えるように一覇いちはお兄様と二輝にきお兄様に言うからね?」


 喧嘩をやめてと言ってもやめないのだと学習した私の言葉に、二人はぴたっと動きを止める。


「七星がそこまで言うならね」


 そう言って四都はてくてく歩く。聖五を見ると、聖五は照れくさそうにそっぽを向いていた。


「ねぇ、二人とも」


 声色を変えた私の呟きに四都が振り向いた。聖五は私を視界の隅に入れ、私の言葉を待っている。


「私ね、強くなりたいの」


 嘘偽りのない言葉は風に乗り、高い空へと飛んでいった。


「それは、どういう意味なんだ?」


「守られてばかりなのは嫌だから」


 それに、日記のこともあった。日記はここに来る前に元の場所に返したが、内容は鮮明に覚えている。


「へぇ。いい心がけじゃない」


 口角を上げる四都に


「それは危険だ」


 被せるように反論する聖五。


「私は強くなりたいの」


 もう一度同じ台詞を言う。聖五は私の瞳を覗いていた。私は覚悟の瞳が聖五に届くようにひたすら願った。


「……わかった」


「ありがとう、聖五」


 すると、四都が宮中の方へと歩き出した。


「四都?」


 四都は、「何か持ってくるから待ってな」と手を振って去っていく。


「急にどうしたんだ? 七星」


 そんな四都がいなくなって聖五が尋ねた。


「……ん、別に」


 誤魔化す私に聖五が一瞬目を細める。聖五の視線から逃れようとして、広大な南庭に私たちが二人でいることに気づき私は聖五から視線を逸らした。


「七星」


「な、何」


 照れくさいだけなのに怒っているように聞こえるのはどうしてだろう。私は後悔し、聖五に肩を掴まれて無理矢理振り向かされた。


「貴方はそのままでいてください」


 願いは敬語で紡がれた。

 聖五は敬語に気づいたせいか頬を赤らめていて、私はその意味を考える。


「……む、無理して変わろうとしなくていいが」


 聖五は唇を尖らせて


「あははっ、ありがとう」


 私は思わず笑ってしまった。


「いや……」


 聖五は短く答えて視線を逸らす。なんだかさっきから視線を逸らしてばかりだな、なんて思ってつい私も逸らしてしまう。


 気まずい。四都は家族だから平気なのかもしれないけれど、私と聖五は再会したばかりだから――不意に、誰かに見られているような気がした。

 視線を向けると、下女のような女性が物影から私たちを見つめている。女性は私と目が合った瞬間に物影に身を隠し、私は聖五に視線を向けた。


 聖五のことを見てたのかな。私が物影を見に行ったとしても、女性はどこにもいないような気がして深くは考えないようにした。


「歩けるか?」


「う、うん。歩ける」


 突然のことに驚いたけれど、そう尋ねた聖五に答えた。聖五は周囲を見回して私の手を引き、真っ直ぐに歩いていく。


「え? 聖五……」


「四都は置いていくぞ」


「えぇっ?!」


 聖五の横顔は楽しそうで、私は四都が怒った表情よりも聖五の珍しい笑顔を見ていたくなった。

 二人で四都から逃げるように歩き、手を握り直す。いつかは見つかってしまうから、それまでの間だけ。


「後で怒られちゃうね」


「そうだな」


「私、本気で強く――戦えるようになりたいの。だから聖五、その責任、とってよね」


 わざと悪戯っぽく笑うと、聖五は頬を朱に染めた。そして何故か怒ったように眉を上げ、私との距離を急激に縮める。


「男の前でそれを言うな」


 四都だったら額を弾くだろうな。なんて思ったからか、聖五がそれだけを囁いて元の距離に戻ったのが新鮮に見えた。


「それ、聖五の前でも駄目なの?」


 よくわからない。なんで言ったら駄目なんだろう。


「……俺以外のだ!」


 紅色に近い朱色の頬で聖五は訂正する。


「へぇ、そうなんだ……」


 聖五は目を見開いて私を見下ろした。私が首を傾げると、聖五はなんでもないように装う。


「ねぇ、今日の聖五なんか変だよ? どうしたの?」


「……変だろうな」


 聖五は呆れたように呟いた。私は落葉を悪くなった足で踏み締めて、椛を眺める。紅色のそれは美しく、それは私の好きな色だ。

 聖五の呟きを追及しないでいると、聖五は安堵したように息を吐く。無言の時間はゆっくりと進んでいく。無言なのに、もう変な緊張をしないのはなんでだろう。こんな時間がずっと続けばいいのにと思って


「――ッ!」


 右腕を貫いた激痛と鮮血が、穏やかな世界を歪ませた。


「う、ぁあ……ッ?!」


 頭を強く地面に打ちつけ、私はその場で絶叫する。


「七星ッ!」


 張り裂けるような叫びと共に、聖五が私の体に覆い被さる。

 私は右腕を庇うこともできず、聖五に抱き抱えられた。視界に入った右腕には矢が一本刺さっていて、命を奪えるほどに流血している。


 何も考えられなくなるんじゃないかって思うくらい、意識は朦朧としていった。


「一旦戻るぞ!」


「……ん……」


 青空がぐらりと揺れる。私はまた聖五に持ち上げられ、力なくされるがままになる。ぼやけた視界に入ったのは、さっきまで私たちを見ていた下女の女性だった。


「七星!」


「七星ちゃん!」


 近くから四都と八灼ややの声が聞こえてくる。私は瞼を開けて二人の姿を探したけれど、視界が狭くて上手く見えなかった。


「聖五! 一体何があったんだ!」


「…………」


「聖五!」


 この雰囲気は知っている。このままだと、二人はまた喧嘩を始めて……私が止めなきゃ二人は止まらなくて……それで……。


「四都にいさま! 聖五にいさま! 今は言い合っている場合じゃないわ! 七星ちゃんの止血をして、一覇にいさまか二輝にいさまに早く知らせないと!」


 二人の張りつめた空気が一瞬にして消え去った。私が来る前から二人のことを知っていた八灼は、二人を諌めることに私よりも適していた。

 四都は舌打ちして誰かを呼んでいる。私は聖五ではない誰かに抱えられ、担架に無理矢理乗せられた。


「ななせ……」


「聖五皇子は下がっていてください! ここは我々にお任せを!」


「しかし!」


「聖五、僕らは七星の傷を治せない。僕らが行っても足で纏いだってわからない?」


 珍しく、四都が冷静に聖五のことを叱っていた。いつもと立場が逆転しているな、そう思って私は笑う。その笑顔に〝大丈夫〟を込めて、左手にべっとりとついてしまった自分の血を見下ろした。


 紅色は、私たちの双眸の色。

 紅色は、私たちの血液の色。


 左手さえも担架の上にだらんと落ちて、私はゆっくりと瞳を閉じる。朦朧としているのに意識は全然去らなくて、脳裏を過ぎる先ほどの下女について考えた。


 ――まるで、お母様みたいだと思いながら。





 下女は宮中を移動して文矢を放った。手紙が結わえられた矢は一直線に宮中を抜けて大樹に刺さる。それを、とある村人が引き抜いた。

 男は隣の女に目配せをし、別の木に繋いだ馬に跨り闇に消える。女は深い息を吐いて、自分が育ててきた少女を思った。


 女の一族は皆黒髪だったが、少女にはその黒髪が受け継がれることはなかった。少女が受け継いだのは、敵である安曇あずみの皇族の片方の――白色だ。

 初めて少女に会った時、少女は足を紅色の血で汚していた。それが自分たちの一族の仕業であることはわかっている。わかっているが、半分一族の血を受け継いでいる少女を瀕死にさせたことは今でも心苦しく思っていた。だから、実を言うと今回の件も苦しかった。


 だが、今回は前回とは違う。愚かな皇族の少年を助ける為にわざわざ一族の縄張りに来て、まんまと蹴られてしまった前回とは。

 女は次の文矢を待つ為に腰を下ろした。今頃、娘のように育ててきた七星は一族によって殺されているだろう。それも仕方のないことだ。黙って宮中に戻った七星が悪いのだから。




 文矢を引き抜いた村人の男は、七星が今いる場所へと向かっていた。馬を止めてよく見れば、黒髪の少年の側で七星が楽しそうに笑っている。

 先ほどの女と共に育ててきた養子の七星は、数日しか離れていなかったのに何故だかとても美しく見えた。


 男は不意に首を振る。余計な感情に惑わされてはならない。そう思って、だけど本当の娘のように育てていたせいか手元を狂わせてしまった。


 目を凝らす。放った矢は七星の右腕を貫いていた。


 紅色の鮮血を男は平静を装って見つめ続ける。やがて、自分の居場所が皇族だと思われる少年に見破られることを恐れて立ち去った。だが、黒髪の少年はそんなことを気にする余裕もなく泣き喚いていた。

 その叫び声は男にも聞こえ、同じ男だからこそその叫びの真意に気づく。少しだけ、外して良かったのかもしれないと心が安らいだ。


 自分としても、少年としても、七星が死ぬことは良いことではない。男にとっては本意でもない。

 顔を上げると、青空が自分を囲む紅色の赤さを際立たせていた。空色は、男を慰めるような――包み込むような優しさで満ち溢れているように見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ